第176話 父親来店

 たくみ香奈かなが家を出るころにはすでに支度を終えてソワソワしていた大樹たいきは、開店と同時に来店した。


「あっ、お父さん」


 巧のその一言で、一気にクラス中の注目が集まった。


「えっ、巧のお父さん?」

「うん」

「すげえ、ワイルドだな!」

「若いねー」


 開店と同時に客がなだれ込んでくるわけではないので、まだそこまで忙しくはない。

 手持ち無沙汰な者たちは、クラスメートの父親第一号の来店に盛り上がった。


如月きさらぎ君、接客してきなよ」

「うん」


 あやに促され、巧は大樹の元に向かった。


「ようこそお越しくださいました。一名様でよろしいでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました。こちへどうぞー」


 父親相手にかしこまるのは恥ずかしかったが、他の客もいるため雑な対応をするわけにはいかない。


「こちらがメニューとなっております。ご注文が決まりましたら店員にお申し付けくださいませ」


 型通りの接客をこなして巧は戻ろうとした。

 綾が近くに寄ってきて、


「ねぇ、どうせなら如月君も一回お客さんになっちゃえば?」

「えっ?」

「まだそこまで人いないし、お父さんも一人でいるのはちょっと居心地良くないでしょ。混んでくるまではおもてなししてあげなよ」


 クラスメートたちがこぞって「そうだそうだ」と同意の声を上げた。

 巧は申し訳なさを感じつつも、お言葉に甘えることにした。


「なんだか申し訳ないね」

「いえいえ、お気になさらず!」


 大樹の言葉にニコッと笑ってみせ、綾は戻って行った。


「ありがたいね」

「そうだね」

「巧的にオススメはどれだい?」

「うーん、お父さん紅茶よりコーヒーのほうが好きだから——」


 注文を決めて店員を呼ぶと、今度はさとるがやってきた。


「ご注文お伺いしまーす」

「AセットとBセットを一つずつ」

「かしこまりましたー。にしても巧のお父さん、若いっすねぇ」


 悟が親しげな笑みを浮かべた。

 大樹は照れたように笑った。


「いやいや、もういいおじさんだよ」

「そんなことないっすよ。渋くて格好いいっす!」

「そうかい? ありがとう」

「如月君もいずれはお父さんみたいにワイルドな感じになるのかなぁ?」


 暇をしていたクラスメートが会話に加わってくる。


「いやぁ、巧はこのまんまだろ」

「わかんないよ? 同窓会で会ったらめちゃくちゃ精悍せいかんになってるかも」

「そうだ、如月君。一回俺って言ってみてよ」

「えー」

「いいからいいからっ」

「減るもんじゃないんだし!」


 巧は難色を示したが、結局押し切られてしまった。


「如月君。次のシフトはいつから?」

「俺はね——」

「「「ブホッ!」」」

「ひどくない?」


 一言目で吹き出したクラスメートに、巧は抗議の声を上げた。


「いやっ、似合わなすぎて……!」

「俺はねのねがもう、一人称僕の言い方なのよっ……!」

「ごめん如月君っ、面白すぎ……!」


 誠治せいじと悟、綾を中心にクラスメートがお腹を抑えてヒィヒィ笑っている。

 釣られたのか、大樹だけでなく他のお客さんも笑っていた。


(そんなに笑わなくてもいいじゃんっ……!)


 自分だけ恥ずかしい目に遭っているのが悔しくなった巧は、巻き添えを喰らわせることにした——もちろん誠治に。


「じゃあさ、逆に誠治が僕って言ってみてよ」

「うえっ? なんで俺が——」

「いいねそれっ」

「誠治、言ってみろよ!」


 誠治の抗議の声は、瞬く間にかき消された。


「はい。この落とし物誰のですかー?」


 綾がニヤニヤ笑って政治を見た。

 彼はため息を吐き、渋々といった様子で手を挙げ、


「あっ、僕の——」

「よし、仕事に戻りましょうか」

「理不尽だろ⁉︎」


 綾にセリフをぶった斬られ、誠治が百点満点のリアクションをした。

 あちこちから吹き出す声が聞こえた。

 大樹もくつくつ笑いながら、


「なかなか楽しいクラスだな」

「でしょ? 賑やかな人たちが揃っちゃったんだ」


 巧は得意げにうなずいた。

 大樹が笑みを深める。


「安心したよ。巧が溶け込めているようで。県外の高校に進学してしかも一人暮らしだから、勝手に馴染めるか心配してたんだ」

「大丈夫だよ。周りがいい人たちばっかりだから」

「そうみたいだな」


 大樹がクラスをぐるりと見回し、一つ大きくうなずいた。




 それから少しだけ父子の時間を楽しんだ後、巧は本来の仕事に戻った。

 てんてこ舞いというわけではなかったが、さすがにクラスメートに任せきりなのは心苦しかった。


「ようこそお越しくださいましたー! って、あれ?」


 巧は新たに入店した二人を見て目を見開いた。


らんさんと慎一郎しんいちろうさん?」

「あら、巧君。執事姿も可愛いわね〜」

「そこは格好いいと言ったほうが喜ぶんじゃないかな。うん、よく似合っているよ」

「ありがとうございます」


 先程まで父親と喋っていたはずの巧が、また新たな大人と親しげに喋っているのだ。

 注目が集まるのは当然のことだった。


「如月君、知り合い?」

「うん。香奈のご両親」

「「「えええ⁉︎」」」


 みんなが一様に驚きの声を上げた。

 香奈の顔立ちはどちらかといえば蘭に似ているが、慎一郎との共通点もある。

 今の驚きは彼らが香奈の両親であったことではなく、彼女の両親が来店したということに対するものだろう。


 驚いていたのは大樹も同じだった。

 挨拶を交わした流れから、彼と蘭と慎一郎の三人が初の顔合わせをすることになった。


「巧からお話はかねがね伺っています。息子と良くしてくださりありがとうございます」

「いえいえ、巧君は本当に素敵な子ですから、私たちのほうこそ仲良くしてくれてありがたい限りですよ。娘も巧君と親しくするようになってからは特に毎日楽しそうですし、共働きで寂しい思いをさせていたので、それを補って余りある素晴らしい時間を与えてくれている巧君には感謝してもしきれません」

「いえいえ、私のほうこそ一人暮らしをさせてしまっているので、香奈さんには——」


 自分と彼女の親同士の会話だ。

 気にしないようにしていてもどうしても意識してしまい、巧は居た堪れない気持ちになった。蘭と慎一郎にベタ褒めされているのならばなおのことだ。


 気を逸らそうと周囲を見回したとき、一人の太った男が目に留まった。

 不自然な角度で伸ばされた彼の腕は、近くの席で背を向けて接客をしている冬美の臀部を目掛けていた。


(嘘でしょ——)


 巧は制止しようと手を伸ばした。

 しかし、それは結果としてあまり意味のない行為だった。


「おい!」


 冬美の近くにいた誠治が、蛇のごとく鋭い動きで男の手首を掴んだからだ。

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