第88話 夏休み明け初日、彼女と朝から

 名残惜しさを感じつつも白雪しらゆき家を辞去して自分の家に戻ったたくみは、親友の誠治せいじに電話をした。

 すぐにつながった。


「ダブルチーズバーガーが一点〜」

『おう、おめっとさん』

「……あれ、反応薄くない?」


 巧は「おぉ、よかったじゃねーか!」くらいを期待していた。


『お前、メッシがリフティング百回できたって聞いて驚くか?』


 誠治は呆れを隠さずに言った。


「……僕たち、ロナウジーニョが慈善活動のために偽造パスポートでパラグアイ入国して逮捕されたときに刑務所のフットサル大会でで五ゴール六アシストの全得点に絡む活躍でチームの十一対二の大勝に貢献したくらい当たり前にそういう雰囲気だったの?」

『おう。白雪はモロだし、お前もみんなの前ではともかく、俺らの前であいつの話してるときの表情とかゆるゆるだったからな。大介だいすけまさるもほとんど確信してたぜ?』

「えっ……本当に?」


 巧は愕然がくぜんとした。


『マジだよ。ま、さすがに一軍の人たちはまだ確信できてねーだろうけどな。みんなには言うのか?』

「いや、しばらくは隠す方向だよ。僕ら、いろいろ立場が微妙なところあるし」

『あー……まあ確かにな』


 誠治の耳にもいろいろ聞こえてきてはいるのだろう。

 苦々しい表情を浮かべているのが、声色から伝わってくる。


『まあでも、それならお前が誰にも何も言わせねーくらい結果を出せばいいだけだろ』

「なかなか難しいこと言うね」

『お前ならできるだろ』

「ずっと言ってるよね」


 巧が活躍し出してからではない。

 三軍でくすぶっていたころから、彼はそう言い続けている。


『そりゃ、お前ほど真剣にサッカーに打ち込んでるやつはいねーからな。報われなきゃおかしいだろ』

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、三軍ベンチだったころとかは結構なプレッシャーだったからね、それ」

『うえっ、マジか? それは悪かった』


 本当に申し訳なさそうな口調だった。

 誠治はデリカシーがないだけで、性格は良い。むしろお人好しの部類に入るだろう。


「ま、いいけどね。今はやってやろうって思いのほうが強いし」

『おう。俺も他の人たちも、お前の可能性には気づいてっからな。変に怖気づいたり遠慮したりすんなよ』

「うん。ありがと」


 元々長所と短所がはっきりしているからか、巧は練習についていくことすらままならない現状に対して、悔しさは感じつつも悲観はしていなかった。


「そういえば一つ聞きたいんだけどさ。誠治さっき、ふとしたときにその人のこと考えてたり、その人と会ってないと寂しく感じたり、他の男に取られてるの想像して嫌だったら好きってことなんじゃないって言ってくれたじゃん」

『おう』

「あれ、久東くとうさんのこと?」

『なっ……⁉︎』


 誠治の幼馴染である久東くとう冬美ふゆみの名前を出せば、彼はあからさまに動揺した。

 冬美はサッカー部の一軍マネージャーだが、夏休みを利用して短期留学にオーストラリアに行っている。


『な、なんでそうなるんだよ?』

「あのとき誠治、左上見てたもん」

『……あっ?』

「左上見るときって、過去の映像を思い出してるらしいよ。久東さんのこと思い出してた?」

『ばっ……んなもんじゃねーよっ。俺はただどっかで耳かじった一般論を言っただけだっつーの』

「耳かじったじゃなくて聞きかじった、ね。某猫型ロボットか」

『うっせ』

「あれ、そういえば今日帰ってくるんだっけ? 久東さん」


 今日は夏休み最終日だ。

 学校始まる前日に帰ってくるって大変だな、と思った記憶がある。


『あぁ——あっ』

「どうしたの?」

『ちょうど帰ってきたかもしんねー。飛行機の時間的にも合うし……やっぱり』

「すごいタイミングだね」

『だな。どうせならちょっと話すか?』

「いや、僕はいいよ。どうせ明日会えるし、邪魔しちゃ悪いしね」

『っだからそんなんじゃね——』

「それじゃ、頑張ってねー」


 巧は一方的に電話を切った。

 冬美はわからないが、誠治が彼女に好意を寄せているのは、巧から見れば明らかだった。


 もし二人が付き合ったらダブルデートもありかもしれない。

 あまり関わる機会は多くなかったが、香奈かなは冬美に懐いているのだ。

 冬美は基本的にツンツンしているが、その奥にある人の良さを感じ取ったのだろう。


 でも、と巧は思った。


「久東さん、僕に対しては特に手厳しいんだよね……」




◇ ◇ ◇




 ——夏休み明け初日。

 香奈は約束していた出発時間よりも早くやってきた。


「おはようございますっ、巧先輩!」

「おはよう。早いね」

「だって、学校始まったら二人で過ごせる時間って大幅に減るじゃないですか。だからその、少しでも二人で過ごしたいなー、なんて——んむっ⁉︎」


 巧は前触れもなく香奈の唇を奪った。

 彼女は一気に真っ赤になった。


「ちょっ、た、巧先輩⁉︎」

「ダメだった?」

「だ、ダメじゃないですけどっ、心の準備というものがあるんです!」

「ごめん。香奈があまりにも可愛かったから、つい」

「っ……もう、本当に仕方のない人ですね、先輩は」


 香奈はやれやれとため息を吐いてみせるが、その口元は緩んでいた。

 無性に愛おしさを感じた巧は、その体を抱きしめた。


「好きだよ、香奈」

「私もです」


 香奈が巧の腰に回した腕にグッと力を込め、正面から体を密着させる。

 巧はとっさに腰を引いたが、そこが元気になっていることはバレてしまっていたようだ。

 香奈はイタズラっぽい笑みを浮かべて、


「部活中は抑えなきゃダメですからね、先輩」

「わ、わかってるよ。でも、それには香奈の協力も不可欠だからね」

「大丈夫ですよ。隠す方向を提案したのは私ですから、公にイチャついたりはしません」

「でも、昨日誠治が言ってたよ? 香奈はめちゃくちゃわかりやすいって」

「……あかりにも言われました。本当に隠したいなら、ただの先輩後輩として振る舞うくらいじゃぬるい、追い焚きせずに二時間が経過した湯船だって」

「それもうぬるいどころかちょっと寒いよね。でも、そうだね。多分お互い無意識に出ちゃうから、そこはちゃんと意識しよう」

「そうですね——」


 香奈は少しだけ何かを考えるそぶりを見せた後、

 いきなり巧の首に腕を回し、背伸びをして唇を押し当てた。


「んっ……⁉︎ か、香奈っ?」

「学校で抑えなきゃいけない分、今のうちに発散しておかないとですから」


 そう言ってあやしげな笑みを浮かべる彼女を前に、巧が平常心でいられるはずもなかった。

 その後は、自分のモノが香奈に当たるのも気にせず、前から後ろからハグをして、キスを繰り返した。


 予定していた出発時間を過ぎそうになっていることに気づき、二人は慌てて家を出た。


「……明日からは、もう少し早く来ます」

「うん、お願い」


 抑えるという発想はないのか、とツッコミを入れる者は、その場にはいなかった。

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