第55話 二人の先輩マネージャーに誘惑された

如月きさらぎ、ちょっといい?」


 そう言ってたくみの前に立ち塞がったのは、マネージャーのミーティングに参加しているはずのアキと華子はなこだった。

 そうでなくとも香奈の悪口を言っていた張本人たちであるため、巧は警戒を強めた。


「なんでしょう?」

「ちょっと着いてきて」

「それは構いませんが……先輩たちはミーティング中ではないんですか?」

「そうなんだけどね。でも、それよりも大事な用事なの。ちょっと来て」


 行きたくない、というのが巧の本音だった。

 しかし、それ以上に彼女たちの狙いを知っておきたかったので、着いていくことにした。


「わかりました。ただすみません。ちょっと漏れそうなので、トイレだけ行かせてもらってもいいですか?」

「別にここで立ちションしてもいいけど」

「そんなことはしませんよ」


 巧はニコリともせずに首を振った。




「こっち」


 トイレから戻ると、彼女たちは足早に歩き出した。

 連れて行かれた先は、三階の空き教室だった。


 夏休み中は特に、滅多に人の来ない場所だ。

 まさか殴りかかられるのか——。

 巧は逃げ出しやすい体勢をとったが、彼女たちの狙いは違った。


「ねぇ、如月……」


(……はっ?」


 巧の目が点になった。

 それはそうだろう。何をされるのかと警戒していたら、二人の先輩マネージャーがいきなり服を脱ぎながら迫ってきたのだから。


 華子はポロシャツのボタンを外して白い生地に紫の花が描かれているブラジャーと深みのある谷間を、アキに至ってはズボンを引っ張って赤色のパンツを見せつけてきていた。

 どちらも顔は整っているし、発育もいい。


 しかし、巧は何の興奮も覚えなかった。ただただ混乱していた。


「……何をしているんですか?」


 しかし、そんな巧の反応を、アキと華子は平静を装っているだけだと解釈した。

 目的は巧を嵌めることではなく、彼にハメてもらうことで香奈に精神的攻撃をすることなので、彼女たちにとっても目撃されるのは都合が悪い。

 さっさと彼の理性を崩壊させてしまおうと、二人は露出を続けながら巧に近づいた。


「何って、見ての通りよ。私たちは如月が好き。あなたに私たちをもらってほしいの」

「ミーティングサボっちゃいけないのはわかってるんだけど、如月っていつも香奈ちゃんと一緒にいるから、こういうときでしかチャンスないと思って……ねえ、女子高生のおっぱい、触ってみたくない?」

「コッチでもいいよ……?」


 華子は頂が見えるか見えないかのところまでブラをずらし、アキはパンツに手を入れた。

 嫌悪感を抱いたり引いたりするのかは別として、健全な高校生男子なら、同じ部活の女子生徒にこんなことをされれば嫌でも興奮し、体は反応してしまうだろう。


 しかし、巧は相変わらず何の欲情も掻き立てられなかった。

 ただ、何をやっているんだこの人たちは、という疑問が、本当に何やってんだろ、という嫌悪感に変わっただけである。


「ほら、如月……」

「いいよ、好きにして……」


 だから、二人に手を掴まれてそれぞれの秘部に導かれようとしたとき、巧は何の躊躇もなく振り払うことができた。


「やめてください」

「「なっ……!」」


 アキと華子は揃って目を見開いた。

 まさか、ここまで体を張った誘惑に抵抗されるとは思っていなかったのだ。


 しかし、彼女たちはこの時点ではまだ、あくまで巧の自制心が思ったよりも強いだけだと思っていた。


「……不安になるのはわかるよ。けど大丈夫。ここなら誰も来ないし、ちゃんとゴムも持ってるから」

「何なら口でつけてあげてもいいけど?」


 アキと華子はそれぞれいじる場所を変えながら誘惑を続けた。

 しかし、巧はそんな彼女らを冷たい瞳で射抜いて、


「不安とか、そういうことじゃありません。どこでどのタイミングであろうと、そういうのを受け入れるつもりはありませんし、惑わされることもありません」

「な、なんですって……⁉︎」

「っ……!」


 アキは巧を睨みつけ、華子は絶句した。

 自分たちの容姿に自信を持っており、巧などイチコロだと思っていた彼女らにとって、正面から彼に拒否されるのは大いにプライドに障った。


 しかし、二人に睨みつけられても、巧は動じなかった。


「そもそもこれは立派な不純異性交遊ですし、そういうことをして近づいてくるような男はみんな、あなたたちのことをただの性処理係としか思っていないような人たちです。自分たちのためにも、あまり自分を安く売らないほうがいいと思いますよ」

