第7話 美少女後輩マネージャーと夕飯を食べた

 完成した料理を並べて、たくみ香奈かなはダイニングテーブルで向かい合った。

 彼女は本当に怒っていたというよりはそう見せていただけのようで、食事をよそう頃には「うまそうですっ!」と瞳を輝かせていた。


「いただきます」

「いただきまーす! ……んー、うまいっ!」


 トマトスープを飲み、香奈がへにゃりと目元をほころばせた。

 口元は言うまでもなく緩んでいる。


「良かった。ありがとね、手伝ってくれて」

「こちらこそ、お邪魔して料理までご馳走になっちゃってすみません。ありがとうございます」


 香奈が箸とスプーンを置き、ペコリと頭を下げた。

 お調子者の一面はあるが、こういうところはちゃんと礼儀正しいのがこの少女の特徴だ。


 料理の感想などを言い合いながら食事を終え、洗い物も共同で手早く済ませた後、香奈は真剣味を帯びた表情で話しかけてきた。


「先輩」

「ん?」

「本当に辞めちゃうんですか?」

「……そのつもりだけど」


 巧が一呼吸おいて肯定すると、香奈が言葉を探すように視線を宙にさまよわせた。


「あの……先輩が辞めようと思ったのって、あくまで技術的なものですか? 部に居づらくなった、とかではなく」

「うん。みんなくらいの実力があれば、何があろうと辞めようなんて思わないよ」


 今度は間髪入れずに頷くと、香奈は考え込むように視線を下げてから、おずおずと問いかけてきた。


「……あの、これからすごく失礼なことを聞いてもいいですか?」

「いいよ」

「自分のやりたい形を貫き通して結果が出ないのと、一番やりたいことではないけど自分の得意分野を極めて結果が出るのだったら、先輩はどっちのほうがいいですか?」

「後者……かな。ある程度は結果が出ないと楽しくないし」


 だからこそ、巧も大好きなサッカーを辞めようとしているのだ。


「なら、別にいいんじゃないですか? 上手くならなくても」

「……えっ?」


 巧は目をパチパチとしばたかせた。何を言われたのかわからなかった。


「さっきも言ったように、先輩には先輩だけの武器があります。みんなと同じように頑張るのではなく、高い空間把握能力や精密なダイレクトプレーを最大限活かすような、先輩だけのプレーを探してみてもいいんじゃないかなって思うんです。金子みみずじゃないですけど、みんな違ってみんないい。何かに特化した選手でもいいんじゃないかって。サッカーは個人競技じゃないんですし」

「金子みみずじゃなくて金子みすずだけど……その考え方は頭になかったよ」


 目からうろことはまさにこの事だ。


 巧はこれまで、せめて周囲と同じレベルに到達できるように頑張ってきた。

 そうでなければ、個性を出すどころの話ではないと思っていたから。


「先輩はサッカーIQが高いですし、周囲の状況も瞬時に把握しちゃいますから、色々やりたいプレーが浮かんできちゃいますもんね」

「でも結局、理想に体と技術が追いつかなくてミスるんだけどね」

「はい。やりたいことはわかるなぁって場面が多かったですもん。でも、そんな先輩なら他の人が考えつかないような、あっと驚くようなプレーだって見つけられると思うんです」

「なるほど……」


 巧は顎に手を当てた。


「すみません。具体的な案も浮かんでいないのに、偉そうに言っちゃって」


 香奈が申し訳なさそうにポリポリと頬をかくが、とんでもないと巧は思った。

 今の数秒、数十秒で、彼の中には光が差し込み始めていた。

 具体的には、自分にしかできないプレー像が浮かび始めていた。


「いや、ありがとう白雪さん。僕にサッカーを続ける理由をくれて」

「……えっ?」


 目を点にした後、香奈が身を乗り出してきた。


「そ、それって!」

「うん。もう少しだけ続けてみるよ。できるかわからないけど、僕だけのプレーを探してみる」

「良かった……!」


 彼女の深みのあるルビー色の瞳から、再び涙が溢れ出した。


「えっ、ちょ、何で白雪さんが泣くのっ⁉︎」

「すみませんっ、安心しちゃって……だって先輩、部活辞めるって言った時、すごく辛そうな顔してたからっ……!」

「ちょ、こすっちゃダメだよっ」


 手の甲で目をゴシゴシこする香奈に、巧はハンカチを押し付けた。


 えぐえぐと泣きじゃくる彼女の涙は、なかなか止まってくれなかった。

 女の子に泣かれた経験など皆無の巧には、どうすればいいのかわかるはずもない。


「……白雪さん。大丈夫?」

「大丈夫じゃないですっ……誰のせいでっ、こ、こうなってると思ってるんですかっ……!」

「ご、ごめん」


 鼻をすすりながら、香奈が巧の腕を掴んだ。

 そのまま自らの頭に持っていく。


(……撫でろってこと……だよね?)


