第131話 部室で彼女の唇を奪った

「……やっぱり複数犯だったんだね」


 たくみはソックスの近くで膝をついた。

 香奈かなが弾かれたように動き出した。


「カメラ——」


 カメラの設置されていた場所に向かった。

 ソックスが目に入ったときと同様に、ぴたりと動きを停止させた。


「か……白雪しらゆきさん、どうしたの?」

「……ないです」

「えっ?」

「カメラがないんですっ、犯人が気づいて回収したんだ……!」


 香奈が唇を噛みしめた。

 その瞳に雫が盛り上がった。


 巧はそのそばに立った。

 扉が閉まっているのを確認して、しゃくりあげる香奈の頭を撫でた。


「香奈、泣かないで。僕は大丈夫だから。元々複数人の仕業である可能性も考慮してたし、まだまだ捕まえるチャンスはあるんだからさ」

「はいっ、すみません……!」


 香奈は大きく鼻をすすった。

 巧がこんな悪意を向けられていることが悲しかった。自分が何も役に立てていないことが悔しかった。


 そんな状況下で巧本人に優しく声をかけられ、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまい、涙は止まるどころか勢いを増してしまった。


「うぐっ、ひぐっ……!」


 止めようとすればするほど、意思に反して涙は溢れてきてしまった。


 ——どうしたものか、と巧は思い悩んだ。

 もうすぐ五限が始まるし、長時間部室に二人きりでいたことがバレたら色々とよろしくないだろう。

 妙案が浮かんだ。


「香奈。これ見て」


 握った拳を香奈の目の前に差し出した。

 彼女が顔を上げたタイミングで、前触れなしに唇を奪った。


「っ……!」


 香奈は驚いて目を見開いた。巧は舌を口内に侵入させ、彼女のそれに絡めた。


「ん……んんっ……」


 香奈が対応し切る前に、唇を離した。彼女の頬はすっかり桜色に染まっていた。


「ちょ、い、いきなりっ……!」

「どう? 涙止まった?」

「っ……!」


 香奈が手の甲で口元を抑え、さらに赤面した。

 その瞳からは、もう透明な雫は流れてこなかった。


「……気遣ってくれたのは嬉しいんですけど、ちょっと強引じゃないですか?」

「それはごめん」

「許しません」


 今度は香奈から唇を押し当て、舌を絡めてくる。

 巧はあえてされるがままになっていた。後輩の彼女に口内を蹂躙じゅうりんされている感覚は、決して悪いものではなかった。


 いや、正確に言おう。

 自らの意思でこんなにも求めてくれていることが愛おしくて、嬉しくて、気持ち良くて、そして興奮した。


「ふふ、今度は巧先輩が抑えなきゃいけなくなりましたね」

「うるさい。意識させないで」


 結局、二人は五限目の授業に遅刻した。




 ——ボキッ。

 隣の席から、シャー芯が折れる音が聞こえた。巧が教室に戻ってから十五分間で四度目だ。


 隣人——冬美の横顔を盗み見た。どうしたのと聞くまでもなくキレているのは明白だった。

 ソックスの件に関して、事情を知る者たちにはすぐにメッセージで共有していた。


 巧はペアワークの際、答え合わせをした後に小声で、


「予測はしてたし、僕は本当に大丈夫だから」

「別にあなたのために怒っているわけじゃないわ。自分の見立てが甘かったことに苛ついているだけよ」

「シャー芯あげよっか——ごめんなさい」


 冬美に絶対零度の視線を向けられ、巧は慌てて謝罪した。

 そして先生が話を再開した直後、


「——いっ⁉︎」

如月きさらぎ君。遅れてきた上に奇声を上げるとはいい度胸じゃない」

「は、はい。すみませんでした」


 巧はペコペコと頭を下げた。

 久東くとうさんに脇腹をつねられました、とは言えなかった。

 ざまぁみなさいとでもいうように、冬美がニヤリと笑った。




 ——放課後。

 巧と香奈、誠治せいじ、冬美は一つの空き教室に集まっていた。


正樹まさきは共犯はいねえって主張してるみたいだな」


 誠治が携帯を見て忌々いまいましげにつぶやいた。

 京極きょうごくが正樹に仲間の有無を問いただしたようだが、いないの一点張りのようだ。

 それは練習着の切断等の他の部活関連の犯行についても同様だった。


「色々可能性は考えられるけど、正樹と同じ理論でいくと、とりあえずコレの実行犯はサッカー部員で間違いないとは思う」


 巧は足首の部分で切断されたソックスをつまんだ。

 ショックはあったが、ここにいるメンバーはもちろん、他にも自分のために動いてくれている人たちがいるという安心感がかなり精神的ダメージを軽減してくれていた。


「おそらく一軍の人ではないんですよね?」

「うん。前に練習着を部室に置いて行ったのと同一犯なら、ではあるけど」


 巧の練習着がズタズタに切り刻まれていた一件では、彼の仕掛けた罠により犯行時刻はある程度絞られていた。

 一軍のメンバーではまず不可能なタイミングだった。そのとき誰一人としてグラウンドを離れた者はいなかった。


 ついでに言えば、前に香奈に絡んでおり、巧に恨みを持っていてもおかしくないまこと親衛隊の中心人物三人もその時間内はずっとグラウンドにいた。


「そうね。嫌な想像ではあるけれど、練習着の実行犯以外は一軍にいてもおかしくはない。ただ、今回のソックスに関しては西宮にしみや先輩、内村うちむら先輩、広川ひろかわ先輩の三人は違うと三葉みわ先輩は言っていたわ」

「そうだね」


 少なくとも犯人の一人が一軍の部員ではなさそうだと判明した時点で、飛鳥あすか経由でそれぞれ二軍と三軍のキャプテンである二瓶にへいと三葉に協力を依頼していた。

 二人が犯人サイドであるはずがないというのは、京極や一軍マネージャー長の愛美まなみも含めた事情を知る者たちの総意だった。


「あの三人以外に一軍で如月君に恨みを持っている可能性のある人物がいるとは思えないわ。上のレベルであればあるほど、如月君のゴキブリ並みの生命力とアリ並みの努力は素直に認めて正しく評価できるはずだもの。あぁ、例えに対する批判は受け付けないわよ」

「先回りされた⁉︎」


 巧が愕然がくぜんとしてみせると、香奈がぷっと吹き出した。

 巧と冬美がホッと息を吐いたのは同時だった。


「まあ茶番は置いておくとして……でもそうなると、わりと候補はいるんだよね。二軍でも三軍でもそれなりに対立はあったし」

「対立というよりは嫉妬でしょうけどね」

「それは間違いないわ。そうでなければこんな卑怯な手は取らないもの。だからこそ、一刻も早く捕まえる必要があるわ」

「だな。でも具体的にどーすんだ? カメラの量を増やすか?」

「そうね。それはまず間違いなくやらなければならないわ」

「でも、逆に他にはあんまり打てる手なくないですか? 派手にやりすぎるとビビって尻尾を丸めちゃうかもしれないし」

「そうね……」


 議論が煮詰まったところで、携帯の通知音が鳴った。


「……ほえ?」


 真っ先に確認した香奈が、元々丸い瞳をさらに真ん丸にさせた。


「どうしたの?」

「……なんか、二瓶先輩が犯人捕まえたって」

「「「……はっ?」」」


 香奈以外の三人は、慌てて携帯を開いた。

 たしかに二瓶からの通知が届いていた。そこにはこう書かれていた。


 ——ソックスの実行犯捕まえたけど、どうすればええ?

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