第128話 恋人というもの

「机の中は汚いわりに、部屋はきちんと片付いているのね」


 冬美ふゆみが部屋をざっと見回し、感心したように言った。


「まあ、それなりにね」


 たくみは簡潔に答えた。

 香奈が定期的に掃除を手伝ってくれてるから、とは言えない。


 時刻は夕方だった。

 夕飯はピザでも取ろうという話になり、四人はゲームを始めた。


 マルイージカートという、架空のキャラクターを操るレースゲームだ。

 単純なドライブ能力だけでなく、様々なアイテムを駆使して順位を競っていく大ヒット作である。


 最初のコースで、巧と冬美は暗黙の了解で誠治にアイテムというアイテムをぶつけた。


「んにゃろっ……おい、お前ら俺を攻撃するときだけ全面協力すんじゃ——おおっ?」


 ——ガシャーン!

 三つの車体がシュン、と小さくなった。香奈が雷を落としたのだ。


 車体が小さくなっている間は、スピードも減速してしまう。

 その隙に最後尾からごぼう抜きにした香奈は、そのまま一位でゴールした。


「かみなり漁夫の利一番乗り〜!」


 香奈がイエーイ、とピースをした。

 巧と誠治、冬美は顔を見合わせてうなずき合った。


「ちょっと舐めた後輩にはわからせておく必要があるかな」

「そうね」

「だな」

「待って待って! みなさん落ち着いて」


 香奈が焦りの表情を浮かべてなだめようとするが、巧たちは一切妥協するそぶりを見せなかった。

 そしてレースが始まった直後——、

 巧はをステージ脇の氷水に突き落とした。


「……なるほどね」


 冬美の眼光が鋭く光った。

 獲物を前にした獣のような表情を横目で確認し、巧は頬を引きつらせた。


如月きさらぎ君、覚悟しなさい」

「待って待ってごめ——」

「言い訳は聞かないわ」


 戦闘モードに入った冬美のアイテム命中度はすさまじかった。

 すべてに必中効果が付与されているのではないかと疑いたくなるほど高精度の攻撃を受け、巧は単独最下位に転落した。


 しかし、前の三人がお互いを潰しあっているうちにじわじわと這い上がり、アイテムを当てて冬美を抜き去った。


「……さすがの生命力ね」


 冬美が不敵な笑みを浮かべた。


「おら、かがり先輩っ」

「おわっ? 白雪しらゆきこんにゃろ——うおっ⁉︎」

「バイバイ誠治」

「巧てめえ!」

「さようなら」

「おいこら冬美っ」


 三人に次々とアイテムをぶつけられ、首位を走っていたはずの誠治はいつの間にか最下位になっていた。

 一位香奈、二位巧、三位冬美の順で最後のコーナーを曲がったところで、香奈がインコースを攻めて地面に置かれていた罠に引っかかった。


「のわ⁉︎ 先輩っ……!」


 香奈が巧を恨めしげに睨みつけた。

 罠は彼が仕掛けたものだった。その証拠に、彼のキャラクターは喜びの声をあげている。


「白雪さんらしいね」


 巧は涼しげに笑い、一位でフィニッシュした。

 香奈のキャラがもたついている間に、冬美が二位に浮上した。


「あっ、フユミン先輩待てー!」

「誰がフユミンよ。それに、あなたは前より後ろを見なさい」

「えっ? ——ほわぁ⁉︎」

「じゃーな!」


 誠治が油断していた香奈にアイテムを的中させ、冬美に続いて三位でフィニッシュした。


「くっそ〜!」


 香奈が地団駄を踏んだ。


「最後の最後まで一位だったのにっ……この場で唯一の後輩に花を持たせてあげようとは思わないんですか?」

「うん、まったく」


 巧は首を振り、にっこりと笑った。


「二年生が過半数のこの場は先輩至上主義だからね」

「最大多数の最大幸福よ」


 冬美も続いた。

 誠治があっ、と声を上げた。


「それ覚えてるぜ、ペンシルの言葉だろ」

「それはただの鉛筆じゃない。ベンサムよ。さすがは『ば縢』ね」

「噛み終えたガムの味とかまだ味わうもんね。噛み終えたーガームーの味ー」

「あっ、馬と鹿か。うまい!」


 香奈がポンっと手を叩いた。


米津よねづさんの歌がどうしたんだ?」

「「「……はあ」」」


 馬鹿うましかでばかと読むのを知らない誠治に、三人は同時にため息を吐いた。


「おいコラ、なんかバカにされたのはわかったぞこのヤロー」


 誠治が巧の首に手を回した。


「何で僕だけ……!」

「後輩の女子にやるわけにはいかねーし、冬美は十倍返ししてくんだろうが」

「たしかに」

「それで納得しないでもらえるかしら」

「「ごめんなさい」」


 誠治と巧の息の合った謝罪に、香奈が吹き出した。


「タイミングドンピシャすぎてしんどいっ……しかも今、縢先輩謝る必要ないじゃないですかっ……!」


 腹を抱えてヒィヒィ笑う彼女に毒気を抜かれたのか、冬美もふっと柔らかい表情を浮かべた。


「っ……」


 首に手を回されて密着した状態だったため、巧には誠治の動揺が手に取るようにわかった。


(たしかに久東くとうさんっていつも涼しげな表情な分、ああいう顔したときの破壊力すごいよね)


