第16話 苛立つ三軍キャプテン

 部員とマネージャーが慌ただしく動き回っている。

 練習が終わり、後片付けをしているのだ。


 しかし一人だけ、それに加わらない男がいた。

 三軍キャプテンの武岡たけおかである。


(クソがっ、クソがぁ!)


 彼はベンチに腰を下ろし、ひたすら貧乏ゆすりを繰り返していた。

 表情は怒りで真っ赤に染まっていた。

 結局、武岡の率いるAチームは、今日の紅白戦で一勝も上げることができなかった。


 しかし、そんなことは今の彼には些細なことだった。

 その怒りは、最初のBチーム戦のたくみの得点に向けられていた。


(俺が如月きさらぎなんぞに点を取られた⁉︎ あり得ねえだろうが!)


 まだ試合に負けただけなら、巧には負けていないからと自分を保つことができた。


 だが、その巧に点を決められたとあっては、冷静ではいられなかった。

 少なくともその得点シーンに関しては、言い訳のしようもないほどの完敗だった。


 その後のBチームとの試合でも、巧を起点に何度もチャンスを創られた。

 武岡が翻弄されて得点につながったシーンも、一つや二つではなかった。


(そんなことあっていいはずがねえだろうが! あの如月だぞ⁉︎ あんな技術も身体能力もねえ雑魚に、俺がただやられるはずがねえ! そうだっ、他の奴らがクソすぎて、知らぬ間に足を引っ張られてたんじゃねーか⁉︎)


 武岡は、うまくいかなかった原因を周囲に探し始めた。


「おわっ⁉︎」


 香奈の悲鳴が聞こえた。武岡は顔を上げ、露骨に顔をしかめた。

 彼の視線の先では、巧が腕をお腹に回して背後から抱きしめる形で、前のめりになっている香奈を支えていた。


「っと……白雪しらゆきさん。大丈夫?」

「は、はひっ……!」


 巧に抱き起こされた香奈の頬は、自慢の赤毛すらもかすむほど真っ赤に染まっていた。


「テキパキと動いてくれるのはすごいありがたいけど、急いじゃダメだよ。白雪しらゆきさん、ただでさえおっちょこちょいなんだから」

「むぅ……またそうやってバカにする」


 香奈がむくれてみせる。

 巧に気を許して甘えている類の態度であることは、武岡も認めざるを得なかった。

 ——それを許容できるほど、彼の器は大きくなかった。


「最近、先輩のSっ気が加速して——」

「香奈!」


 香奈の言葉をさえぎり、武岡は大声で彼女の名前を呼んだ。


「は、はいっ!」


 香奈が駆け足でやってくる。

 これまでならそれで満足していたが、ただでさえ武岡の怒りのボルテージが最高潮だった。

 巧から香奈を引き剥がした程度では、到底満足できなかった。


(香奈が誰のモノなのか、全員にわからせてやるよ)


「香奈。実は試合前からふくらはぎの筋肉が張ってたんだ。マッサージしてくれ」


 香奈との肉体的な接触を見せつけて優越感に浸ろうとするのが、武岡の狙いだった。

 同時に、試合前から足に違和感があったとアピールすることで、自分の負けを正当化しようとする魂胆もあった。


「無理です」

「……はっ?」


 武岡は、何を言われたのか理解できなかった。


「……おい香奈。今、なんつった?」

「すみませんが、マッサージはできません」

「はあ? 理由を言え」


 武岡は香奈を睨みつけた。

 香奈はため息を吐くのを必死に我慢した。


「……筋肉は繊細ですし、特にふくらはぎは第二の心臓とも言われるほど大事な部分です。素人が無闇にいじれば、さらに悪化するリスクがあります。もし状態が良くないのなら、専門の方にやってもらってください」

「っ……!」


 武岡は言葉に詰まってしまった。反論の余地はなかった。

 しかし、ここで引き下がっては腹の虫が収まらない。


「なら、肩くらいなら——」

「白雪さーん!」


 今度は、巧が武岡の声を遮った。


「ちょっときてー」

「あっ、はーい! 武岡先輩、失礼します」

「おい——」


 武岡が呼び止める暇もなく、香奈はすっ飛んでいった。

 巧が香奈に何かを耳打ちする。彼女は嬉しそうに笑った。


(はっ、耳打ちをすることで親密さをアピールってか。ずいぶん必死だなぁ、如月)


 武岡はせせら笑った。

 実際には「困ってそうだったから呼んじゃったけど、余計なお世話だった?」「いえ、本当に助かりました」という会話が行われていたのだが、聞こえていない武岡は自分の都合の良いように解釈していた。