 心の中で自問自答してから、巧はゆっくりと手を動かした。

 香奈からリアクションはない。どうやら正しかったようだ。


 何だろうなこの状況、と思いながら、巧は香奈が泣き止むまで、彼女の頭を撫で続けていた。




◇ ◇ ◇




 ギャン泣きしたことが恥ずかしかったのだろう。

 ちょうど親も帰ってきたようで、香奈は熱でもあるのではないかというほど頬を紅潮させたまま、逃げるように巧の部屋を出ていった。


 謝ったほうがいいのか、でも具体的に何を謝ればいいのか、などと巧が頭を悩ませていると、香奈からメッセージが来た。


『すみません。お世話になったのに逃げ帰ってしまって……料理も美味しかったし、先輩が辞めないって言ってくれて嬉しかったです! 色々わがまま言ったり、迷惑もかけちゃってすみませんでした……』


 メッセージの途中にはハートマークが、最後には汗をかいた顔文字が付けられている。

 ハートマークがただの彩りのためで、愛情表現でないことは知っている。


 どうやら、怒ってはいないようだ。

 ならば、謝罪だけでなく謝意も送っておくべきだろう。


『こっちこそ、色々面倒見てもらっちゃってごめんね。白雪さんのおかげで、また前向きに考えることができるようになったよ、ありがとう!』


 送信すると、少ししてから既読がついた。


『良かったです! 先輩なら絶対できるって信じてますから、頑張ってください!』

『ありがとう。ぼんやりと思いついてはいるから、明日オフだし色々考えてみるよ』

『さすがです! ところで先輩。今朝のお話、途中だったじゃないですか。続きしてもいいですか?』


 巧が即座に返すと、香奈からもすぐに返信が来た。


 今朝の話とは、部活前に話したことだろう。

 たしかに、少し中途半端なところで終わっていた記憶がある。


『いいよ』

『やったー! マンチェスター・ダービーの前半途中の——』


 それから、巧と香奈はまるで隣同士で話しているくらいの速度で、まさしく「会話」をしていた。

 これならもはや電話したほうが効率が良いのではないか、と巧は思ったが、向こうは親もいるし、泣いた後に携帯越しとはいえ直接話すのは恥ずかしいかと思い、提案することはなかった。




 時刻が二十三時を回った頃に巧の送った『そういえば補習の宿題はやったの?』というメッセージを最後に、二人の「会話」は終了した。

 正確にいうと、香奈は『あとでやります!』と返してきたのだが、巧が『まずは宿題やっちゃいな』とさとしたのだ。


 泣きスタンプを連打してくる香奈に対して『また今度話そうね。おやすみ』と返して、巧はスマホの手放した。

 〇時前には床に就くことを習慣としている巧にとって、二十三時は電子機器を扱うデッドラインでもあった。


 ノートに思いついたことを殴り書きしていく。

 アイデアや思ったことなどを脈絡もなく書き起こした後、あとは明日やろうと自分に言い聞かせて、巧は布団に入った。




◇ ◇ ◇




 オフを挟んで二日後。

 巧が地元の友達のいない高校に進学した新入生のような——というにはいささか不安の色が強いが——心持ちで支度をしていると、インターフォンが鳴った。


(誰だろう。何も頼んでないはずだけど……ん?)


 真っ先に目に飛び込んできたのは、画面いっぱいの赤い鬼の顔だった。

 もちろん本物ではない。紙で作られたお面だとすぐにわかった。


 巧はその鬼の顔——ではなく、お面からはれ出している、お面よりも鮮やかな赤色の髪の毛を見ながら、


「おはよう、白雪さん。どうしたの?」

『……おはようございます』


 一拍置いて、とても不満そうな香奈の声が聞こえてきた。

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