 内心でうんうんとうなずきつつ、誠治を肘でチョンチョンと突いた。


「……てめえ、完治したら覚えとけよ」


 やっぱり僕の親友って優しいな、と巧は思った。




 夕飯は予定通り、出前のピザを取った。

 今朝方に行われていた海外サッカーの試合を観戦しながら食べた。


 試合が終わるころには九時になっていた。

 誠治と冬美が帰った後、巧と香奈は並んでソファーに座った。


「巧先輩、大丈夫ですか?」


 抽象的な問いかけだったが、何がと問い返す必要はなかった。


「うん。みんなのおかげで今は結構スッキリした気分だよ。ありがとね」

「お二人とも優しいですよね。家が近いわけでもないのに、こんな時間までいてくれるって」

「本当にそうだと思う」


 巧が顎を引くと、香奈は悲しそうに瞳を伏せた。


「……やっぱり、私じゃ頼りないですよね……」

「えっ?」

「冬美先輩みたいに冷静に対応できないし、縢先輩みたいに真っ直ぐじゃないし、一番そばにいたのに何もできなかったし……私なんかじゃ安心して寄りかかることなんてできませんよねっ……」


 香奈の声は震えていた。その瞳には透明な雫が盛り上がっていた。


「そんなことないよっ、香奈のことはいつも頼りにしてるから」

「じゃあ何でっ、全然頼ってくれないんですか⁉︎」


 叫んだ香奈の瞳から、大粒の雫がポタポタとこぼれ落ちた。


「香奈……」

「これまでも、自分から相談してくれたことなんてほとんどないじゃないですかっ……それはつまり、私のことを頼りにしてないってことじゃないんですか⁉︎」

「違う、それは違うよ。ずっと香奈のことは頼りにしてるし、これまで何度も助けられてきてる。そもそも僕が今もサッカーを楽しめているのは香奈のおかげなんだから」

「でも、今回だって一軍で心ないヤジを飛ばされてたときだって、一言も助けを求めてくれなかったじゃないですかっ……!」

「それは心配をかけたくないっていうのもあったし、それにその……」


 巧はポリポリと頬を掻いた。


「男のプライドっていうか、香奈には格好悪いところを見せたくないって思ってたんだよ」

「えっ……?」


 予想外の言葉だったのか、香奈が目を見開いて固まった。


「好きな女の子の前では常に格好良くありたいから……だから、何も言わなかったんだ。決して、香奈が頼りないからじゃないよ」

「……それ、本当ですか?」

「本当だよ。彼女としてもマネージャーとしても、香奈のことは本当に頼もしく思ってるから」


 巧は香奈の瞳を真っ直ぐ見た。

 彼女は巧の胸に顔を埋め、


「……私だって、できれば巧先輩の前では常に明るく可愛くいたいですよ」


 どこか拗ねたような口調だった。

 香奈は巧を上目遣いで見上げて、


「でも、そういう弱さとかも正直に打ち明けて支え合っていくのが恋人じゃないんですか?」

「うん、本当にその通りだと思う。香奈には頼れって言ってるのに、自分がされたら嫌なことをしちゃってた。自分のことしか考えてなくてごめんね」

「……別に、そこまで言うつもりはありませんよ」


 香奈が不満そうに唇を尖らせた。


「巧先輩がいつも私のことを考えてくれているのはわかってますし。でも学校でも言いましたけど、頼られたり相談されたりするのはちっとも迷惑じゃありませんから。私が西宮にしみや先輩関連のこととかで私が相談してたとき、迷惑に感じてましたか?」

「ううん、まったく。むしろ頼ってくれて嬉しく思ったよ」

「じゃあ、もし私が全部一人で抱え込んでいたら、どう感じますか?」

「悲しいし、やるせなくなっちゃうと思う」

「そうですよね——私も同じなんですよ」

「うん、ごめん」


 巧はそっと香奈を抱きしめた。


「……すみません。面倒な女で」


 香奈はバツが悪そうに言った。

 巧はその髪の毛を撫でながら、


「そんなことないよ。自分の気持ちを正直に打ち明けてくれるのってすごく嬉しいことだから。これからは僕も変に格好つけないで、遠慮なく頼ったり相談したりさせてもらうよ」

「ぜひそうしてください。巧先輩は格好つけなくても格好いいですから」

「ありがとう。これからもそう思ってもらえるように頑張るよ」


 巧はその華奢な体をギュッと抱きしめた。香奈もその背中に腕を回した。

 体を離して顔を見合わせ、二人は照れ臭そうに笑い合った。

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