第82話 クールな先輩マネージャーの苦しみ

 花火大会の翌日、たくみ香奈かなはいつも通り練習に向かったが、会話は少しぎこちないものだった。

 そこには告白をした側と返事を保留にしている側という特殊な関係、そして初めての一軍に対する緊張など、さまざまな要因があった。


 それでも、二人の距離感が縮まっているのを感じ取るのは、さして難しいことではなかった。

 ——彼らのことをよく知っている者であれば、なおさら。


「はあ……」


 巧と香奈の後方を歩きながら、玲子れいこは思わずといった様子でため息を吐いた。


(私は意外と諦めが悪いのだな……)


 自嘲の笑みが漏れる。

 香奈には、巧との仲を応援していると言った。その言葉に嘘はない。


 しかし、まだ吹っ切れていないのも事実だった。

 れったい二人を前に、微笑むのではなくため息が漏れ出てしまうのがいい証拠だ。


 昨日、二人が花火大会に繰り出していたという情報も耳にしていた。

 たまたま行っていた友達が、「ねぇ、あの白雪しらゆき香奈かなちゃんが男と歩いてたんだけど!」と連絡してきたのだ。


 相手の特徴を聞かずとも、巧であることは簡単に推測できた。

 一途な香奈が、巧以外の男と出かけるはずがないからだ。


 ちょうど二人が会場にやってきたところを捉えたらしく、香奈がとびきりの笑顔で巧の手を引いていたそうだ。


(香奈ちゃん……もしかして告白くらいはしたのだろうか——)


「——愛沢あいざわ


 背後から声をかけられ、玲子の思考が中断した。三葉みわだった。


「三葉。久しぶりだな」

「あぁ。これまでは三軍で毎日のように会っていたから、余計久々に感じるな。それにしてもどうした? なんだか浮かない表情だが——」


 三葉は言葉を止めた。その視線は巧と香奈に向いていた。


「……あいつら、一軍に昇格したらしいな。せっかく二軍に昇格したのにすれ違いになってしまって、愛沢も運が悪かったな」


 三葉が励ますように言った。


 玲子は彼に、巧に告白してフラれたことを伝えていなかった。

 三葉は背中を押してくれた張本人であるため、いずれは伝えるべきだとわかっていたが、心の整理がついていない状態では話す気になれなかった。


 しかし、いや、だからこそ、彼の励ましの言葉は聞いていられなかった。


「だが、まだ諦める必要は——」

「やめてくれ」

「はっ?」


 三葉が目をしばたかせた。

 玲子は寂しげな笑みを浮かべた。


「すまない……まだ踏ん切りがつかなくて三葉には伝えていなかったんだが、実はもう告白をしてフラれてしまったんだよ」

「っ……そうだったのか……」


 三葉が息を呑んだ後、罪悪感を覚えたように眉尻を下げた。


「……すまない。俺が変に焚き付けたせいで、愛沢が辛い思いをした」

「それは違うっ」


 玲子は鋭く三葉の言葉を否定した。


「あ、愛沢?」

「あのとき、私は諦めきれていなかった。無理やり自分の気持ちに蓋をしていたら、きっと後悔していたよ。今も辛いことは辛いが、まったく後悔はしていない。三葉には感謝しかしていないさ。背中を押してくれてありがとう」

「……そうか」


 三葉が噛みしめるように言った。


「……お前は強いな」

「その強さは如月きさらぎ君には刺さらなかったようだがな……っすまない。八つ当たりをしてしまった」

「構わない」


 三葉は気にするなとでも言うようにふっと笑って見せた後、本来なら直進するはずの道を右に折れた。


「三葉? どこへ行くんだ?」

「ちょっと来い」


 三葉は玲子を公園まで連れて行くと、ベンチに腰を下ろした。

 玲子も座らせてから、彼は優しい口調で、


「無理に我慢するな。吐き出せ。俺が全部受け止めてやる」

「っ……!」


 玲子は息を呑んだ。


 三葉にも言った通り、後悔はしていなかった。

 告白をしたことも、その仕方も、タイミングも。


 それでも、フラれてからの日々は辛かった。

 諦めなければならないとわかっているのに、気がつけば巧を目で追ってしまっていた。彼への想いは鎮火するどころか、ますます強くなるばかりだった。


 巧と香奈の仲睦なかむつまじげな様子を視界に入れつつ平静を装うのも、覚悟していた以上に精神がすり減った。

 布団に入ると、自然と涙が溢れてしまっていた。誰も悪くないから、苦しかった。


 そんな状況下だったから、というのもあるだろう。


「ふっ……うぐっ……」


 玲子は意思とは関係なしに溢れ出す涙を抑えることができなかった。

 涙とともに、自らの抱えていた想いを全て吐露した。

 巧と香奈への想いも含めて、フラれてから抱えていたものを、全て。


 それは決して綺麗なものばかりではなかったが、三葉は表情を変えることも口を挟むこともなく、ただ黙ってうなずいていた。




 五分ほどで、玲子は泣き止んだ。

 涙と言葉で内に溜まっていたものを吐き出したことで、かなりスッキリしていた。


 しかし、心に余裕ができると、途端に羞恥が襲ってきた。

 彼女は頬を染めてはにかみながら、


「……すまない。情けない姿を見せたな」

「構わない。それだけ真剣だったということだろう? 俺はお前を尊敬するぞ」

「……ありがとう」


 玲子は視線を逸らしてしまった。


 三葉は不器用な男だが、その分言葉には真心がこもっている。

 ただでさえ少し変なテンションになっているときに、尊敬しているとまっすぐに告げられて、平常心でいられるわけがなかった。


「どうだ? 今日の練習後、気晴らしに甘いものでも食べに行かないか?」

「……行く」


 玲子は少し迷ってから承諾した。

 周りからは恋愛に興味のない淡白な人物であると思われていることもあり、彼女は巧が好きであること、そして告白をしてフラれたことを三葉以外には告げていなかった。

 三葉にも、自分から伝えたのではなく見抜かれただけだが。


「だが、いいのか? 三葉も勉強で忙しいだろう」

「それはお互い様だし、俺もたまには息抜きをしたいからな」

「そうか。なら付き合ってもらうとしよう」

「あぁ。誘っておいてなんだが、俺はまったく甘いものに詳しくない。愛沢はどこか心当たりはあるか?」

「うん。一軒、行きたいところがある」


 前にたまたま見つけた、まず女子高生が来るようなところではない古びた奥ゆかしいカフェだ。


「ならそこにしよう。今日は俺が奢るから、好きなだけ食べろ」

「待て、それはさすがに申し訳ない。三葉のおかげで一歩を踏み出せたし、今もすごくスッキリした。むしろ私が奢ろう」

「うるさい。こういうときは黙って奢られておけ」


 口調こそぶっきらぼうだったが、三葉なりの気遣いであることは玲子にもわかった。

 奢られるのが申し訳ないのに変わりはないが、頑なに断るのもなんだか違う気がした。


「……なら、お言葉に甘えるよ。その代わりと言ってはなんだが、三葉がフラれたときには私が奢ってやろう」

「いや、それは遠慮しておく」

「なぜだ」

「なんでもだ」


 三葉が先程よりもぶっきらぼうに答えた。


(男としてのプライドだろうか?)


 思っていたよりも素っ気ない三葉の態度に玲子は首を傾げたが、彼が口調に見合う渋い表情を浮かべていたため、それ以上は言葉を並べなかった。

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