第114話 同級生から告白された

「ふう……」


 頭から水を被る。

 真夏の水道水はそこまで冷たいわけではないが、それでも浴び続けているといくらか冷静になれた。


「——あっ」


 小さな驚きを含んだ声が聞こえた。


「ん?」


 たくみは髪の毛から水を滴らせながら振り向いた。

 クラスメートの山吹やまぶき小春こはるだった。


「山吹さん、こんにちは」

「こ、こんにちは! あの、試合見てましたっ。デビューとアシスト、おめでとうございます! すごくか、格好良かったです!」


 小春が頬を染めつつ、グッと拳を握りしめた。

 巧はタオルで髪を拭きつつはにかんだ。


「ありがとう。三軍とか二軍の試合も何回も見に来てくれてたし、山吹さんは本当にサッカーが好きなんだね」

「っ——」


 驚いたように目を見開いた後、小春はうつむいた。


「山吹さん? どうし——」


 巧は思わず息を呑んだ。

 勢いよく顔を上げた小春の顔は真っ赤だった。決意のこもった眼差しが巧を射抜いた。


「ち、違います!」

「えっ……何が?」

「だ、だからそのっ……サッカーが好きで何回も足を運んでいるわけじゃないんですっ。最初はそうでしたけど……今はき、き、如月きさらぎ君の応援のために来てるんです!」

「えっ——」


 巧は言葉を失った。


「わ、私っ、ずっと如月君のことが好きだったんです!」


 首まで真っ赤に染まった小春が腰を九十度に折り曲げ、巧に手を差し伸べた。


「どうかその……私とお付き合いしてくれませんかっ?」


 サッカーだけではなく、自分のことが好きで試合を見に来てくれていた。嬉しくないはずがない。


 しかし、巧に彼女の気持ちに応えることはできないのだ。

 頭を下げ、罪悪感とともに言葉を絞り出した。


「……ごめん。気持ちはすごく嬉しいけど、お付き合いすることはできないです」

「っ……!」


 小春が目を見開いた。メガネの奥の真ん丸の瞳から、涙がボロボロこぼれ落ちた。


「そ、そうですよね……私なんかじゃ如月君には釣り合わないですよねっ、変なこと言ってごめんなさい……!」


 小春は泣きじゃくりながら走り去ってしまった。

 巧に声をかける暇すらも与えずに。


 たとえその時間があったとしても、巧は何も言わなかっただろう。

 いや、言えなかったというべきか。


 釣り合わないなんてことはない。むしろ僕なんかじゃもったいないよ——。

 そんな言葉が脳裏に浮かんだが、何の慰めにもならないことくらいはわかっていた。

 むしろ、泣くほど真剣に告白をしてくれた小春を傷つけてしまうだろう。


 勝負の世界において勝者が敗者にかける言葉などないように、フった側がフラれた側にかけるべき言葉もまた存在しないのだ。


愛沢あいざわ先輩のときもそうだったけど、嬉しい以上に胸が苦しいな……)


「——巧」


 小春が去っていった方向をぼーっと眺めていると、背後から野太い声がかかった。

 監督の京極きょうごくだった。心配そうな表情を浮かべていた。


「大丈夫か?」

「あっ、はい。大丈夫です」

「ならいいが……何かあったらすぐに言えよ」

「はい、ありがとうございます」


(……本当に大丈夫そうだな)


