第42話 言いがかりをつけてきた一年生部員を論破した

「返事をする前に一つ聞いておきたいんだけど、なんで僕が白雪しらゆきさんに付きまとってると思ったの?」

「だって明らかに釣り合ってないでしょう」

「見た目が?」

「そうに決まっているじゃないですか」


 |晴弘が苛立ちを見せた。

 怒りたいのはこっちなんだけどね、とたくみは思った。


「なら、君は白雪しらゆきさんは見た目で関わる人を決めるような子だって言いたいの?」

「そ、それはっ……でも、彼女がどれだけサッカーが好きなのか知ってますか? 一年以上も三軍にいたあなたと、自ら好んで一緒にいるはずがないでしょう」


 晴弘が論点をずらしたことはわかったが、巧はあえて乗ってあげることにした。


「じゃあ何、白雪さんはサッカーの上手い下手だけで一緒にいる人を決めてるんだ? その人の性格とかも関係なく」

「だ、だけなんて言ってないじゃないですか!」

「でも、そういうことでしょ? だってそう考えているんじゃなきゃ、何も証拠がないのに、白雪さんが好き好んで僕と一緒にいるはずがないから僕が彼女に付きまとってるに違いない、なんて思考にはならないでしょ」

「そ、それはっ……」


 晴弘の言葉は続かなかった。


「そもそも君、白雪さんの何? 恋人? 本心の代弁者? 違うよね。それとも彼女から頼まれたの?」

「そ、そういうわけじゃないですけど——」

「なら君の言うことを聞く理由はないかな。僕は白雪さんの彼氏じゃないけど、彼女とは良い関係を築けてると思ってる。付きまとってるわけでもなければ、離れる気もない。晴弘は思い込みで行動するんじゃなくて、まずは自分の考えや仮説の真偽の検証から始めたほうがいいよ。他人に勝手な考えを押し付ける前にさ」

