第129話 犯人の違和感

「……泣いている彼を見たのは初めてだわ」


 最寄駅の改札をくぐったところで、冬美ふゆみがポツリと言った。


「俺もだ」


 誠治せいじは暗いトーンで同意した。


たくみなら絶対に諦めない、折れないって幻想を抱いていた。強さも弱さも理解してやらなきゃなんねーのに、俺はあいつの強い部分しか見てなかったっ……」


 誠治は拳を握りしめた。

 冬美が瞳を伏せた。


「……えぇ、私もそうだわ。異変には気づいていても、心のどこかで彼なら負けない、負けそうになったなら私たちに相談してくれるだけの強さがあると思っていたわ」

「俺らがそういうふうに考えていたから、よりあいつも相談しづらかったのかもしれねーな」

「そうね……理想を押し付けられることのしんどさは理解していたはずなのに」

「あぁ……」


 誠治も冬美も、幼いころから優秀な部類の人間だった。

 誠治はサッカーで飛び抜けた才能を見せていたし、冬美の聡明そうめいさは大人も舌を巻くほどだった。


 期待を寄せられるだけならともかく、「この子はこうあるべき」というような理想を押し付けられることも多々あり、辟易していた。

 そんな自分がされて嫌なことを親しい間柄の人間にしてしまっていたという事実に、二人は決して小さくない罪悪感を抱いていた。


「……でも、俺らがここでいくら後悔しても仕方ねーよな。まずは犯人を見つけることに全力を注がねーと」

「バかがりのくせに珍しく真っ当なことを言ったわね」

「おい」


 冬美は頬を緩めた。しかし、すぐに真剣な表情に戻した。


「誠治」

「おっ?」

「必ず犯人を見つけるわよ。何も悪いことをしていない、どころか誰よりも真摯しんしに部活に取り組んでいる人が嫌がらせを受けていい理由はないもの」

「ったりめーだ」


 誠治は試合中のような真剣な表情でうなずいた。


「早くとっ捕まえて締め上げてやる」

「半殺しまでよ。殺したら如月きさらぎ君が負担に感じるわ」

「さすがに半殺しまでもしねーよ」


 誠治は苦笑した。

 常識人のように見られがちな冬美だが、実際には誰よりもぶっ飛んでいるところがあるのだ。


「暴走すんなよ」

「お互い様よ。それに、もしそうなったらあなたが止めてくれるでしょう?」

「……まあ、そうだけどよ」

「じゃあ、何も心配いらないじゃない」


 冬美が頬を緩めた。


「っ……はぁ」


 誠治は彼女にバレないように息を吐いた。夜風がやけに冷たく感じられた。




◇ ◇ ◇




 ——週明けの月曜日の早朝。


「くあ……」


 一人の男子生徒が、あくびをしつつ咲麗しょうれい高校の校門をくぐった。

 二年A組の田村たむら正樹まさきである。


 教室には誰もいなかった。いつもは巧が一番乗りだが、サッカー部の朝練がないことは調査済みだ。

 チョークを手に取り、扉から顔を覗かせて左右を確認する。誰もいない。


「……よし」


 小さくつぶやき、一つの机の前に立つ。素早く乱雑に手を動かした。

 チョークの粉がついた手を払うこともせず、正樹は携帯を取り出すと机の写真をカメラに収めた。荷物を掴むと一目散に教室を抜け出し、男子トイレの個室に駆け込んだ。


 バクバクと素早く脈打つ心音を聞きつつ、携帯のメッセージアプリを開いて一番上のトークルームを表示させる。


 ——机に書いてやった。誰にも見られてなかったし、荷物ごとトイレに隠れたから絶対バレてねー。人が多くなってきたら教室戻るわ。報酬の件、頼んだぜ


 文を読み直して誤字脱字がないかを確認してから送信した。

 ニタリと笑ってから、思い出して写真も送信しておいた。


 そこに写っている机には、チョークで「死ね」「クズ」「学校やめろ」と書かれていた。




 トイレの外がガヤガヤと騒がしくなり始めたころ、正樹は何食わぬ顔で教室に戻った。

 眉をひそめる。教室の雰囲気が異常だったからではない。むしろ通常通りだったからこそ、違和感を感じたのだ。


(人の机に悪口書かれてんだぞ? 普通もっと深刻そうな空気になるだろ)


 正樹は巧の机に目を向け、目を見開いた。


「なっ……!」


 のチョークの文字は跡形もなく消されており、机の主である巧は誠治や冬美と談笑していた。

 落ち込んでいる様子は見られない。むしろ、週末よりもはるかに元気そうだった。


「おお、巧ー。顔色良くなったか?」

「うん。心配かけてごめんね。もうすっかり大丈夫だよ」


 さとるにも笑顔で答えている。空元気には見えなかった。


(俺の次に登校してきたやつが気づいて、すぐに綺麗に消しやがったのか……!)


 正樹はほぞを噛んだ。

 失敗した旨を先程のメール相手に伝えようとして、やめた。


(今回の報酬はこれまでよりも豪華だ。逃すわけにはいかねーだろ)


 正樹は自分のそれがイキリ立っていることが知られないよう、位置を調整してから寝たふりをした。




 昼休み。


「田村君——」


 正樹がいつも通りバスケ部の仲間と昼食を食べようとしていると、声がかかった。冬美だった。


「なんだよ?」

「先生が呼んでいるわ。手伝ってほしいことがあるそうよ。誠治もね」

「おっ? おう」

「んだよ、面倒くせーな」


 正樹は悪態を吐きつつ立ち上がった。

 ——自分を見る冬美の目つきが鋭くなったことに、彼は気づかなかった。


「誰だよ? んな面倒なことを言ってくるやつは」

「文句は直接言いなさい」

「……チッ」


 正樹はポケットに手を突っ込み、乗り気でないことをアピールした。

 自分と誠治が呼ばれるということは、てっきり力仕事だと思っていた。


 しかし、冬美に案内された教室には荷物どころか机一つなかった。あるのは隅に置かれている一つの椅子のみだ。

 ガランとした教室に、一人の大男が腕を組んで立っていた。


(たしか、京極きょうごくとかいうサッカー部の一軍の監督だよな? なんでこいつが一人待ち構えてんだ?)


 そこでようやく、正樹は不審に思った。


「わざわざ来てもらってすまないな」

「なんすか? 早く飯食いたいんすけど——はっ?」


 背後からカチッという音がして、正樹は眉をひそめた。

 誠治と冬美が前後の扉の鍵をかけた音だった。


「おい、どういうつもりだよ?」

「それはこちらのセリフよ。これはどういうつもりなのかしら?」


 冬美が携帯を正樹に突きつけた。


「あっ? なんだよ……なっ⁉︎」


 正樹は絶句した。

 携帯に映し出されていたのは、チョークで巧の机に悪口を書き込む今朝の彼の姿だった。

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