第130話 沈着冷静な二年生マネージャーが拳を振るった

 なぜ今朝の正樹まさきの犯行の一部始終を収めた動画があるのか。

 それは、冬美ふゆみ誠治せいじ京極きょうごくに頼んで早めに学校を開けてもらい、正樹よりも前に教室に行ってカメラを仕込んでいたからだ。


 たくみは教室でやられたものに関しては、他学年や他クラスによる犯行は難しいだろうと言っていた。

 理にかなった考えだ。誰もいない他学年の教室に忍び込むのは怪しすぎるし、他クラスでも多少下がるとはいえリスクはある。

 普通に考えれば、一番簡単に犯行に及べるのはクラスメートだ。


 そこまでたどり着いた時点で、真っ先に容疑者として名前が上がったのが正樹だった。

 最近、妙に巧に絡まなくなっていたのだ。


 体育祭で格の違いを見せつけられたからではないのかという意見も出たが、体育祭以降も数日は絡んでいた。

 それが最近、ちょうど巧に対する嫌がらせが始まったころからぴたりと止んでいる。どう考えても不自然だった。


 だから物陰から普段よりも早めに登校してきた正樹を見たとき、冬美と誠治にはすぐに何かをしようとしているのだなと察しがついたし、彼が教室を出た直後に誰にもバレないうちに巧の机を掃除できたのだ。


「これはどういうつもりなのか、説明してもらいましょうか」

「し、知らねーよっ、なんだよこれ——ごふっ!」


 正樹は頬に衝撃を感じた。

 脳が揺れた。床に倒れ込んだ。


「この期に及んでしらばっくれるつもりかしら? 本物のクズね」

「おい、落ち着け冬美っ」


 頬を抑えて呆然としている正樹に詰め寄る冬美を、誠治は背後から羽交い締めにした。


「離しなさい、誠治。このゴミに情けをかける必要はないわ」

「情けじゃねーよ! これでお前まで罰をくらえば、巧が責任感じるだろーがっ」

「っ……」


 冬美がハッとなった。ふぅ、と自分を落ち着かせるように息を吐いた。


「……そうね。あなたの言う通りだわ。ありがとう」

「おう。お前がブチギレたから逆に落ち着いたわ。お前が冷静なままだったら俺が殴ってたぞ」


 フォローのための冗談ではなく事実だった。

 正樹がしらばっくれようとした時点で、誠治は拳を握りしめていた。単純に冬美が手を出すのが早すぎて先を越されただけである。

 彼女が我を失いかけていることに気づいたおかげで、落ち着きを取り戻すことができた。


「っ……!」


 ようやく我に返ったらしい正樹がその場から逃げ出そうとした。

 京極がその腕をつかんだ。


「おっと、逃しはしないよ。君には聞きたいことがたくさんある」


 京極の口調は静かなものだったが、瞳にははっきりと怒りの炎が燃えていた。

 隅に置かれていた椅子を持ってきて、正樹を座らせた。


 正樹はすっかり震え上がってしまい、されるがままだった。




◇ ◇ ◇




 誠治と冬美といういつものメンバーがいなくなった巧は、まさる大介だいすけと中庭で昼食を食べていた。二人から誘われたのだ。

 周囲に他の生徒はいない。いくら日陰とはいえ、まだまだ暑さの残る屋外に進んで出ようとする者はいないのだろう。


「二人とも、気遣わせてごめんね」

「あっ? 謝るとこちげえだろ」

「……黙っててごめん」

「おう」

「うむ」


 昨日、誠治が優と大介にも伝えておくべきだと主張した。


『逆の立場なら、後で全部知らされるなんて嫌だろ』


 誠治の言う通りだと思った。彼の口から伝えてもらった。


「ったく、昨日あの三人にも説教されたんじゃねーのか?」

「うん……香奈かなには泣かれた」

「そりゃそうだ」


 優が呆れたように言った。


「特に恋人とは信頼関係が重要であるからな。信じるだけでなく、信じて頼ることが大事だ」

「はい……おっしゃる通りです」


 大介のド正論に、巧はぐうの音も出なかった。


「俺らに対してもだぞ。ないのが一番だけど、もし今後似たようなことがあったときに誰にも相談しなかったらマジでぶん殴るからな」

「うん、わかってる」


 いつものように奢りという話にならないのが、優たちの本気度を示していた。


「まあ、すぎたことをグチグチ言っても仕方ねえからこんくらいにしといてやるけどさ。お前が一番の被害者だってのは間違いねえし」

「うむ、よく頑張ったな!」


 大介が巧の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「ちょ、子供扱いしないでよ」

「ガッハッハ! その言い方がもう子供っぽいのだ」

「……チッ」

「その反応もな」

「っ……!」


 優にも笑いながら指摘され、巧はそっぽを向いた。

 陽に照らされているわけでもないのに、その頬はピンク色に染まっていた。


「……もう知らない。優と大介なんて嫌いだ」

「ははは、悪かったって」

「うむ、反省しているぞ」

「絶対悪いと思ってないでしょ」

「んなことねえって」

「じゃあ、反省ついでに答えてほしいんだけどさ——」


 巧は弁当をベンチに置いて、二人を交互に見つめながら、


「正樹が何かした証拠をつかんだの?」

「「っ……」」


 優と大介が息を呑んだ。

 巧の指摘が当たっていることの証明だった。


 クラスメートは疑っていないようだったが、巧は「先生に手伝いを頼まれた」という冬美の証言が嘘だと見抜いていた。


「……よくわかったな」

「あの三人がピンポイントで呼び出されるのはちょっと不自然だし、何より久東くとうさんの雰囲気がいつもより鋭かったからね」


 ある程度の付き合いがなければわからないほどの変化だったが、冬美は滅多に表情を崩さない。

 相当怒っていたと見ていいだろう。


「……そうだよ。京極監督のところに連れてった」

「黙っていて悪かったな。言っても気分を悪くするだけだとみんなで判断したのだ。巧がどうしてもというなら案内するが」

「……いや、今はいいや」

「うむ。巧が望めば、後でいくらでも直接話す機会はあるだろう」

「うん、ありがとう」


 巧がはにかみながらお礼を言うと、優と大介が照れくさそうにうなずいた。




 巧は優と大介と別れた後、昼休みが終わるギリギリのタイミングで部室の様子を見に行った。

 四限が体育だったため、用具を片付けるついでに確認したが、そのときは何かされた形跡はなかった。


 部室に向かうためには一度靴に履き替える必要がある。

 昇降口へと向かう通路で、香奈とあかりに出会った。


 香奈は巧が部室に向かうつもりだと察したらしく、同行を申し出てきた。

 あかりは了承したものの、少しだけ不機嫌そうな表情を浮かべた。香奈からは見えていないだろう。


(親友を取られたみたいで嫌だったかな)


 巧は謝罪の意味を込めて目礼をしておいた。

 あかりはバツの悪そうな表情で軽く頭を下げた。


「昼休みには大丈夫で、そのクソ野郎は今も事情聴取を受けているんでしょう? 絶対大丈夫ですよ」


 香奈が明るい口調で言った。巧を励まそうとしているのは明らかだった。

 彼女はそれからもハイテンションで喋り続けた。


 これも以前に盗まれていたと思われる巧のソックスが、足首のところで切断された状態で部室の床に転がっているのを見るまでは。

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