 巧の笑みを見て、京極はホッと安堵の息を吐いた。

 彼は最近の部内で起こる問題を振り返り、生徒のためにも少しスタンスを変えることにした。


 上層部が気にしているのは、あくまで「咲麗しょうれい高校サッカー部」というブランドだ。

 対外的に問題になるほどの大事にならなければいいのだから、むしろ問題が初期段階のうちに対処しようと考え直したのだ。


「水でも浴びていたのか?」

「はい。今更ながらに一軍の公式戦に出れたことを実感してたかぶってしまったので、ちょっと気持ちを落ち着けていました」


 巧は小春に告白をされたことは言わなかった。言う必要もないだろう。


「試合中は実感がなかったのか?」

「そうですね……ただ試合に集中していたというか、頭にほとんど浮かびもしませんでした」

「ハッハッハ、やはりお前は大物だな!」


 京極がポンポンと巧の肩を叩いた。


「これからも精進すれば、お前は必ずすごい選手になれるな。あの軸裏を通したパスも圧巻だったぞ!」

「はい、ありがとうございます!」

「圧巻すぎて歪むかと思ったぞ、軸裏だけにな! あっ、今のはあっかんか、ハッハッハ!」


 京極は高笑いをしながら去っていった。

 巧はなんとも言えない気持ちになった。せっかくすごい選手になれると言われて胸が熱くなっていたのに。


(……まあでも、なんか気分は落ち着いたからいいか)


 さすがに京極もそこまで読んでいたわけではないだろう。

 彼が自分の親父ギャグに満足してツッコミすらも待たずに去っていくのはいつものことだ。


 様々な感情を込めて大きく息を吐き出してから、巧はチームメートの元へ戻った。




「いやぁ、あんなパスをデビュー戦でやるとはぱないですねっ、これはAV男優の話来ますよ!」

「……エロかったから?」


 サッカーでは——他のスポーツでもそうかもしれないが——おしゃれな技をエロいと表現することが多い。

 サッカー選手で言えば、元ドイツ代表のメスト・エジルなどがその代名詞だろう。


「正解です!」


 香奈がベッドの上で嬉しそうに飛び跳ねた。

 自室を見てみたいと言われたため、二人は珍しく巧の部屋に滞在していた。


 夏ということもあり、香奈は普段通り薄着だ。

 露出度はそこまで高いわけではないが、恋人とベッドにいるというだけで、邪な考えはどうしても浮かんでしまう。

 落ち着けと自分に言い聞かせつつも、巧は一応携帯を機内モードにしておいた。


「香奈——」


 話の途切れたタイミングで、巧は真面目な表情で彼女の名を呼んだ。


「なんでしょう」

「ちょっと話しておきたいことがあるんだけど、いい?」

「はい。山吹先輩のことですか?」

「……見てたの?」


 香奈がこくんとうなずいた。


「泣いて去っていくところだけですけど、何があったのかはそれだけ見ればわかりました。告白されたんですね?」

「うん……びっくりした」

「鈍感ですからねー、巧先輩は」


 香奈が半眼になって笑った。

 彼女のあからさまな好意に確信を持てていなかった巧としては、何も反論できなかった。


「どうせ教室でも無自覚モテムーブをかましてるんでしょう?」

「そんなことないと思うけど」

「あるから告白されたんじゃないですか?」

「うっ……」


 真っ当な指摘に、巧は言葉を詰まらせた。視線を逸らす。


「すみません。今のは意地悪でしたね」


 香奈がチロっと舌を出した。

 巧はその頭を撫でた。


「大丈夫だよ。ちゃんと断ったし、僕は香奈のことしか見てないから」

「……少しも心は揺れ動かなかったんですか? あのおっぱいを前にして」


 字面だけを見れば揶揄っているように思えるだろう。

 しかし、香奈は真剣な表情を浮かべていた。

 少なくとも、巧にはそう見えた。


「全然。確かにすごいけど、香奈の以外に興味はない……って、あっ、別にそういう変な意味じゃなくてっ」


 巧は慌てて付け足した。

 香奈がその顔を覗き込む。


 彼女はダボっとした服を着ていた。前屈みになった服の隙間から、谷間と盛り上がった赤色のブラが見えた。

 巧の視線は自然とそこに吸い寄せられた。


「変な意味じゃ、ないんですか?」

「いや、あの……」


 最愛の恋人の胸だ。変な意味でないはずがなかった。


「……そ、そういう意味ではあるけど」

「ふーん……」


 何やら考えるそぶりを見せた後、香奈はおずおずと、


「さ……触ってみたかったりします?」

「…………えっ?」


 巧の思考が停止した。

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