「なっ……⁉︎」


 晴弘が巧をめつけた。


「反論があるなら聞くけど」

「っ……! くそっ、覚えててください!」


 唇を噛みしめた晴弘は、憎悪の眼差しと捨て台詞を残して去って行った。




「……ふう」


 一人になった公園で、巧は大きく息を吐いた。


「ちょっと言い過ぎちゃったかな……」


 香奈は勘違い系が一番嫌いだと言っていた。

 巧も決して好きではないが、彼が最も嫌うのは、理論が破綻はたんしているのにも関わらず感情や思い込みだけで行動されることだ。


 先程の晴弘は、まさに巧が嫌う行動、言動をとっていた。

 だから、ついつい口が過ぎてしまった。


 ちょいちょい香奈に注意している手前、僕も気をつけないとな——。

 そう自分に言い聞かせ、巧は帰路についた。




 いくら頭では冷静に思考していても、感情というのは理性で完全にコントロールできるものではない。

 巧がいつもより気分を害していることは、無事に帰宅してシャワーを浴びた後にやってきた香奈かなにはバレバレだったようだ。


「巧先輩、何かありました?」

「えっ?」


 香奈が巧の顔を覗き込み、気難しい表情を浮かべた。


「ふむ……私と帰れなくてねているわけじゃなさそうですけど」

「別に、何もないよ」

「嘘です。いつもよりトゲトゲしてますし、目つきも鋭いですもん。怖い先輩もそれはそれで味がありますけど」


 冗談を言いつつも、香奈の瞳は真剣だった。確信の色が宿っていた。

 巧は観念のため息を吐いた。


「……香奈は誤魔化せないね」

「ふふん、選手のちょっとした変化に気づくのはマネージャーの必須スキルですから!」


 香奈がドヤ顔を浮かべ、胸を張った。

 部屋着にプリントアウトされているクマが、すっかり押し上げられて上を向いてしまっている。

 まるで天井を見上げて寝っ転がってるみたいだ、と思ってから、巧は慌てて視線を逸らした。


「特によく気づくよね、香奈は」

「もちろんです! 巧先輩のことなら、おしっこパラメーターが何パーセントなのかもわかりますもん」

「それは切実に気持ちが悪い」

「切実の使い方合ってます?」

「さあ?」


 巧はすっとぼけた表情で首を傾げた。

 先輩も意外と適当ですよね、と香奈が笑う。


「……心配してくれてありがとね。でも、本当に大丈夫だから」

「まあ、先輩がそう言うのなら無理には聞き出しませんけど……たまには頼ってくださいね? 私ばっかり頼らせてもらっているので、罪悪感がすごいんですよ」

「そうなの? 僕としては、まだまだ香奈に恩を返しきれてないと思ってるんだけど」


 サッカーを辞めないでいられること、楽しめていること。

 かなによってもたらされたそれらの現実は、巧にとってはそれほど大きなことだった。


 香奈は大袈裟に手を横に振った。


「いやいやいや、もうとっくに返済終わってますよ? 闇金もびっくりの利子ついてますから。これ以上返されると、私が罪悪感に押しつぶされて縮んじゃいます」

「えっ、そしたら香奈いなくなっちゃうじゃん。それは嫌だから、ほどほどにしようかな」

「あー、遠回しに私のことチビって言ったー! そんな悪い人にはこうですっ」


 香奈が巧の背後に回り、彼のつむじを押した。

 しかし、すぐに髪の毛いじりに移行した。


「相変わらずふわふわサラサラでいい匂いがしますねぇ」


 それは香奈でしょ、と巧は思った。口には出さないが。


「あー……やっぱりこれでしか摂れない栄養がありますわ」

「どんな栄養なのさ」

「ほら、あれですよ。ほうれん草に入ってる……おっぱい!」

「絶対言うと思った。ポパイだし、あれ別に栄養素じゃないし。ただのほうれん草のキャラクターだから」


 巧は呆れを隠そうともせずに訂正した。


「えっ、そうなんですか? ずっとそういう栄養あるのかと思ってました」

「僕も最初はそう思ってた」

「ですよね。なんかもはや、ポパイも少しエッチに聞こえません?」

「完全に毒されてるね。早急に病院に行ったほうがいいと思うよ」

「毒舌な巧先輩もいいですねぇ」

「無敵じゃん」

「私くらいになると常時スター状態ですから。巧先輩はバナナ——あっ、これアウトなやつですよね?」

「うん、言いかけただけでイエローカードだね」

「ちょっと先輩。バナナでイエローカードはやめてくださいよ〜」


 香奈がもうやだな〜、と巧の肩をつかんで前後に揺らす。


「赤甲羅当ててあげようか?」

「えっ、私じゃありませんよ?」

「たしかにお尻につけるけど。無駄に頭の回転早いのなんなの?」

「いえいえ、私なんてこんなもんですよ」


 香奈がブンブンと物理的に頭を回転させた。

 そして案の定、「あー、気持ち悪い……」と巧の横に座り直して呻いている。


 アホな子ほど可愛いとはこういうことか、と巧は合点がいった。


「何やってんの……香奈、大丈夫?」

「はーい……まあ、冗談はこれくらいにしておくとして」


 香奈が巧の目を覗き込んだ。


「本当に、何かあったら頼ってくださいね? いつでも話くらいなら聞けますから」

「うん、ありがとう」


 巧は笑顔で頷いた。

 本当にいい後輩を持ったな、と思った。




◇ ◇ ◇




「はあ……」


 香奈は家に帰って嘆息した。


「やっぱり、ただの後輩としか思われてないのかなぁ……」


 支え合える関係になりたいと思っている香奈にとって、巧が何も話してくれなかったのは、決して小さくないショックだった。


 これまでも、彼から頼ってくれたことはほとんど記憶にない。

 せいぜい、一、二週間前に三軍の試合映像を学校から持ってくるように頼まれたくらいだ。

 それも、あくまで香奈が補習で学校にいたついでである。


「先輩後輩で対等な関係って無理なのかな……いや、ネガティヴになっちゃダメだ。可愛がってくれているのは間違いないし、これまでにもたくさん支えてもらってるよ、なんてことまで言ってくれたんだから」


 多少は大袈裟だったとしても、巧の性格上、まったくの嘘でもないはずだ。


「うん、大丈夫。まだまだいけるはずっ。絶対に振り向かせてやるぞ〜、おー!」


 香奈は拳を高々と突き上げた。




 落ちそうになっていた気分を上げることに成功した香奈は、改めて巧の「白雪さんにはこれまでにもたくさん支えてもらってるよ。多分、君が思ってる以上に」という言葉を思い出してはニヤニヤするということを繰り返していた。


 しかし、同じく巧のことを考えていたもう一人の咲麗しょうれい高校サッカー部の男子生徒は、彼女とは真逆の感情を覚えていた。


「あいつが白雪と仲良くしてるなんて絶対におかしいっ……必ず化けの皮を剥がして、俺が白雪を救ってやる……!」

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