第113話 独りよがりな王子様
——プレミアリーグ第十四節。
警戒はしていたが、幸い
「キャー、真くぅーん!」
「頑張ってー!」
グラウンドでの
しかし、それは所詮は氷山の一角。雑草を数本抜いたところで夏の庭が綺麗にはならないように、彼女らは依然として一大勢力であり続けていた。
巧は前半途中からアップをしていたが、ハーフタイムでの交代はなかった。
相手はリーグの中でも下位を争うチームだった。前半を終えて、
負ける未来は見えないが、あまりいいサッカーができているとも言えなかった。
攻撃の中心となっている真が、いつにも増して個人プレーに走っていたからだ。
ハーフタイムに
敵チームは明らかに苛立ち、荒いプレーが増えていた。特に真をマークしている六番は、審判から注意を受けるほどだった。
「相手もかなりイラついてますね」
「そりゃそうだろ。負けてる状態でまるでおちょくるようにドリブルされたら……監督。さすがにあれはよくなくないですか?」
「……そうだな」
選手たちからの声を受け、
「「「——キャアアアア⁉︎」」」
この世の終わりのような絶叫がその場に響いた。
真親衛隊のものだった。崇める王子様がとてつもないプレーをしたから、ではなかった。
彼はむしろ、された側だった。
ヘディングで競り合ったときに、相手に背後から頭突きを喰らったのだ。
「真⁉︎」
「
真は地面に伏したまま動かなかった。
巧は見た。頭突きをした相手の六番が、うつむきながらニヤリと笑ったのを。
「っ……!」
巧は拳を握りしめた。怒りがふつふつと込み上げてきた。
真のことは快く思っていない。
というより、彼ほど怒りと嫌悪感を覚えた人間は多くない。
だから、別に彼が怪我をさせられたことに対してはそこまで
(報復でもないのに故意に相手を怪我させるプレーは許せない……!)
「先輩」
香奈が巧の腕をポンポンと叩く。落ち着け、というジェスチャーだ。
巧は深呼吸をした。
「……ありがとう、
「いえ、さすがにあれはダメですよね」
「うん。ラフプレーへの報復ならともかくね」
サッカーにおいて、悪質なプレーに対して受けた側がやり返す報復行為の是非は度々議論されている。
巧は賛成派だった。抑止力にもなるし、ただやられているだけでは舐められてしまう。高校サッカーの頂点を目指すなら綺麗事だけではやっていけない。
以前に日本代表が誇るドリブラーの
それには多くのサッカーファンが称賛を送ったし、巧もその一人だった。
だが、今回のようにおちょくられただけで勝手にイラついて相手に故意に怪我を負わせる行為は違う。
そんなのは戦術でもなんでない。ただの暴力だ。
親衛隊がお通夜のような空気をかもし出す中、彼は
「——巧、準備しろ」
京極の言葉にベンチがざわついた。
これまで、中盤の四番手は広川だったからだ。
「っ……!」
広川に睨みつけられているのはわかったが、巧は特に反応しなかった。
「はいっ」
力強く答えてユニフォームに着替える。
「頑張ってください、先輩!」
「地に足をつけなさい」
香奈と
その他のほとんどのメンバーも、ポジティヴな声かけをしてくれた。
悔しそうな表情を浮かべつつも「頑張れ」と声をかけてくれるチームメイトの顔を見ると、より一層頑張らなければという気持ちがわいてきた。
真一派が悪目立ちするだけで、他はいい人たちばかりなのだ。
「おいおい、とんだヒョロガリが出てきたじゃねーか! こりゃ、もう一人怪我させちまうかもなぁ」
真を怪我させた相手の六番が、ニチャァと意地の悪い笑みを浮かべた。
巧は思わず睨みつけてしまった。
「っ……な、なんだよ!」
六番は息を呑んだ後、怯んだことを誤魔化すように大声を上げた。
彼の顔を見ていてもいいプレーはできない。巧はスッと視線を逸らした。背後から舌打ちが聞こえた。
(こいつがイラついてるのは明らかだ。あんまりボールは持たないほうがいいな)
デビュー戦から怪我はしたくない。
