第228話 親友とその幼馴染がじれじれすぎて叫びたい

如月きさらぎ君はあそこからしら? 確か足は高くしておいたほうがいいのよね」


 冬美ふゆみが前にオットマンが備えられているソファーの席を指差した。

 たくみはうなずいた。


誠治せいじ、カバン近くに置いてもらっていい?」

「おうよ。ここでいいか?」

「うん、ありがと」


 巧がカバンを開こうとしたとき、冬美が言った。


「誠治、如月君が使う教科書類を出して並べてあげたら?」

「おっ、そうだな」

「えっ、いいよいいよ」


 巧は遠慮しようとしたが、


「いいのよ、如月君。普段から誠治には迷惑をかけられているのだから、こういうときくらいはこき使わないと不平等だわ」

「なんで冬美が言ってんのかとは思うが、こういうときくらいは頼れよ。一日でも早く治すためによ」

「うん。ありがとう」


 巧は頬を緩めてうなずいた。彼ら幼馴染コンビの気遣いは素直に嬉しかった。

 しかし、同時に本当に間に合うのだろうかという不安も浮かんできた。


 ネガティヴな感情は笑顔の下に隠したつもりだったが、勘の鋭い親友には気づかれていたようだ。

 大きな手が巧の頭に乗せられ、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられる。


「んな思い詰めても仕方ねーだろ。少しでもできることをやろーぜ。あとはなるようになるんだからよ」

「そうね」


 冬美も間髪入れずに同意した。


「如月君もこの単純思考は——単純思考は見習ったほうがいいと思うわ。結果は変えられないもの」

「おい、今わざわざ言い直す必要あったか?」

「さっさと勉強しなさい」

「理不尽すぎるだろ⁉︎」


 あまりにも雑な扱いに、巧は吹き出してしまった。


「どうしたのかしら?」

久東くとうさんの誠治の扱いが雑すぎてっ……!」


 誠治が我が意を得たりとばかりに何度もうなずいた。

 彼としては声を出さないことで隠していたつもりなのだろうが、冬美に頬を引っ張られていた。間接視野で捉えていたようだ。

 巧は腹を抱えて笑った。


「あー、笑った……でも、なんだかんだ久東さんも優しいよね。勉強もめっちゃ教えてあげてるし」

「幼馴染として最低限のことをしているだけよ。赤点を取らせたらおばさんにもサッカー部にも申し訳ないし」

「そっか」


 巧はそれ以上は追求しなかった。


(本来は誠治個人の問題のはずなのに、自分の問題と捉えているのがもう優しいんだよね)


 冬美の不器用さに、自然と笑みがこぼれてしまった。

 ジトっとした視線を向けられる。


「何かしら?」

「ううん、なんでもないよ。ほら、早く勉強しちゃおう。せっかくあの三人が買い物してくれてるんだし」

「……そうね」


 釈然としない表情を浮かべつつも、冬美は勉強の支度に取り掛かった。

 最近、彼女からの当たりが弱くなっているように感じられる。誠治の前では特にそうだ。


 意識的にか無意識的にかはわからないが、誠治に勘違いされたくないと冬美が思っているなら喜ばしいことだな、と巧は思った。




 各々問題を解き進め、冬美が一段落したところで誠治がわからない問題を尋ねるというのが彼らの勉強スタイルだ。


「冬美、ここわかんねーんだけど」


 誠治はノートを差し出しながら、苦笑いでぼりぼりと頭を掻いた。


「どれかしら? ……相変わらず字が汚いわね」


 冬美が眉をひそめて誠治のノートをのぞき込む。

 彼女の髪がふわりと揺れて、誠治の鼻先をかすめた。


(これ、冬美の……匂い?)


 甘い香りが鼻腔を刺激する。

 誠治はまるで動きを封じられたように体をギシッと固めた。


「自分用のノートならまだいいけれど、テストや提出物はもっと綺麗に書きなさい。この字では採点される前に読めないわ」


 冬美の冷たい一言に、誠治は慌てて視線をそらしながら「お、おう」と返事をするしかなかった。


「それで、この問題は——」


 冬美はノートを引き寄せると、さらさらとペンを走らせ始めた。

 几帳面な彼女らしい、大きさや上下の統一された綺麗な文字だ。


(綺麗だな……はっ、や、やべっ!)


