第181話 クレープを食べさせあった

「な、なんで笑うんだよ⁉︎」


 まさるは顔を真っ赤にして抗議した。


「す、すみませんっ……だって、すごい深刻そうな顔だったから……!」


 あかりは笑いながら優の横に座り直した。


「じゃあ……繋ぎますか?」


 あかりが手を差し出してくる。先程までの楽しそうなものとは違う、照れたような笑みが浮かんでいた。

 優はごくりと唾を飲み込んだ。自分よりも一回り小さな白い手のひらに、おずおずと自分のそれを重ねた。

 そっと握ると、あかりもはにかみながら力を込めてきた。


(ま、マジで手繫いじまったっ……しかも七瀬ななせも握り返してくれてる……!)


 この瞬間、優は有頂天になっていた。

 しかし、彼のテンションはジェットコースターのように急降下した。


「……ハァ……」


 自己嫌悪にさいなまれ、思わずため息が漏れ出た。


「……百瀬ももせ先輩。手を繋ぎながらため息を吐かれるとさすがに傷つくんですけど。期待外れでしたか?」

「えっ……? あぁ、いやっ、別にそういうわけじゃねえんだ!」

「じゃあ何なんですか?」

「いや……なんか自分が情けねえなって」

「情けない?」


 あかりが意味がわからないというふうに首を傾げた。


「だって、手を繋ぐのってカップルの初歩の初歩だろ? それでこんなにビビっててさ……たくみ白雪しらゆきとかはもうあんなに自然なのに」


 優はそんな情けない自分も、その情けなさをあかりに吐露してしまっているダサい自分も嫌だった。


「別に、気にしなくていいんじゃないですか?」

「えっ?」


 優は勢いよく顔を上げた。

 あかりは優しげな笑みを浮かべていた。


「世間一般のカップルの進展スピードは知りませんけど、私たちは私たちのペースでいいんじゃないですか? 焦ってもすれ違いが生じるだけでしょうし、それこそ香奈かな如月きさらぎ先輩なんて私たちと環境が全然違うじゃないですか。同じマンションでしかも如月先輩は一人暮らし。あんな外れ値カップルとは比べるべきじゃないですって。チートですよあんなの」


 まるで兄にゲームで負けて拗ねてしまった弟のような言い方だった。優は思わず笑ってしまった。

 あかりはこほんと咳払いをした。頬は桜色に色づいていた。


「まあそんなわけですから、百瀬先輩はそんなに自分を卑下する必要はないと思います。むしろ、慣れた感じでグイグイ来られたらこっちが困っちゃいますよ。私もどちらかといえばスローペースのほうがいいなと思っているので、無理せずゆっくり進んでいきませんか?」

「……そうだな」


 優は笑みをこぼした。


「なんか俺、七瀬に励まされてばっかりだな」

「マネージャー兼恋人ですから当然ですよ」

「悪いな、こんな情けない彼氏で」

「いいですよ。むしろお世話のしがいがあるというものです」

「お世話って」

「冗談ですよ」


 あかりがふふっと笑った。

 イタズラっぽいその笑みに見惚れてしまい、優は反論のタイミングを逃した。


「つ、つーかさ、友達との約束は大丈夫なのか?」

「あっ、そうでした!」


 あかりが腕時計を見て焦りの表情を浮かべた。慌てた様子で立ち上がった。


「悪いな。引き止めちまって」

「いえ、手を繋ごうって言ってくれたのは嬉しかったのでノーカンにしてあげます」


 あかりはウインクをした。「それでは失礼します」と頭を下げ、去っていった。


(ウインクも可愛いなっ……つーか、嬉しかったって……!)


 優はまだほんのり温かさの残っている手のひらを見て、ニマニマと笑みを浮かべた。

 それから慌てて周囲を見回し、誰にも見られていなかったことに安堵の息を吐いた。




◇ ◇ ◇




「いやぁ、青春ですねぇ」

「覗き見とは趣味が悪いね」


 優は見られていないと思っていたが、実は木陰からバッチリと目撃されていた。

 それもおそらく彼がもっとも見られたくないであろう、たくみ香奈かなに。


 とはいえ、二人とも友人のイチャイチャを一部始終見守っているほど暇人でも性悪でもない。

 優たちと同じように二人だけの時間を過ごそうとやってきたところで手を重ね合わせている彼らを発見しため、出ていくに出て行けなかったのだ。


 ちなみに巧たちはあかりの「慣れた感じでグイグイ来られたらこっちが困っちゃいますよ」あたりで参戦したため、自分たちがチート扱いされていたことは知らない。


「そういう巧先輩も興味津々に見ていたじゃないですか」

「仕方ないでしょ。友達のイチャイチャなんて見るしかないじゃん」

「間違いないです」


 二人はふふふ、と悪い笑みを交わした。

 並んで腰掛け、どちらからともなくお互いの手を取った。顔を見合わせて笑い合う。


「あんなの見せられたら繋ぎたくなっちゃうよね」

「ですねー。いやぁ、にしても百瀬先輩って結構ピュアなんですね。なんかムズムズしちゃいました」

「そうだね。でもわかんないけど、付き合いたてならあれくらいが普通なんじゃない?」

「そうなんですか? じゃあすぐにキスしてくれた巧先輩はヤリ手なんですね」


 香奈がこのこの〜、と脇腹を肘で突いてくる。


「違う、あれはそれまでに香奈がずっと好意を示してくれてたからこそだよ。それにつけても、やっぱり何回思い返しても付き合う前の香奈の勇気というか度胸ってすごかったよね」


