第64話 クールな先輩マネージャーから……

「「あっ」」


 またしても、たくみ玲子れいこは同じタイミングで改札をくぐった。


「なるほど。これがデスティニーというやつか」


 と笑みを浮かべた玲子は、歩き出すなり巧の服の袖をつかんだ。昨日、映画館でそうしたように。

 巧は思わず足を止めて玲子を見た。


「どうしたんですか?」

「い、いや何、これが思いの外面白くてな」


 玲子が、彼女にしては珍しくどもった。

 若干ピンク色に染まった頬を掻きながら、うかがうように巧を見る。


如月きさらぎ君が嫌でなければ、このままでもいいかい?」

「あっ、はい。大丈夫ですけど……」

「ありがとう」


 巧は面白い要素なんてあるかな、と困惑しつつも了承した。

 特段断る理由も見当たらなかったからだ。


 本日オープンだというカフェの店内は、シックというよりは若者が好みそうな明るい雰囲気だった。


「じゃあ、アイスコーヒーを奢ってもらうことにしようか」

「一番安いじゃないですか」

「さすがにあんな勝負で高いものを後輩に奢らせるほど、私は鬼畜ではないよ」


 玲子が苦笑した。


「さすがですね、愛沢あいざわ先輩」

「ヨシヨシしてくれるのかい?」


 今度は巧が苦笑する番だった。


「それは恥ずかしいので妹さんにしてもらってください」

「安心してくれ。もうされている」

「最高じゃないですか」

「最高だよ」


 玲子が優しげな笑みを浮かべた。弟妹を大切に思っていることが伝わってきた。

 それからは好きな映画や音楽、それにサッカーの話などで盛り上がった。


 結局、お互いがケーキを食べ終え、カップを空にするまで、玲子が「話したいこと」について切り出すことはなかった。

 もしや忘れているのではないか——。

 巧が確認を取ろうか迷っていると、彼女はそれまでの楽しげな笑みから一転、真剣な表情を浮かべた。


「如月君。これから少し付き合ってもらいたいんだが、いいかい?」

「はい。どこか行きたいところでもあるのですか?」

「あぁ、ちょっとな」

「わかりました」


 玲子がにごしたので、巧もそれ以上は追及しなかった。


 会計を済ませて連れてこられたのは、カフェからほど近い公園だった。

 巧の住むマンションの近所のものよりも大きく、二人が並んで座ったベンチの前には噴水があった。

 そのため、真夏の外にしては涼しさを感じられた。


「いい公園ですね」

「そうだろう?」


 玲子がふふんと胸を張った。


「愛沢先輩は来たことあるのですか?」

「いや、初めてだ」

「じゃあなんでちょっと得意げなんですか」


 巧は吹き出した。


「ふふ——さて」


 玲子の声色が変わった。


「陽も傾いてきたし、あまり長く拘束しても申し訳ないから、回りくどい話はなしにするよ」

「はい」


 巧はわずかな緊張を覚えた。

 夕陽に照らされた玲子の表情が、部活中でも見たことがないほど真剣で強張っていたからだ。


 彼女は大きく深呼吸をした後、巧の目を見てはっきりと告げた。


「如月君。私は君が好きだ」

「っ……!」


 巧は呼吸を止めてしまった。

 彼女からのお誘いで、このシチュエーション。可能性をまったく考えないわけではなかった。


 それでもやはりあり得ないだろうと、あくまで仲の良い後輩として誘ってくれているのだろうと思っていた。


「鳩が豆鉄砲にでも撃たれたような顔だな。そんな間抜けな君は初めて見たよ」


 玲子は想いを吐露してスッキリしたのか、おかしそうに笑っている。


「す、すみません。えっと……愛沢先輩が、僕を……?」

「そうだ。もう何ヶ月もな」

「そ、そうだったんですか⁉︎」


 巧は思わず大声を出してしまった。

 これは本当に予想していなかった。


「あぁ。これといった大きなきっかけがあったわけじゃないが、気がつけば君のことを目で追うようになっていたよ。誰よりも真剣に部活に打ち込んでいるところも、気遣いができるところも、マネージャーのこともチームメイトとして扱ってくれるところも、一本芯が通っていて正義感が強いところも、意外にノリがいいところも、下ネタに付き合ってくれるところも、笑った顔も、真剣な顔も……ふふ、好きなところを挙げればキリがない。我ながら乙女なものだと思うよ」


 玲子が頬を緩めた。

 穏やかな表情を浮かべているその顔は、夕陽すらもかすんでしまうほど赤い。


 おそらく自分も同様だろうな、と巧は思った。

 好きだと告げられて、好きなところをいくつも羅列されたのだ。むず痒いことこの上ない。

 嬉しさや驚きももちろん大きいが、彼の心をもっとも大きく占めているのは照れ臭さだった。


 しかし、彼がそんな浮ついた気分でいられたのは一瞬だけだった。


「もう一度言う。如月君、私は君のことが好きだ。どうか、私を彼女にしてくれないか?」


 巧は不安に揺れる玲子の瞳を見た。


 彼女のことは、入部した当初から慕っていた。

 美人であるだけでなく、面白い人だとも、頭のいい人だとも、そしてとても優しい人だということもわかっていた。


 彼女と付き合ったら、きっと穏やかで楽しい毎日が送れるだろう。予想ではなく確信だ。

 正直なところ、付き合わない理由など見当たらない。


 ——それでも、付き合いたいと思えなかった。

 言葉を包まずに言えば、ピンと来なかった。

 何かが違う。そう思った。


(ダメだ。こんな気持ちで付き合っていいはずがない……)


 溢れそうになる罪悪感とともに、巧はその言葉を絞り出した。


「……すみません」


 玲子の肩がぴくりと揺れた。


「そうか……いや、気にしないでくれ。わかっていたことだ。変な話をしてすまなかった」

「い、いえ、そんなことっ……本当に嬉しかったです! 愛沢先輩にはずっと可愛がってもらいましたし、いつもお世話になっていますしっ」

「冷静そうに見せて意外と慌てん坊なところも、君の魅力だよ」


 玲子は寂しげに笑った。

 立ち上がり、巧に背を向けた。


「今日は楽しかった。付き合ってもらって悪かったなっ……」


 玲子が鼻をすすった。

 震えていた。彼女の声も、体も。


「また学校や部活で会うときはっ、普通に接してくれ……!」


 それじゃあ——。

 涙交じりでそう言い残し、玲子は駆け出した。


「っ……」


 巧は拳を握りしめたまま、黙って見送ることしかできなかった。

 遠ざかっていくいつもより小さな背中に、かけるべき言葉などあるはずもなかった。




 巧はしばらくの間、ベンチに座っていた。

 夕陽が水平線に沈んでいくのを、ただぼんやりと眺めていた。


 やがてオレンジ色が消え去り、赤みがかった紫色に世界が染まり始めたころ、巧は立ち上がった。


「……帰ろう」


 わざと声に出してみる。

 重い足を動かして一歩目を踏み出したとき、携帯が鳴った。


 まさか愛沢先輩からじゃないよね——。

 おそるおそる携帯を開く。香奈だった。


 ——今日の夜。少しだけお時間をいただけませんか?


 やけに丁寧な文章だな、と巧は思った。

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