第17話 美少女後輩マネージャーが三軍キャプテンに迫られていた

 咲麗しょうれいの職員室は、各部活の倉庫などの鍵を返しにくる生徒のために、一定の時間は外から直接出入りできるようになっていた。


「所持者が忘れていた鍵の存在に気づくとはさすが先輩……」


 無事に鍵を返し終えた香奈かなは、たくみの観察眼に感嘆の言葉を並べつつ、運動靴を履いた。

 陽が傾きかけてはいるが、まだまだ暑い。


「——おい、香奈かな


 職員室を出て少し歩いたところで、乱暴に呼び止められた。

 香奈は表情が歪むのを必死に堪え、笑みを浮かべた。


「何ですか? 武岡たけおか先輩」

「もうやることは終わっただろ。なら、どっか出かけるぞ」

「……はい?」


 香奈は眉をひそめた。

 一体、彼は何を言っているのだろう。


「えっと……出かけるって?」

「決まっているだろう。俺と遊ぶってことだ」

「あっ、いえ、遠慮させていただきます。先輩と帰る約束をしているので」

「……如月きさらぎか?」

「はい」


 香奈が「先輩」と呼ぶのは巧のみだ。

 彼以外の先輩は男性なら苗字に、女性なら名前に先輩をつけて呼んでいる。


「ふっ、香奈。お前もなかなか警戒心が強いな?」

「……何がですか?」


 香奈はだんだん苛立ってきた。

 マネージャーをしているときには常に笑顔でいようと心がけているが、それも崩れそうになっている。


 以前から、彼女は武岡にいい印象を持っていなかった。

 包み隠さずにいえば、嫌悪感を抱いていた。何せ、彼は巧を退部させようとした張本人なのだ。


 巧に武岡から退部を命じられたと告げられたとき、「本人が目の前にいたらぶち殺しています」と言った。

 さすがにそんなことはしないが、現場に遭遇していたなら殴りかかるくらいはしていただろう。


 今日の練習中も、しょうもない要件で呼び寄せられては巧との楽しい時間を中断させられ、香奈のフラストレーションはかなり高まっていた。

 それに加えて訳のわからない話をされれば、彼女が腹を立ててしまうのも無理はない話だろう。


 しかし武岡は、彼女が心の奥底を見抜かれて動揺しているのだと解釈した。


「ふっ、誤魔化さなくていい。お前はこれまで数多の低俗な男たちから狙われてきた。だから、何もできないヘタレな如月のそばにいるんだろう? 確実に安全だからだ」


 香奈は眉をひそめた。


(えっ、何言ってんのこのゴリラ)


 呆れられていることにも気づかず、武岡は得意げな表情で続けた。


「お前が俺を警戒するのはわかる。だが安心しろ。これまで合意なしに手を出したことはねえ。だからお前も警戒する必要はない。素直になれ、香奈」

「あの……本当に言ってる意味がわからないのですが。私は別に武岡先輩を警戒もしていませんし、結構素直にやってますよ」

「……なるほどな」


 武岡は低い声でつぶやいた。


(やっぱりこいつも、強引に迫られるのが好きみてーだな)


 ——彼は勝利を確信し、ニヤリと笑った。


「っ……!」


 香奈の背筋を悪寒が駆け巡った。

 武岡がこちらに向かって動いた——。

 そう彼女が理解したときには、目と鼻の先に武岡の顔があった。


「っ……⁉︎」


 彼はそのまま香奈の両の手首を掴み、さらに顔を近づけた。


「清純そうな顔して強引にされるのが好きなんだな、香奈は」

「はっ……⁉︎ ちょ、な、何してるんですかっ」


(えっ、はっ⁉︎ 何なのマジで!)


 校舎の壁を背に、香奈は必死に武岡を振りほどこうとした。

 しかし、百五十センチ台前半の女子マネージャーと、百八十センチを超える体躯たいくを持つ男子サッカー部員では、どちらが力比べで勝っているのかは明白だった。


 彼女にできる唯一の抵抗は、目一杯顔を背けることだけだった。


「言っただろ? 強引にはしねえ。素直になれよ、香奈」


 武岡がニタニタ笑いながら、香奈の耳元でささやいてくる。

 彼女は嫌悪感で全身を震わせた。


「おっ、耳が弱えのか?」

「ち、違いますっ、離れて!」


(怖いっ、気持ち悪い! 助けて先輩……!)


 香奈が心の中で叫んだ、まさにそのとき、


「——何をやっているのですか? キャプテン」

「……あっ?」


 武岡の力が緩んだ。

 香奈はその隙に彼の手を振りほどき、声の主——巧に駆け寄った。


「先輩っ!」


 涙を浮かべる香奈を見て、巧は優しく微笑んでうなずいた。


「もう大丈夫だよ。背中に隠れてて」

「はいっ……!」


(本当に来てくれた……!)


 香奈は巧の背中に隠れ、シャツをギュッとつまんだ。


「チッ、いいところだったのによ……目障りだ、如月。失せろ」

「キャプテンこそ引いてください。白雪しらゆきさんが怖がっています」

「はっ、ちょっと頼られたからって彼氏気取りか? そういう勘違い、女から一番求められてねーんだぜ?」


 武岡が小馬鹿にするような笑みを消し、巧を睨みつけて低い声で続けた。


「——香奈はてめーのモンじゃねー、今すぐ消えろ」

「勘違いしているのはキャプテンのほうです。彼氏気取りも何もない。後輩が困っているなら、それを助けるのは先輩として当たり前です」

「はっ、後輩じゃなくて困ってる女限定だろ? いるよな、お前みたいな女の子には何でもかんでも優しくすべきみたいな勘違い野郎。いいか? 女ってのは多少強引にされるのが好きなんだ。そこを理解してねーからお前は童貞なんだよ。なぁ、香奈?」


 香奈は呼びかけに応じず、巧の背中に隠れたままだ。


「……これでわかったでしょう。キャプテン、もうこれ以上白雪さんに絡まないでください」

「おいおい、勘違いすんなっつったよなぁ? 香奈が本気でお前みたいな雑魚になびくわけねえだろ。香奈は俺との駆け引きを楽しんでいるだけ——」

「勘違いしているのはあなたのほうです、武岡先輩」


 武岡をさえぎる香奈の声には、明確な怒気が含まれていた。


「……あっ?」


 ニヤニヤ笑っていた武岡の顔が歪んだ。


「……おい、香奈。如月を利用して遊ぶのも大概にしろ。あんまり俺をイラつかせるとどうなるかわかんねえぞ? これが最後のチャンスだ。素直になれ」

「……ハァ」


 香奈は大きなため息を吐いた。


「はっきり言わないとわからないのですか?」

「あっ? あぁ、お前は強引にされるのが好きなんだろ?」

「いえ、武岡先輩みたいな人、普通に生理的に無理なんですけど」

「………………はっ?」


 武岡が、まさに鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けな表情を浮かべた。

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