第8話 美少女後輩マネージャーと登校した
巧は「ちょっと待ってて」とインターホンを切り、玄関に向かった。
鬼のお面をとった
「もう〜、少しは驚いてくださいよ」
「ごめん。何やってんだろこいつ、が先に来ちゃった」
「むぅ〜……」
すっかりむくれてしまっているが、そう見せている類だとはわかっているため、巧は気にしなかった。
「今日はどうしたの? ウチに何か忘れた?」
「いえ。一緒に行きたいなーって思って。あっ、どなたかと約束しているなら全然大丈夫なんですけどっ」
香奈が慌てたように付け足した。
今日は一軍、二軍、三軍すべて練習がある。
一軍と二軍は学校の専用グラウンドで練習するのに対し、三軍は学校から少し歩いたところにある公園を拠点としている。
公園は巧たちのマンションから見てちょうど学校の奥にある。
学校までの道のりは同じだ。
巧が仲良くしている部員はたいてい学校を挟んで反対方向に住んでいるか、そちらに最寄駅があるため、誰とも約束していない。
香奈と一緒に行くことに異存はなかった。違和感はあったが。
「いいけど……どうしたの? 急に」
まだ彼女が電車通学をしていた頃、香奈に誘われて駅まで共に帰ったことは何度もある。
が、一緒に行こうと誘ってきたのが初めてだ。
「だって俺ら、同じ釜の飯を食った仲間じゃないすか」
「ヤンキー漫画でも読んだ?」
「そんなことはいいんですよ」
「自分で振ったよね?」
「一昨日まで同じマンション住みだって知らなかったし、昨日の話の続きも聞きたいんです」
「あぁ、そういうこと。うん、いいよ」
「よっしゃ!」
香奈が大袈裟にガッツポーズをした。
「それじゃ、このお面置いてきますっ」
「あっ、うん」
どうやら、巧を驚かせられなかったことはすでに処理済みらしい。
巧が急ピッチで支度をして玄関を出ると、ちょうど香奈がエレベーターで下ってきたところだった。
そのまま一緒に一階まで降りる。
「ところでなんだったの? さっきのお面は」
「先輩をびっくりさせてやろうと思って」
「あれ何?」
「節分で使う鬼のお面です」
「季節の対極にあるもの持ってきたね」
今は八月上旬から中旬に入ろうというところ。ちょうど半年前だ。
「えっ、私がS極で先輩がN極ってことですか?」
「だとしたら逆じゃない?」
「何でですか?」
「僕は苗字の
「あっ、先輩。その言い方は〜?」
香奈がなんだかいやらしい笑みを向けてきた。
「……何?」
「もしかして、私の名前覚えてないんじゃないですか〜?」
「香奈でしょ」
巧は即答した。
「えっ?」
「香奈」
「ワンモアプリーズ」
「……香奈」
「はい、カーット!」
「何だったの」
「いーえ、何でもないですよー」
巧からすればわけのわからないやりとりだったが、香奈はなぜか上機嫌になっていた。
鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。
「この一見無駄に見えるやり取りが、のちに小さな魔術師という異名とともに日本サッカー界の歴史に名を刻む先輩の原点になるのです」
「漫画とかでよくあるやつね。じゃあ白雪先生は、今の流れからどう覚醒に繋げるおつもりですか?」
「うわっ」
香奈が露骨に嫌そうな顔をした。
「先輩。それはS極じゃなくて普通にSですよ。びしょハラですよ、びしょハラ」
「びしょハラ?」
「美少女ハラスメントです。美少女を
「マタハラを追いやるとは、世論に真っ向から立ち向かうじゃん。というか自分で美少女とか言わない」
「えっ……先輩は私のことをブスだって言うんですか……?」
「もちろん可愛いと思ってるよ」
香奈が本気でショックを受けているわけではないとわかっていたので、巧はぶっきらぼうに答えた。
「もう先輩ったら、恥ずかしがっちゃって〜」
「白雪さん、ハウス」
「はいっ、さようなら! ……って待って待って。帰らせないでっ!」
Uターンしかけてから、香奈が素早い動作で戻ってくる。
巧はボールをくわえて戻ってくる犬を連想したが、さすがに口には出さなかった。
「おかえり」
「ふぅ……先輩のせいで無駄に疲れました」
「もっと体力つけないと。マネージャーだって大変なんだから」
「大丈夫です。今日は少し寝不足なだけですから」
「何時に寝たの?」
「ピースピース」
香奈が写真撮影時のように、両手でVサインを作って満面の笑みを浮かべた。
「午前四時ね。日付超える前には寝ないと」
「無茶言わないでください。昨日で補習が終わったんですよ? 自分へのご褒美を与えないと。あと、先輩がどういう結論を出したのかも気になってましたしエレファントカシマシ」
「そういえばそれが聞きたいんだったね。昨日はありがとう。白雪さんのおかげで、すごいはかどったよ」
昨日、香奈には学校から三軍の試合のビデオを持ってきてもらったのだ。
彼女が夕方に実家に帰るまで、一緒にビデオを見て議論をしていた。
だからこそ、余計気になって眠れなかったというのはあるのだろう。
人間、中途半端なものは完結させないと気がすまない生き物だ。
アニメや漫画、読書を途中でやめられないのもそのせいだ、というのは余談である。
「いえいえ、補習のついでですから。それに、アイスももらっちゃいましたし」
「それは当然だよ」
あくまでついでだったとはいえ、彼女に業務外の仕事をしてもらったのだ。
「それで先輩、どういう結論でまとまったんですか」
