第229話 無自覚イチャイチャ
「
休憩していた巧の元に、
彼女は基本的に同学年であるあかりと教え合いながら——主に香奈が教わりながら——勉強していたが、そのあかりが集中している様子なので、代わりに休憩中の巧を頼ってきたのだろう。
「いいよ。英語?」
「はい。この文章の訳ってこれで合ってますか?」
香奈がノートを差し出してくる。爽やかなシトラスの匂いが鼻腔をかすめた。
ノート本体の香りではなく、近くに来た香奈のものだ。
友人たちが来ているため当然と言えば当然なのだが、今日はあまり彼女に触れることができていない。
無意識のうちに抱きしめそうになる腕をノートを持つことで抑制し、巧は意識を英文に集中させた。
「えっと……すごい、バッチリだよ」
「本当ですか? やった!」
香奈が
「巧先輩っ」
「ナイス」
巧が快く応じて手のひらを合わせると、香奈は花が咲いたような、それでいてくすぐったそうなを浮かべた。
その頭を赤子をあやすようにポンポンと優しく叩いて、
「うん。受動態もうまく訳せているし、言い換えのカンマもよく覚えてたね」
「えへへ〜、ちゃんと復習してますからっ」
「素晴らしいよ」
得意げに胸を張る香奈の髪を、毛流れに沿ってとかすように撫でてやる。
頭を触ること、そして触られることは、彼らにとってはなんでもない日常だった。
事実、香奈は目を細めて幸せオーラをかもし出しながらされるがままになっている。
背を向けている彼女と違って友人たちが視界に入っていた巧は、呆れたような生暖かい視線が自分たちに注がれていることに気づいた。
やってしまった、と思った。
さすがにハグやキスは自重するつもりだったが、よくよく考えてみれば頭を撫でるのもあまり人前でやるべき行為ではなかった。
(もはや呼吸と同じくらい自然になってるけど、ちょっと気をつけたほうがいいな)
居た堪れなくなった巧は、反省しつつ早々に切り上げた。
香奈が目を開け、不思議そうに巧を見た。
「よし、香奈。勉強に戻ろっか」
「えー、もう少し——」
不満そうにしていた彼女に目線でみんなに見られていることを伝えると、ピタッと言葉を止めた。
そろそろと振り返り、他の四人と目が合うと、その頬はみるみるグラデーションに赤くなっていった。
「あぅ……!」
羞恥心が限界を突破したようで、香奈はクッションに顔を埋めてソファーに倒れ込んだ。
巧は笑いながら、手のそばにダイブしてきたルビー色の頭をポンポンと叩いた。
((((そういうところだっつーの))))
見ていた全員が心の中でツッコミを入れた。それぞれが顔を見合わせて苦笑を交わし合った。
しかし、巧と香奈は自分たちがまたもや無自覚にイチャイチャしていることに気づかなかった。
一事が万事。慣れとは怖いものである。
◇ ◇ ◇
「みなさん、少し休憩しませんか?」
「おっ、いいじゃん」
「そうしましょう」
香奈の提案に、そこかしこから肯定の返事が上がった。
時刻は三時を回るところだった。
「お茶でも入れてきますねー」
「手伝うわ」
「手伝うよ」
香奈に続いて、
「いえ、二人とも座ってていいですよ」
「ううん、それくらいはやらせて。ずっと座っているのも疲れたし。冬美先輩、ここは任せてください」
「わかったわ」
三人では逆に邪魔になってしまうだろうと思い、冬美は素直に後輩に譲ることにした。
「じゃ、あかりに手伝ってもらおうかな」
「任せて」
香奈とあかりは並んで台所に向かった。
テキパキと準備をする香奈の背中に、あかりは何気ない口調で言った。
「さっきも言ったけど、香奈ってもはや奥さんだよね」
「そ、そんなことないよっ」
香奈は頬を赤らめてぶんぶん首を振った。
「あるよ。普通の彼女なら、彼氏の家でこんなにテキパキ動けないもん」
「……まあ、巧先輩一人暮らしだし、私も親が帰ってくるの遅いとき多いからね」
「確かに。環境的な部分は大きいかもね」
一定の納得感をみせたあかりに、香奈がホッと息を吐いた。
あかりが近づいてきて、小声で、
「——香奈、遠慮しなくていいよ」
「えっ?」
香奈はぴたりと動きを止めた。
「な、何が?」
「
他のみんなもいるし、そんなにイチャついたりはしないよ——。
香奈はそう言おうとして、やめた。説得力がないのを自覚していたというのもあるが、それ以上にあかりがそういう常識的なことを言いたいわけではないとわかっていた。
あかりがポツリと、
「ちょうど一週間前だよね」
「うん」
あかりが香奈にこれまで秘めてきた想いを告げた日だ。
彼女はいっそ懐かしがるような表情で続けた。
「あの日まではさ、本当に二人の絡みを見ているのも辛かったんだ。でも、逆にあれ以降は結構気が楽になったんだよね」
そう言って笑うあかりの表情は、まるで憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。
「……うん」
曖昧な返事をした香奈が心配を捨てきれていないことに気づいたのか、あかりは苦笑しつつ続けた。
「多分私は、香奈を好きなこと自体よりも、それを秘密にしていたこととか
あかりはそれまでよりも小さい、消え入りそうな声で続けた。
「その……ま、優君が手、握ってくれたし」
「……あら」
香奈は「可愛すぎるでしょ!」と叫びたいのをグッと堪え、それだけを口にした。
頬を染めてもじもじしているあかりは、表情も仕草も恋する乙女そのものだった。
彼女はしばらく恥ずかしそうにうつむいていたが、再び香奈を見たとき、その表情は真剣なものになっていた。
大事なことを言おうとしている顔だ。香奈も気を引き締めた。
あかりは唇を舐め、言葉を紡いだ。
「本人に向かって言うのもアレだけど、正直まだ諦めがついてない部分はあるよ。けど、その、思った以上に自分が優君のことを好きだってのも最近気づいたし、全部吐き出してだいぶスッキリはしてるからさ。だから、本当にこっちのことは気を遣わなくていいから」
「……わかった。ありがとね」
「こっちこそだよ」
あかりがくすぐったそうに笑った。一抹の不安を瞳に宿しつつ、
「香奈、これからも親友でいてくれる?」
「もちろん! ずっと親友だよ」
香奈は間髪入れずにうなずいた。
「ありがとうっ……!」
あかりは嬉しそうに笑った。瞳には雫がきらりと光っていた。袖口で目元を拭いつつ、
「前は自分を騙すために言ったけど、今度は正真正銘の本心だからね」
「おうよ」
香奈はわざとふざけてみせて、拳を突き出した。あかりが照れくさそうに自らのそれをコツンと合わせてくる。
なんだかおかしくなって、肩を揺らして笑い合った。
◇ ◇ ◇
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先輩に退部を命じられて絶望していた僕を励ましてくれたのは、アイドル級美少女の後輩マネージャーだった 〜成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになったんだけど〜 桜 偉村 @71100117
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