第10話 先輩のものは私のものですよ

 どうせ親も帰ってきていないし、早くどうだったか聞きたくて待ってました——。

 たくみが自分を待っていた理由を香奈かなに尋ねると、そんな答えが返ってきた。


「も〜、せっかくシャワー浴びたのに、また汗かいちゃいましたよ」


 香奈が服の胸元をパタパタさせた。

 身長差的に、タイミングが合えば中を拝めてしまう。

 事故・・が起きないうちに、巧は視線を逸らした。


「自分の家で待ってれば良かったのに」

「だって驚かせたかったし、開始時間が同じなら、シャワー浴び終わったころには帰ってきてると思ったんですもん。スーパー寄っていたんですか?」


 香奈が巧の腕から下がっている袋に目を向けた。


「そ。というか白雪しらゆきさん。僕もこれから風呂入ろうと思ってるんだけど、どうする?」

「あっ、そっか。ならまた後で来てもいいですか?」

「もちろん。上がったらラインしようか」

「お願いしまーす! それではっ」


 香奈は敬礼をしてから去っていった。

 どうやらハマっているらしい。


 と思ったら、駆け足で戻ってきた。


「先輩!」

「どうしたの?」

「これからお風呂なんですよね?」

「うん」

「なら、またドライヤーさせてくれませんかっ?」


 香奈の目が、おもちゃを前にした子供のようにキラキラと輝いている。

 どうやら、巧の髪が好きというのは本当らしい。


「一応確認だけど、義務感ではないよね?」

「はいっ、普通に先輩の髪もふりたいです!」

「そういうことならお願いするよ」

「ぃよっしゃぁ! じゃ、上がったら教えてくださーい」


 再び敬礼をして、今度こそ彼女は去っていった。


(げんきのかたまりみたいな子だな)


 あれを見ただけで本当にHPが全回復する人もいそうだ、と巧は頬を緩めた。




 洗濯物を乾燥機付きの洗濯機に入れて回してから、お湯を沸かす。

 シャワーだけでもいいのだが、やはり湯船に浸かるのとそうでないとでは、疲労の回復具合が桁違いだ。


 生活の質の向上には金を惜しむべきではない、というのは父親である大樹たいきの言葉だ。

 そのために高校生にしては多めの仕送りをしてくれている彼には、感謝しかない。


 風呂から上がり、香奈にメッセージを送る。

 タイミングが良かったのか、彼女はすぐにやってきた。


「先輩、おそーい。待ちくたびれましたよー」

「そっか。またね」


 頬を膨らませる香奈を前に、巧は扉を閉めた。

 正確には閉めるそぶりを見せた。


「わあっ、ごめんなさいごめんなさい!」


 香奈が本気で慌てていたので、仕方なく家に入れてあげる。


 というより、巧も本気で怒っているわけではない……どころか少しも気を悪くしていない。

 香奈から仕掛けてきたたわむれに付き合っただけだ。


 それは彼女もわかっているのだろう。


「全くもう……心が狭いんだから」


 などとぶつぶつ言っている。


白雪しらゆきさん、ハウス」

「はいっ」


 香奈は嬉々とした表情でリビングに飛び込んだ。


「……ここ、君の家じゃないんだけど」

「先輩のものは私のものですよ」

「野球部に転入する?」

「おい巧先輩……サッカーやろうぜ!」

「多分混ざってるよね、それ」

「抑えられませんでした」


 香奈がエヘヘ、と舌を出した。

 その目が巧の頭に向けられる。


「では先輩、お待ちかねドライヤータイムですっ!」

「イェーイ」


 巧は適当に返事をしつつ、椅子に腰を下ろす。


「くぁー! これよ、これ」


 巧の髪を乾かし始めてすぐ、香奈が歓喜の声を上げた。


「仕事帰りに一杯やってる親父みたいだね」

「今だけは何言われても許しますっ」


 香奈は本当に楽しそうだ。


「将来、美容師とか目指したら?」

「嫌です」

「あっ、それは嫌なんだ」

「だって、私は先輩の髪を弄るのが好きなだけなので。知らない人の髪なんて触っても楽しくないですもん。清潔かどうかもわかんないし」

「なるほどね。僕の髪質が白雪さんのドストライクだったわけだ」

「……まあ、今はそういうことにしておいてあげます」

「えっ、なんか言った?」


 ドライヤーのせいで、普通の声量だと聞こえにくい。


「いーえ、何でもないですぅ」


 香奈がわざとらしく語尾を伸ばす。

 若干不機嫌になっている気がするのは、巧の気のせいだろうか。




「今回はマッシュにしてみました!」

「おー、いい感じ」


 ちょうど右眉の終わりあたりに分かれ目があり、そこより右の髪は右に、左側は左にそれぞれ流れている。


「イマドキの大学生っぽい」

「ですね! ま、先輩はお顔が可愛いので、ちょっと背伸びしちゃった高校生って感じですけどっ」

「……」


 巧は黙って香奈の顔を見つめた。


「な、何ですか……?」


 香奈が頬を染めた。ルビーのような深さのある瞳も、所在なさげに左右に揺れ動いている。

 凝視ぎょうしされているため、落ち着かないのだろう。


「いや……そういう白雪さんこそ童顔だよね」

「えっ、それ可愛らしいってことですか?」

「……否定はしないけど、釈然としない」


 同じ言葉でも巧にはマイナスの意味に感じられるのに、香奈はポジティブに捉えている。


「しょせん、男女平等なんて綺麗事なんですよ」

「そういうことだね」


 巧は立ち上がった。


「ドライヤーありがとう、白雪さん。気持ちよかったよ」

「本当ですか⁉︎」


 香奈がパァ、と瞳を輝かせた。

 巧は「本当だよ」とうなずく。彼女の手つきは優しい。少し眠気を覚えてしまったほどだ。


「じゃあじゃあ、これからもお風呂上がったら呼んでくれてもいいんですよ?」


 香奈がニヤリと笑った。

 これは揶揄われているのだろうな、と巧は解釈した。


「そんな召使いみたいな扱いはしないよ」


 遠回しに断りつつも、今度機会があったらこっちからお願いしようかな、などと巧は考えた。


(いや、あくまでこれは後輩としての彼女なりのスキンシップの一環だろうし……)


 やっぱり申し出てくれたときだけお願いしよう、と巧は思い直した。

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