第9話 練習で活躍した

 たくみはゆっくりと準備をしたいタイプだ。

 スパイクに履き替えたり、自分なりのルーティンをこなす時間も必要なため、学校はともかく部活は一番乗りな事が多い。


 しかし、今日は違った。

 学校で誠治せいじ香奈かなと別れて公園に到着すると、見知った人物がすでにスパイクに履き替えていた。


 同じく二年生の百瀬ももせまさるだ。

 一年生の時も今もクラスは違うが、お互いずっと三軍なこともあって仲は良好だ。

 方向が真逆なため登下校を共にすることは滅多にないが、放課後や部活帰りに共に寄り道することも多い。


「優、おはよう」

「おっ、巧——」


 優が駆け寄ってきた。


「——大丈夫だったか?」


 抽象的な問いかけだ。

 一昨日の練習試合後に武岡たけおかに退部を命じられたことだと、すぐにわかった。


「うん、全然平気だよ」

「……本当に大丈夫そうだな」


 優は安堵の息を吐いた。

 巧が武岡に詰められていたときには彼は帰路についていたが、その場にいた部員から話を聞いたようで、昨日もメッセージをくれた。


 一昨日だって、「負けたのは巧だけの責任じゃねえ。チーム全体の責任だ。あんまり自分を責めんなよ」と慰めの言葉をくれていた。

 もしかすると、今日早く来ていたのも巧を心配してのことかもしれない。


「色々気遣ってくれてありがとね、優」

「おう」


 彼は若干視線を逸らしつつ、照れくさそうに返事をした。頬は緩んでいた。


 巧も着替えを済ませ、二人で練習の準備を始めていると、続々と部員たちが集まってきた。

 中には、巧を見て驚きに表情を染める者もいれば、優と同じように安堵を浮かべる者もいた。

 そして、眉をひそめる者も。


 ほとんどは周囲にバレない程度にとどめていたが、一人だけ露骨に、眉どころか顔全体にしかめっ面を浮かべる人物がいた。

 巧を退部させようとした張本人、三軍キャプテンの武岡たけおかだ。


 練習中も巧の近くを通るたびに、周囲に聞こえないように舌打ちをしてきた。

 しかし、何かを言ってくることはない。


 監督の川畑かわばたや、一昨日は休んでいた副キャプテンの三葉みわの目を気にしているのだろう。

 そう思うと、あまり腹も立たなかった。


 また、三葉も話は聞いているようで、さりげなく声かけなどで巧を気遣ってくれていた。

 優や他の一部の部員、それに一昨日に優と同じように慰めの言葉をかけてくれた先輩マネージャーの愛沢あいざわ玲子れいこもそうだ。

 彼らのおかげで、巧は心に余裕を持つことができた。


 精神的な余裕は、プレーにも現れる。

 色々と自分のプレーを分析し、方針を立てた巧だが、ごちゃごちゃ考えても仕方ないため、目標を二つに絞った。

 なるべく簡単なプレーをすること。そして、味方をよく観察して彼らの強みを活かすことだ。


 それが功を奏したのか、巧は今までにないほどチームの力になっていた。

 ミニゲームの戦績などにも如実に現れており、チームメイトも「今日めっちゃ判断いいな」「ナイスアシスト」「まさに『巧』だなっ、ガハハハハ!」と口々に賞賛の言葉を浴びせてきた。