兄の武勇伝を聞きたがる弟のように、香奈がキラキラと瞳を輝かせて急かしてくる。
「まだ理論の段階だから、これから改良を重ねていくけど——」
巧はそう前置きをした。
「——今までの僕ってさ、自分の能力以上のことをずっとやろうとしていたんだ。自分が人並みにできるの前提で判断してた。その前提を取っ払ったら、色々浮かんできたよ」
「ふむふむ」
「一昨日、白雪さんも言ったように、サッカーは個人競技じゃない。だったら自分の理想のプレーを追求するんじゃなくて、チームとしてやりたいプレーを、僕がみんなにやらせればいいんじゃないかって思ったんだ」
「先輩がコート上で指示を出す、ということですか?」
「もあるし、パス一つとってもメッセージって込められるじゃん。例えば、あえて少し後ろに出して落ち着かせたりとかさ」
「あぁ、はい」
「あとは——」
巧は他にもいくつかの具体例を挙げていった。
「全員が完璧な判断ができるチームならただのお荷物になるけど、さすがにそれはあり得ないからまだチャンスはある……というか、僕にはこれしかないと思ったんだけど、どうかな?」
「すごいです……細かくて理論的で、何より現実的です」
香奈が手放しで賞賛する。
「これを一日で構築するとは……やっぱり先輩は只者じゃありませんね。さすがは小さな魔術師です」
「魔術師は嬉しいんだけど、『小さな』って付けるのやめてくれない?」
「なら大きくなってください。あっ、でも先輩とは今くらいの身長差がちょうどいい気がするので、やっぱりそのままでいいです」
「何がちょうどいいのさ」
巧と鼻のあたりに香奈の脳天があるため、その差は十センチちょっとだろうか。
「なんでも、ですよ。とにかく、先輩なら絶対できるって信じてるので、頑張ってくださいね! トライアンドトライですっ」
「それは昔のテレビ番組ね。トライアンドエラーでしょ」
試行錯誤と同義だ。
「まあまあ、細かいことは気にしなさんな」
香奈が巧の背中をパンパンと叩いた。
「わお、先輩めっちゃ汗かいてますね」
「暑いからね」
「ちゃんと飲み物持ってきました?」
「もちろん。白雪さんは?」
「ふっふっふ。私を誰だと……あ、あれ?」
ガサゴソとカバンを漁り、香奈が焦った表情を浮かべた。
「忘れた?」
「や、やだなぁ。落ち着いてくださいよ先輩っ」
「君のほうが落ち着くべきだと思うけど。もう一回冷静になって探してごらん」
「了解ですっ」
無駄にいい返事をして、香奈がカバンを地面に置いてじっくりと中を探っていく。
途中で、彼女はハッとした表情になった。
「……思い出しました。玄関に置きっぱです」
「ドンマイ。ラーソンで買ってくれば? 待ってるから」
巧はすぐ近くのコンビニを指差した。
「すみませんっ、最速で行って参ります!」
そうは言ったものの、香奈は早歩き程度でコンビニに入って行った。
ふざけていても、最低限のマナーは守っているようだ。
このラーソンがあるということは、学校まではもう少しだ。
香奈と一緒にいられるところを見られるのは少々面倒だな、と思っていたところで、
「——あれ、巧じゃねーか!」
背後から声をかけられた。
巧はホッと息を吐いた。
「
一番見られても問題ない人物だった。
十分過ぎる実績と
全国常連であることもあって、
一年生からクラスメートで、席が前後だったこともあり、巧と誠治はすぐに仲良くなった。
巧としては部内の立場の違いから気後れしてしまう部分もあるのだが、誠治は良くも悪くも空気を読まない性格だ。
それが二人の関係には良い方向に作用しており、彼らはいつの間にか、自他ともに認める親友になっていた。
出会って早々、誠治はジッと巧の顔を
「……何?」
「お前、なんかあった?」
「何が?」
「前に会った時より、表情が活き活きしてるぞ」
「……まあね」
相変わらず勘は鋭いな、と巧は苦笑した。
空気読めない——というより読まない——人あるあるな気がする。
「コレか?」
誠治がニヤリと笑って小指を突き立てた。
「別に小指は詰めてないよ」
「ヤクザじゃねーんだから。そうじゃなくて、彼女でもできたのか?」
「違うよ」
「先輩ー!」
香奈が小走りで駆け寄ってくる。無事に飲み物を購入できたようだ。
誠治がチラリと視線を向けて、驚きに表情を染めた。
「……えっ、巧。マジ?」
「違うって」
「俺、邪魔か?」
「だから違うって。白雪さんにも迷惑だから」
「お、おう」
巧が鋭い視線を向けると、誠治は大人しく引き下がった。
「あれ、縢先輩?」
タタタ、と巧のそばに駆け寄ってきてから、香奈は誠治の存在に気付いたようだ。
彼女は「おはようございます」と笑みを浮かべた。
学校にいる時によく浮かべている表情だ。
「おう。お前ら、一緒に来てたんだな」
「たまたま会ったんだよ。ね、白雪さん」
「……そうですね」
香奈はなぜか不満そうにうなずいたが、誠治に気付いた様子はなかったため、巧も言及はしなかった。
◇ ◇ ◇
(私が不満を感じていることには気づいても、何でなのかはわかってないんだろうなぁ)
香奈は誠治と仲良さげに話す巧の横顔を見て、やれやれと息を吐いた。
「先は長そうだ……」
「えっ、何か言った?」
「いえ、何でもないです」
巧が気遣わしげな視線を向けてくる。
今はこれだけで十分か、と香奈は頬を緩めた。
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