 誠治は真剣な彼女の横顔に見惚れそうになり、慌ててノートに視線を集中させた。

 冬美は見られていたことに気づかなかったようだ。ペンを止めて確認するように読み直した後、特に表情を変えることなくノートを返してきた。


「こうすれば解けるわ。少し前にやった公式と似てるけど、見分け方も書いておいたからちゃんと頭に叩き込みなさい」

「お、おう……やっぱり冬美ってすげーよな」


 冬美の動きがピタリと止まった。


「な、何よ急に?」


 瞳を少しだけ見開いた彼女は、戸惑いの表情を浮かべていた。


「いや、学校の先生より全然わかりやすいしさ。さすがだなって」

「……別に普通よ。教える相手があなただから、わかりやすいようにしてるだけ」


 冬美はどこか言い訳めいた口調でそう言った後、バンとノートを叩いた。


「そんなことはいいからさっさと解き直しなさい。無駄口を叩いている暇はないのよ」

「お、おうよ」


 冬美に命令されるまま、誠治は再び問題に取り掛かった。




 数分後、誠治はノートを自信満々に冬美へ差し出した。


「どうだ? これは完璧だろ!」


 頬杖をついていた冬美がノートをちらりと見た。思わずといった様子でため息を吐いた。


「……違うわね」

「うええっ!?」


 誠治は素っ頓狂な声をあげた。今回は本当に自信があったのだ。

 冬美はノートを覗き込み、呆れたようにもう一度ため息を吐いた。


「また公式を間違えているわ。いい加減覚えなさい」

「うっ……悪い」


 誠治は肩を落とした。

 何度も教えてくれているところなので、さすがに申し訳なかった。


(そりゃ、冬美からしたらため息を吐きたくもなるよな……)


 落ち込んでいる様子の誠治を見て、冬美が三度ため息を吐いた。


「……仕方ないわね。癖になってるみたいだから、もう少し付き合ってあげるわ」

「えっ、マジで? お前、自分の勉強もあんだろ。そんなかかりきりになんなくていいぞ」


 誠治が慌てて言うと、冬美は顔を赤らめながらふいっと顔をそらした。


「べ、別にかかりきりじゃないわよ!」


 ピシャリと否定した後、気まずそうに咳払いをして言葉を続けた。


「ただ、今のうちに克服させておいたほうが、後で同じことを教え直す手間が省けるというだけの話よ。あなたのためではなく私のためなのだから、くだらないことは気にせずにさっさと覚えなさい。誠治は決して記憶力は悪くないけれど、一度間違って覚えてしまったものを矯正するのは時間がかかるのだから」

「あ、あぁ……そっか。サンキューな」


 誠治は照れくさそうに笑った。

 いくら鈍感な彼でも、さすがに彼女の言葉が自分に対する気遣いであることには気づいた。


(可愛いよなぁ)


 誠治は半ば無意識に、幼馴染の顔を見つめて微笑んでいた。


「っ……!」


 白色に戻りかけていた冬美の頬がサッと赤くなった。

 それを誤魔化すように、誠治の頬を手のひらで押して無理やりノートに向けさせた。


「ほ、ほら、よそ見してないで早く問題に戻りなさいっ」

「お、おう」


 誠治はどもりながら返事をした。

 好きな人の羞恥に染まった表情を目の当たりにして、高校男児が平常心を保てるはずもなかった。自分の発言によりそうなったのならなおさらだ。


「だ、だからそこが違うのよ」

「あ、そっか」

「もう一度この見分け方を見なさい」

「お、おう」


 お互いの視線が交差することはなく、会話もぎこちなかった。

 一見すると仲が悪そうに見えるが、そうでないことはほんのり染まった二人の頬を見れば明らかだった。


 ——そんな焦れったい光景を見せられて、巧はソファーで一人叫び出したい衝動に駆られていた。


(人の家で何やってるのって言いたいけど、多分二人ともこれが素なんだよね……あぁ、香奈かなたち早く帰ってきてくれないかなぁ)


 巧の切なる願いが聞こえたわけではないだろうが、ちょうどそのときに玄関の扉が開く音がした。


「ただいまですー!」

「おかえりー!」


 香奈の元気な声に、巧も同じように声を張り上げて答えた。


「お疲れ、ありがとねー」

「お疲れ様」

「サンキューなー」


 冬美と誠治も、場が仕切り直されたことでホッとしているようだった。


「あかりと百瀬ももせ先輩に手伝ってもらって結構買い込んじゃいました」

「そっか。ありがとう」


 意図を察した巧のお礼に、香奈は照れくさそうに笑ってピースをした。


 手洗いうがいを済ませた後に手際よく食材を冷蔵庫に仕分けしていく彼女と「ありがとねー」と当たり前にそれを受け入れている巧を見て、他の四人は思った。

 お前ら(あんたら)もはや夫婦だろ、と。

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