巧はいつもよりもさらに球離れをよくすることを意識した。
ワンタッチ、ツータッチで味方にさばいていく。
「おいおい、逃げてばっかりだな!」
六番が挑発をしてくるが、彼に一対一で勝つことを目標としていない巧は気にする必要のないものとして無視していた。
しかし、何も感じなかったわけではない。
表情にこそ出してはいないが、およそ同じサッカー選手とは思いたくもないマナーの悪さに苛立っていた。
相手にとっては皮肉なことに、それはいい方向に作用した。
怒りにより緊張が和らぎ、巧は普段通りのプレーができていた。
彼のダイレクトパスからチャンスにる。
得点にはつながらなかったが、いいプレーをすれば勢いにノれるものだ。
巧はいつの間にか六番への怒りも忘れ、ただただレベルの高いチームの一員としてのプレーを楽しんでいた。
あえて、敵の守備陣が食いついてくる距離でボールを要求する。
予想通り激しくプレッシャーをかけてきたところで、フリック——左足のインサイドでボールの軌道を変え、軸足である右足の裏を通す技——を決めてみせた。
ちょうど、一軍での初めての紅白戦で周囲の度肝を抜いたときと同じようなプレーだった。
パスの受け手も、そのときと同じく誠治だった。
巧がフリックをする直前から動き出していた咲麗の二年生エースストライカーは、落ち着いてネットを揺らした。
「三点差だ!」
「すげえフリックだっ」
「あのチビ、やるじゃねーか!」
「誠治も相変わらずいい動きだぜ!」
「決め切るのもさすがだな!」
観客も盛り上がった。
巧はますます楽しくなった。真も内村も広川もいないという安心感も、心理的にいい影響をもたらしていた。
「く、くそっ! のらりくらり逃げやがって!」
真にはおちょくられ、巧にはいなされ、六番の怒りは最高潮に達していた。
しかし、巧はほとんどボールを保持しなかったため、文字通り手も足も出せなかった。
六番がどんどんフラストレーションを溜めていることは巧も気づいていた。
人間は怒れば怒るほど、動きが単純になっていく。それを予測するのは難しいことではなかった。
広い視野で常に敵味方の動きを観察し続けている巧であったなら、なおのことだ。
巧がそれまでよりも六番に近いところでボールを受けると、案の定激しくプレッシャーをかけてきた。
「どうせすぐパスに逃げるんだろっ、もらったぁ!」
六番はパスカットすると見せて巧を削りにいった。
(やっぱり)
その動きを予想していた巧は、ボールを浮かせつつ自分もジャンプをして、六番の伸びてきた足をかわした。
「おお、うまい!」
「華麗にかわしたっ」
「おいおい六番、やられてばっかだなぁ!」
「ずっと荒いぞー、相手を怪我させる前にもっと練習しろ!」
「なっ……!」
巧に完璧に回避され、観客にも煽られた六番はたちまち真っ赤になった。
しかし、彼がその怒りを爆発させる機会は与えられなかった。
そのワンプレーからダメ押しの四点目が決まった直後、試合が終了したからだ。
六番は整列のときに巧の握手を無視した。
(まあ、そうなるよね)
巧は気にすることなく次の選手と握手をかわした。
無視してやった、とわずかに溜飲を下げていた六番は、自分が相手にされていないだけだと気づいて屈辱感に顔を歪めた。
「おいおい、デビュー戦だってのにめちゃくちゃ自然体にプレーするじゃねえか!」
「髪の毛さっぱりしたと思ったら心臓はモジャモジャだなっ」
「ナイスアシスト!」
チームメイトから口々に讃えられてはにかむ巧の脳内からは、もはや六番のことは消え去っていた。
クールダウンをしていると、今更ながらに一軍の公式戦に出場したのだという実感が湧いてきた。
心臓の鼓動が速くなる。
じっとしていられなくなった巧は、キャプテンの飛鳥に断りを入れて水道に向かった。
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