「おい、武岡。サボってないでお前も片付けをしろ」


 三軍副キャプテンの三葉みわが武岡に歩み寄り、苦言を呈した。


「あっ? 今日はずっと足が痛えんだよ。休ませろ」


 武岡が吐き捨てるように言うが、三葉は怯まない。


「歩けないほどじゃないだろう。コーンやマーカーくらいは片せ」

「……チッ」


 武岡は舌打ちをしたが、それ以上反論はしなかった。

 少しだけ足を引きずって見せつつ、彼はゆっくりとコーンやマーカーを拾い、乱雑に片付けた。


 親に怒られて渋々部屋の掃除をする子供みたいだ、と周囲は思った。

 わざわざ口に出す者はいなかったが。




 片付けが終わると、グラウンドの端に小さな集団ができていた。

 中心にいるのは香奈と巧だ。

 香奈が巧にプレーの意図について尋ねていると、彼の話を聞きに他の部員も集まってきたのだ。


「えっとこのときは……百瀬ももせ先輩がここにいたんでしたっけ?」

「ううん、まさるはここ。裏狙ってたよね?」

「おう」


 巧の確認に、優は表情を驚きに染めつつもうなずいた。


「何でそんなわかるんですか? 先輩、このとき逆向いてませんでした? はっ、まさか!」


 香奈が巧の髪の毛をいじり始める。


「……何してんの?」

「いえ、実はあと二、三個くらい目があるんじゃないかと思いまして」

「ガッハッハ! 巧ならおかしくないな!」

「いや、おかしいでしょ」


 大介だいすけの言葉に巧がツッコミを入れ、笑いが起きる。


「ただ首を振って状況を把握してるだけだよ」

「怪しいなぁ」

「好き勝手に髪型変えるのやめてくれない?」

「だって今の先輩の髪、めちゃくちゃ動きを出しやすいんですもーん。先輩だって別に髪型にこだわりないでしょ?」

「まあ、そうだけどさ」

「じゃあオールバックにしちゃいます!」


 香奈が巧の髪の毛を一気に立ち上げ、後ろに持っていった。


「おっ、巧似合うじゃん!」

「うむ。なかなか可愛らしいぞ、ガハハハハ!」

「ね、先輩可愛い!」


 真面目なサッカー談義のはずが、いつの間にか優、大介、香奈を中心とした巧いじり会になっていた。


(なんで香奈はあんな野郎とっ……いや、違うな)


 遠くから横目で観察していた武岡は、香奈の巧に対する過剰かじょうなスキンシップに苛立ったが、すぐに思い直した。


(香奈がああいうことをするのは、如月のことを男として見てねーからだ。男としての魅力がないからこそ、香奈のようなモテ女が気を許している。あの雑魚は一番の負け組で、香奈の恋愛対象である可能性は皆無だ。スタートラインにすら立ててねーのに自分が最も香奈と近いと思ってやがる。滑稽だな。こっちが恥ずかしくなるぜ)


 武岡は腕をさすってみせた。


(だが、不愉快なものは不愉快だな……待てよ。なら、今すぐにでも香奈を俺のモノにしてしまえばいいんじゃねえか?)


 武岡は気づいた。

 自分が香奈に対して、いつになく消極的になっていたことを。


(そうだ。女は強引に迫られるのが好きな単純な生き物だ。香奈もじっくりやらず、そうやってオトせばいい。俺はクソ監督に嫌われているせいで二軍には上がれねえだろうからな。香奈が三軍にいる今がチャンスだ。ククク、香奈が俺のモノになった後の如月の顔が見ものだぜ)


 どのタイミングで仕掛けるべきか、と武岡は考え始めた。

 すぐに絶好の機会がやってきた。


「そういえば白雪さん。その鍵って倉庫のやつ?」

「えっ……? あ、やばっ、返すの忘れてました!」


 道具を入れた倉庫の鍵は、練習が終わり次第速やかに職員室に返却する決まりになっていた。

 自主練をする者がいればその者が返すが、基本的にはマネージャーの仕事だ。


「ちょうどいいし、今日はこのくらいにしよっか」

「だね」

「うむ、有意義な話であったぞ!」


 巧の言葉に周囲が口々に同意する。

 陽もすっかり傾き始めていた。


「みなさん、ありがとうございました。またお話聞かせてくださいっ。それでは失礼します!」


 香奈が早足で職員室に向かう。


(クックック、まさかこんなに早くチャンスがやってくるとはな!)


 武岡は足音を立てないように、その後をつけ始めた。


 ただでさえ、距離が離れていたのだ。

 帰り支度を始めた巧たちに、武岡の行動に気づくことは不可能だった。

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