 巧は香奈に傾きかけた流れを強引に引き戻しにかかった。

 本人的にはヘタレていた部分もあったらしいが、まさか自分に異性としての好意を寄せてくれていると思っていなかった巧はヤキモキさせられたものだ。


「抱きついてきたり、どさくさに紛れてカップルっぽいツーショット撮ったりとかさ」

「しょ、しょうがないじゃないですかっ。朴念仁選手権で全国大会二回戦敗退の猛者が相手だったんですから」


 香奈が唇を尖らせた。

 本当に機嫌を損ねている雰囲気ではない。過去の記憶を掘り返されて、恥ずかしさが込み上げてきただけだろう。


「あれ、優勝してないんだ。思ったよりも甘口だね」

「付き合ったあとはちゃんと甘くしてくれたので」


 香奈がドヤ顔を向けてくる。甘口とかけたのだろう。


「惜しいね。てくれた、だったら完璧だったのに」

「やーん、巧先輩の赤ちゃん言葉可愛い〜」


 香奈が頬を突いてくる。


「クレープあげないよ」

「いやはや、本当に秀逸なご指摘をいただいて感無量です」

「よし」


 巧はベンチに置いていた袋からクレープを取り出して手渡した。

 香奈がクスッと笑った。


「自分のほうが甘いじゃないですか」

「いいんだよ。これよりは甘くないし」

「相手が悪いですよクレープは」


 少しの間、会話をやめて食べることに集中する。


「にしても、優もそうだけど七瀬さんも結構奥手なんだね」

「初めての彼氏らしいですよ」


 巧は思わず食べる手を止めてしまった。


「……えっ、本当に?」

「本当です」

「あれでか……まあけど、確かに適当に付き合わなそうではあるよね。香奈と似たような感じでピンとこなかったのかな?」

「そんなことを言ってましたね。あの子も男子には結構慎重ですから。女子にはスキンシップとかも多めなんですけどね」

「あっ、そうなんだ。なんか意外かも」


 あかりは冷静で大人びているため、あまり他人とくっついているイメージはなかった。


「確かに巧先輩とか男の人の前だと抑えてるかもしれないです。二人きりにだと遠慮しなくなりますね」

「そういう目で見られたくないのかなぁ」

「どうなんでしょう? 結構百合アニメが好きで私も見させられたりしますし、そっちの方面にあんまり偏見はなさそうではありますけどね。どちらかというと、ベタベタするタイプだって男子に認識されたくないんじゃないですか?」

「あっ、なるほどね」


 あかりほどの美貌にスキンシップ好きというイメージが付いてしまえば、勘違い男子などからセクハラ紛いのことをされかねない。


「それでいうと、香奈もみんなの前ではあんまりアタックしてこなかったもんね」

「巧先輩にアピールしたかっただけなので、他の人に俺もイケるかもとか思われたくなかったですし」

「健気だなぁ。ご褒美に一口いいよ」


 巧はクレープを差し出した。


「わーい!」


 香奈はパクリとかぶりつき、「んー!」と幸せそうに頬を押さえた。


「巧先輩もどうぞ」

「ありがと。うん、やっぱりチョコバナナも美味しいね」

「ねー。あっ、巧先輩。ここにクリームついてますよ」


 香奈が巧の口の端を拭った。

 指先には確かにクリームがついていた。


「本当だ。ありがと。ちょっと待って、ティッシュ出すから」

「大丈夫ですよ。食べちゃいますから」


 香奈は舌を巻きつけるようにして、指からクリームを舐めとった。妖艶ようえんに笑った。明らかにわざとだ。

 しかし悲しいかな。わざとだとわかっていても、彼女のそんななまめかしい姿を見せられては釘付けになってしまうのが男という生態である。


「ふふ、先輩のチョコバナナについてるクリーム、甘かったです。いつもはちょっと苦いのに」

「うん、立ち上がれなくなるからやめてもらっていい?」

「同時に立てないの不便ですよねぇ、先輩って」

「うまいこと言わないで」


 香奈は楽しそうにアハハ、と肩を揺らした。

 巧は彼女からも、ぴくりと頭をもたげた愚息からも意識を逸らした。


 代わりに思いを馳せたのは、ビリヤードのブレイク時に「ハッハッハ! 経験の違いを見せてやろう!」と意気揚々と挑んだ結果、力んでトライアングルを崩すことなく白玉をポケットに落とした京極きょうごくの哀愁漂う小さな背中だった。


 普段は空気など読まない能天気な愚息すらも、今回ばかりはすぐにシュンとしぼんだ。

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