 反対に、調子を崩していたのが武岡だった。

 巧の活躍が気に食わなかったのだろう。

 どんどんプレーが雑になっていき、監督の川畑にも怒られていた。


「巧。その調子で続けろ」


 練習終わり、川畑はみんなの前で巧をそう鼓舞した。

 褒めるにせよ叱るにせよ、彼が特定の個人を名指しすることは滅多にない。巧の頬は自然と緩んでしまった。


 武岡は恨みのこもった視線を向けてきたが、幸い絡んでくることはなかった。




如月きさらぎ君?」


 練習帰りに寄っていたスーパーで声をかけられ、巧は振り返った。

 マネージャーの玲子だった。

 その細くて白い腕には、巧と同じようにカゴが下げられていた。


 巧の一つ上、高校三年生である彼女の家は、両親が共働きで忙しいらしく、夕食当番は彼女が受け持っているらしい。

 それでいて受験シーズンでもあるのに部活を辞めないのは、きっとサッカーが好きなのだろう。


 部員としてはありがたい存在だった。

 特に三軍のマネージャーとなると、やはりその情熱は一軍や二軍に劣る。

 今では、三年生で残っているマネージャーは玲子だけである。


「愛沢先輩、お疲れ様です」

「如月君もな。今日、めっちゃ良かったよ」


 自然と二人で買い物をする形になる。


「ありがとうございます。一昨日も、僕のせいじゃないって言ってくれて嬉しかったです。あのときは雑な対応をしてしまってすみませんでした」

「……いい表情になったな」


 玲子はふっと笑った。


「そうですか?」

「あぁ。寝起きの私と化粧した私くらい違うよ」

「寝起きの先輩を見たことがないのでわからないですね」

「ひどいよ。目はしょぼくれて、頬はパンパンにれて、髪はボサボサで」

「そうなんですか? あっ、牛乳いります?」

「ありがとう」


 玲子がピースをしたので、牛乳を二本取って彼女のカゴに入れる。自分のを取るついでだ。


「ボサボサの先輩はあんまり想像できないですね。生まれてこの方、きっちりした先輩しか見ていないので」

「あら、私きっちりしてる?」


 玲子がメガネをクイっと持ち上げた。

 端正な顔には、芝居がかったその所作はよく似合う。


「もちろん。知的な美人感全開です」

「如月君は相変わらず口がうまいな。でも君、香奈ちゃんと仲良いんだから、私なんてかすんでしまうだろう」

「そんなことありませんよ。お二人は全然系統が違いますから。クリロナとメッシ、ムバッペとハーランドです」

「ハーランドはやめてほしいな」

「でも髪の長さは一番先輩に近いんじゃないですか?」


 ハーランドは試合中はまとめているが、下ろせば肩よりも長い髪の毛を持っている、大型のストライカーだ。


「如月君?」


 玲子がにっこりと笑みを浮かべるが、目だけは笑っていなかった。

 百九十センチ越えのフィジカルモンスターに例えられれば、女性が気分を害するのは当然だろう。


「はい、ごめんなさい」


 巧は素直に頭を下げた。

 玲子がクスッと笑った。


「やっぱり君は面白いな」

「あんまり言われませんけど」

「それはみんなが如月君の面白さを引き出せていないだけだよ」

「先輩が特殊なだけだと思います」

「君って意外に毒舌だよな」

白雪しらゆきさんにも言われました」

「ほらな」


 玲子がクスクス笑う。


「今の君になら、言っても大丈夫かな」

「何がですか?」

「一昨日、君のせいで負けたわけじゃないって言ったの、アレ嘘でも慰めでもないよ」

「えっ?」


 玲子は真剣な表情を浮かべていた。冗談を言っているようには見えない。


「目立たないだけで、君はいつもいいプレーをしているよ。失敗の方が目立ってしまうだけで、前から確実にチームに貢献していた。少なくとも、私はずっとそう思ってたよ」

「先輩……」

「今日の君のプレーは、今まで日の目を浴びてこなかったいい部分を全面に押し出したものだったと思う。監督じゃないけど、今日の調子で続ければもっと上にいけると思う……って、すまないな。選手でもないのに偉そうなこと言ってしまって」


 あはは、と玲子が頭を掻いた。


「いえ、愛沢先輩はよくサッカーを知っている人ですから、そう言ってもらえるとすごく励みになります。ありがとうございます」

「……相変わらず後輩力が高いな、君は」


 そう言って巧を見る玲子の瞳は、とても優しかった。

 照れくさくなり、巧は視線を逸らして「どうなんでしょう」と頬をかいた。




 スーパーからの帰路は反対方向だ。

 半袖では腕をさすりたくなるような店内の冷気から一転、ムッとした外気を感じ取ったところで、巧は玲子と別れた。


 一昨日ずぶ濡れになっていた公園、そしてコンビニを通り過ぎれば、巧の住んでいるマンションはすぐそこだ。

 エレベーターが乾いた音を鳴らして二階に到着する。


「あれ?」


 一歩踏み出したところで、巧は足を止めた。

 見知った鮮やかな赤色が視界に映ったからだ。


「もう〜、待ちくたびれましたよ先輩〜」


 二〇四号室。つまり巧の家の前で、香奈が頬を膨らませていた。

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