「なっ、なっ……! え、偉そうに言うなっ、童貞のくせに!」


 先に堪忍袋の尾が切れたのはアキだった。

 彼女は大学生とたくさんセックスをしていると周囲に自慢しているが、その実はただ相手をさせられているだけだ。

 そのことを心のどこかで自覚していた彼女にとって、今の巧の言葉は到底見過ごせるものではなかった。


 アキは巧に殴りかかろうとした。

 しかし、途中でその拳を止めざるを得なかった。なぜなら、


「いいんですか? 今までの会話、すべて録音していましたけど」


 と、巧が携帯を見せてきたからだ。


「なっ、そんな暇はなかったはず——はっ、と、トイレに行ったとき⁉︎」

「えぇ」


 巧は顎を引いた。

 単純な腕っぷしでは男が有利だが、特に密会する場合は圧倒的に不利になる。

 下着を見せつけられるとは思っていなかったが、万が一に備えて、トイレに行くふりをして録音を開始しておいたのだ。


「な、なんでよ! なんで——」

「アキ、静かにしないと下の奴らにバレるよっ」


 華子が小声で鋭くアキを注意した。


(それを言ったら僕が大声を出せば終わりなんだけど……まあ、彼女たちがその可能性に気づかないのは仕方ないか。自分たちが録音されるほど警戒されているとも思っていなかっただろうし)


 もし録音していなければ、声を出されて終わりなのは巧のほうだった。


(まさに備えあればってやつだね)


 巧が自画自賛しているうちに、華子に諭されてアキも少しは落ち着きを取り戻したようだ。


「……でも如月、あんたトイレに行くフリして録音してたってことは、あの時点で私たちが誘惑してくるってわかってたの?」

「何か仕掛けてくるかもなとは思っていました」

「はっ? なんで?」

「先輩方が、白雪さんの悪口を言うのを聞いていたので」

「っ……!」


 アキと華子が絶句した。


(あっ、やっぱりあれわざとじゃなかったんだ)


「誰かの悪口を言う人たち、しかもミーティングをサボるような人たちに呼び出されたとなれば、警戒して当然でしょう」

「くっそ……!」


 彼女たちは唇を噛み、射殺さんばかりに巧を睨みつけた。


「あなたたちがなぜ僕のことを誘惑して手を出させようと思ったのかは知りませんが、今後、僕や白雪さん、その他の人たちに手を出さないでください。本人に悪口を聞かせたりするのももちろん禁止ですよ。もしそういう行為が発覚したなら、僕はこれを学校に提出します」

「っ……クソがっ!」

「あ、あんたっ、ロクな死に方しないわよ!」


 通り一遍の捨て台詞を吐きながら、アキと華子は逃げるように去っていった。

 巧は服装だけは直したほうがいいと伝えようとしたが、そんな暇もなかった。


(結局、僕を誘惑して何がしたかったんだろう。理由に香奈は関わっていそうだけど……)


 巧は首を捻った。


(けどまあ、さすがにこの音声を握られてる中でもう悪さはできないだろうし、どうでもいいか)


 そう思い直して、彼も教室を出た。

 これで香奈のマネージャー生活も安泰になるだろうと安堵の息を吐いたが、その香奈にこれから無限こちょこちょプラスアルファをされることを思い出し、巧はなんだか釈然としない思いでため息を吐いた。




◇ ◇ ◇




「お疲れ様でした!」

「お疲れ様。気をつけて帰るんですよ」

「はーい! ……あっ」


 小学生のような返事をしてしまったことを恥じながら、香奈は教室を出た。

 それからふと思い出した。部活が終わったら教室に行こうと思っていたことに。


「危ない危ない」


 夏休みの宿題を確認しているときに、どうしても一つだけ見つからなかった。


(多分机にでも入れっぱなんだろうな……えっ?)


 三階に上がったところで、香奈は目を丸くした。

 奥の教室から、体調不良でミーティングを休んだはずのアキと華子が姿を見せたからだ。


 彼女たちは香奈を見ると、ギョッとした表情になって慌て反対側へ走っていった。

 しかし、彼女たちの服装が乱れているのを確認するには十分な時間だった。


(えっ、マジ? ミーティングサボって空き教室でエッチなことしてたの? 最低じゃん……はっ?)


 今度は、目を丸くするだけでは済まなかった。


(えっ、はっ……えっ?)


 香奈は混乱した。

 アキと華子が出てきた教室から、一人の男子生徒が姿を現したからだ。


(巧……先輩⁉︎)


 ため息を吐きながら香奈と反対方向に歩いていくその少年は、間違いなく巧その人だった。

 香奈の脳裏に、乱れた服装のアキと華子が思い出された。


「嘘っ、そんな……!」


(ま、まさか巧先輩があの二人とっ……⁉︎)


 巧を慕い、アキと華子を忌避していた香奈にとって、それは到底受け入れられるものではなかった。


「嫌っ……!」


 宿題など、もうどうでもよかった。

 香奈は地面を蹴って、一目散に巧とは反対方向に駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る