第43話 美少女後輩マネージャーの怒り

 翌日、香奈かなは前日からのハイテンションを継続することに成功していた。

 いつも通りたくみの家のインターホンを鳴らして彼と一緒に学校に向かうときも、練習中もそうだった。


 しかし練習が終わり、職員室に倉庫の鍵を返しに行こうとしたときに、彼女のテンションは基準値、下手すると基準値以下にまで一気に下降した。

 晴弘はるひろに声をかけられたからだ。彼はとても雑談をしようとしているとは思えない真剣な表情だった。


「——白雪しらゆき、ちょっといいか」

「何? 新島にいじま

「ちょっと話がある。場所を変えよう」


 香奈にとって、晴弘は武岡たけおかと同じカテゴリーに分類される人間だが、彼のように強引に手を出してくるとは考えられない。

 それでもどうしてもあのときのことが、手首をつかまれて迫られた恐怖がよぎった。


 信頼していない男子とは、人気のないところで二人きりになりたくない——。

 強くそう思った。


「ごめん、無理。話があるならここでして」

「っ……」


 思わぬ拒絶をくらい、晴弘は息を呑んだ。

 しかし、巧に付きまとわれてストレスが溜まっているのだろう、とすぐに思い直した。


「わかった。単刀直入に聞くけど……白雪、最近巧さんに付きまとわれてるんだろ?」

「……はっ?」


 香奈は眉をひそめた。

 彼女からすれば、どちらかと言えば自分が付きまとっている自覚があるため純粋に意味がわからなかったのだが、晴弘の解釈は違った。


(この反応……白雪はなんらかの理由で、あいつに脅されてるのか? だから誤魔化そうとしているんじゃないか?)


 なら、自分が彼女を解放してあげなければ——。

 晴弘は湧き上がってきた興奮を抑えつつ、優しい口調を意識して香奈に語りかけた。


「大丈夫。俺は白雪の味方だ。本当のことを話してくれていい」

「……なんでそう思ったの?」

「そりゃ、普通に考えれば白雪みたいな容姿端麗で優秀な子が、巧さんみたいなつい最近まで三軍にいて容姿もパッとしない人とつるんだりしないだろ」


 晴弘はいっそ得意げな表情だった。

 彼は自分に酔っていた。自分が正義の味方だと、信じて疑っていなかった。


「……はっ?」


 しかし、香奈にとってはもちろん全くの的外れの指摘だ。


(何言ってんの、こいつ。巧先輩のこと悪く言うとかふざけてんの?)


 彼女は、よっぽど晴弘よりも巧が優れている部分を列挙してやろうかと思った。

 しかし、その前に一つの可能性がよぎった。


「……ねえ。もしかして昨日、先輩にも同じようなこと言った?」

「あぁ。あいつはシラを切った。でも大丈夫だ。何かされるなら俺が君を——」

「——ふざけんなよ」

「……はっ?」


 香奈は呆然とする晴弘に詰め寄った。気を抜けば怒鳴り散らしてしまいそうだ。

 声を抑えようと思うくらいの理性は、まだ彼女にも残っていた。反対に、それくらいの理性しか残っていなかった。


「昨日、珍しく巧先輩が苛立ってた理由がわかったよ。新島さ、あんたマジで何してんの? 誰がそんなこと言えって頼んだ? あんたの勝手な思い込みで、私と巧先輩の関係がこじれたらどう責任とるつもりなわけっ?」

「なっ、なっ……!」


 額に青筋を浮かべて問い詰める香奈に対し、晴弘は完全に気圧されていた。


「ていうかさ、そもそもあんた私の何? 何者でもないよね。友達ですらないやつに私の何がわかるの?」

「っ……!」


 晴弘は絶句した。

 正義のヒーローよろしく助けようとしていた相手から、友達ですらないと言われたのだ。そうなるのも仕方のないことだろう。


 しかし、彼がショックを受けていることなど、香奈にとってはどうでもいいことだった。


「私が巧先輩に付きまとわれてる? 先輩としゃべってるときの私を見てそう思ったんなら、マジで病院行ったほうがいいよ。こっちの意見を聞きもしないで勝手な思い込みだけで行動するとか、マジで迷惑なんだけど。普通に意味不明だし、あり得ない」

「なっ……そ、そんな言い方はないだろ⁉︎ お、俺は白雪のためを思って——」

「はあ? ならなんで、私の意見も聞かずに巧先輩にちょっかい出したわけ?」

「そ、それは……」


 晴弘は口ごもった。

 香奈が眉を吊り上げた。


「ほら、こんな簡単な問いにも答えられない。結局、あんたは私と巧先輩が仲良しっていうのが気に入らなかっただけでしょ? 私のことなんて一ミリも考えてない。ただの自己中じゃん」


 香奈自身も、これ以上は言いすぎる可能性があることを自覚していた。

 しかし、晴弘は巧を馬鹿にした上に、彼と香奈の関係までもこじらせかねないような愚行をしでかした。


(マジで最低だなこいつ……!)


 香奈はかつてないほど怒りを感じていた。ヒートアップする自分を、まるで意思を持ったように回る舌を止められなかった。


「相手のことなんて何も考えずに、願望とか自分の考えを押し付けてくる人、本当にきら——」

「白雪さんっ」


 香奈が決定的な言葉を言いかけたとき、するどい声が彼女をさえぎった。

 香奈は目を見開いた。


「……えっ、巧先輩⁉︎」


 巧が、息を切らせつつ姿を現した。

 香奈は目をぱちくりさせた。


「ど、どうしてここに?」

「晴弘が君の後を追いかけていったっていう目撃情報を入手してね。嫌な予感がして来たんだ」

「……やっぱり、昨日苛立っていたのはこいつが原因なんですね」

「まあ、そうなるね」

「あんた、マジでさぁ……!」


 香奈は晴弘を睨みつけた。

 巧は彼女の肩を叩いた。


「落ち着いて、白雪さん」

「でもっ、あいつが余計なお世話してきたんじゃないですか!」

「そうだね。彼が悪いのは間違いない。けど、だからって何でも言っていいわけじゃないよ」

「っ……!」


 口が過ぎそうになっている自覚のあった香奈は、ぐっと言葉を詰まらせた。

 そんな彼女の肩、そして背中を優しく叩いて微笑みかけてから、巧は呆然としている晴弘に向き直った。


「晴弘、君が白雪さんのことを考えていたのは本当だと思う。そりゃまあ、普通に考えたら僕と彼女が一緒にいるはずがないもんね。けど、それならまずは彼女にコンタクトを取るべきだったし、そもそも明確な根拠のない自分の考えが間違っている可能性も考慮すべきだったと思うよ」

「っ……」


 晴弘が唇を噛みしめた。視線は下を向いている。

 巧は努めて優しい口調を心がけた。晴弘を刺激しないように、彼の心に届くように。

 そして何より、胸の内に湧き上がっている自身の怒りを暴走させないために。


「こうあって欲しいという願い、こうあるべきだっていう理想を持つのは悪いことじゃない。だけど自分以外の人間が関わっているなら、一歩引いて俯瞰ふかんして、物事を客観視しないと今回みたいなことになるよ。今後は気をつけて。そうじゃないと誰も望んでいない展開になっちゃうし、そうなったときに一番損するのは君自身だからさ」

「っ——」


 晴弘が目を見開いた。

 巧は「行こう」と香奈の背中を叩いて歩き出した。

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