第112話 彼女を押し倒した
体育祭は赤組の勝利で幕を下ろした。
勝利の立役者となった
明日は公式戦——高校サッカー最高峰のリーグ戦であるプレミアリーグの第十四節——があるため、体育祭の後にも調整練習があるのだ。
巧は初めてのベンチ入りを果たした。前回のベンチ外組からの唯一の選出だった。
代わりにベンチ外となった
どこかの血管がはち切れるのではないかと心配になった。
練習が終わった後、真がすれ違いざまに、
「お前の代わりにベンチ外なんて、気の毒すぎて泣けてくるな」
「そうですか」
巧は平坦な口調で答えた。足は止めなかった。
(……あの録音があるのに、よくまだ絡んでくるなぁ)
そもそも録音のデータを握られてるの忘れてるのか。いや、それはないだろう。
だとすれば、あれが公開されれば立派なセクハラ案件にもなりかねないとわかっていないのか、挑発や悪口くらいでは巧が抑止力を手放さないと思っているのか。
後者だったら少し厄介だ。当たっているからだ。
しかし、嫌味を言ってくるだけで何もしてこなかったのは一つの安心材料だった。
巧が真に何かを
家に帰った直後に巧の家を訪ねてきた彼女は、ソファーに座って巧にぴとりと寄り添いながら、
「巧先輩、ああいう馬鹿は低い沸点を超えると、リスクとか先のこととか考えられなくなってアタオカなこと平気でしてきますから気をつけてくださいね」
「うん、わかってる。ありがとう」
巧は香奈の頭を撫でた。彼女は猫のように目を細めていたが、ふと不満げな表情を浮かべた。
「にしても先輩、私は選んだのに私のことは借りてくれませんでしたね」
借り人競争のことを言っているのだとすぐにわかった。
「ごめんごめん。さすがにお互いに借り合うのは目立ちすぎるかなって思って。ちゃんと香奈のことも尊敬してるよ。部活とか美容にストイックなところもそうだし、最近は勉強を頑張っているところもね」
「えへへ〜、巧先輩が褒めてくれるのが嬉しくって」
「っ……」
(可愛いなぁ、もう)
巧は湧き上がった愛おしさに従い、健気なことを言う香奈を抱きしめた。
嬉しそうに頬をすりつけてきたが、ふと思い出したように再び不満そうな顔をして、
「そういえば先輩。あのおっぱい先輩に借りられてましたね。手もつないじゃって」
「あっ、うん」
きたか、と巧は思った。
「自分の隣でズガガガって揺れるおっぱいに意識奪われたりしませんでしたか?」
「効果音が重量級すぎるって。大丈夫だよ。全然そういう意識はなかったから」
「本当ですか?」
香奈は疑わしげな表情だ。
「そんなに信用ないの?」
「だって先輩、むっつりスケベですから——んんっ」
巧は香奈の後頭部に手を添えて引き寄せ、唇を塞いだ。そのまま唇を
何回かしてやれば、彼女はとろんとした夢見心地な表情になった。
「これで信用してくれた?」
「ま、まだです……もっとやってくれないと」
「っ……煽るのが上手いね」
巧がさらに唇を喰んだり舐めたりしていると、香奈からも反撃が来た。
「あっ、はあ……!」
彼女がここまで懸命に自分を求めてくれている。テンションが上がらないはずがなかった。
巧はわずかに空いている隙間から、舌先を香奈の口内に侵入させた。
「んんっ⁉︎」
香奈が目を見開いた。
巧はじっと見つめた。いい? そう問いかけるように。
ルビーを思わせる瞳は潤んでいた。
香奈はサッと視線を逸らした後、おずおずと巧を見た。
その瞳の中に懇願するような色が見えた瞬間、理性が吹き飛んだ。
一気に舌を侵入させ、口内を
征服感がそのまま快感へとつながった。
「あっ、ああ……!」
香奈が切なげな嬌声をあげた。
巧のそこすでにはち切れんばかりだった。
やや乱暴に香奈をソファーに押し倒した、その瞬間。
近くに机に置いていた巧の携帯が軽快なメロディーを奏で始めた。
「「……あっ」」
巧と香奈は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
高まっていた緊張感が一気に霧散した。
「あの音楽、電話じゃないですか?」
「う、うん」
気まずさを感じつつ、巧は香奈から離れて携帯を手に取った。
さらに気まずくなった。
「どなたでした?」
「……お父さん」
香奈は爆笑した。
「出ちゃってください。あっ、私いないほうがいいですか?」
「ううん、大丈夫。ごめんね」
「いえいえー」
巧は食卓の椅子に腰掛け、電話に出た。
「もしもしお父さん?」
その様子を見ながら、香奈はそっと心臓を押さえた。
信じられないほど早く脈打っていた。ネズミにでもなった気分だ。
巧の瞳はかつてないほどギラギラしていた。男は狼。まさにその通りだと思った。
もしあのまま行為を続けていたなら、もしかしたら最後までシていたかもしれない。
(お互いのそこを弄りあったりして、最終的には巧先輩のモノが私のあ、あそこにっ……はぅ……!)
心臓が再び暴れ出した。頬が熱くなる。下腹部がうずく。
普段は冷静な彼が我を忘れるほど自分を求め、欲情してくれていたという事実が嬉しい。
しかし、押し倒された瞬間に芽生えた感情は、幸福感や情欲だけではなかった。
それらと同じかそれ以上に、恐怖も感じていた。
オスの部分を前面に押し出した巧も、自分のそこに男性のモノを入れられるという未知の経験も、怖かった。
どれだけ妄想はしても、まだ香奈の心は準備ができていなかったのだ。
「……えっ? いいよ別に……うん、いやまあそうだけどさ……わかった。ありがと、お父さん」
巧の声で、香奈は現実に引き戻された。
(いつもより幼いっ、可愛い……!)
巧は香奈といるときよりも誠治とじゃれているときなどのほうが幼いが、父と話しているときはそれ以上に子供だった。
先程までとのギャップで余計にそう感じているのかもしれないが。
「それで、今日はどうしたの? ……体育祭のエール? もう終わったけど……違うよ、明日じゃなくて今日だよ」
巧があはは、と笑い声を上げた。
どうやら大樹は明日が体育祭だと勘違いして、息子に激励の電話を寄越したらしい。
微笑ましい父子のやり取りに、香奈は自然と笑みを浮かべていた。
仲がいいとは言っていたけど、どうやらそれは香奈を安心させるための嘘ではなかったらしい。
それから少しして、巧は電話を切った。
「お父さん。体育祭明日だと思ってた」
「みたいですね。笑っちゃいました」
「なんか抜けてるんだよね、僕のお父さん」
「その血は息子にもすっかり受け継がれたみたいですね」
「おっ、言ってくれるじゃん」
巧が香奈の頭をうりうりと撫でる。
そこには先程までの性的な雰囲気は一切なかった。
——父との電話後に続きをしようとは、巧も思わなかった。
(さっきは本当に理性飛んでたな……気をつけよう。あと、携帯は鳴らないようにしておこう)
巧は二つの学びを得た。
二人はそれまでとは一転して、体を触れ合わせる程度の軽いスキンシップを繰り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます