第219話 正直な気持ち
十分ほどして、あかりは泣き止んだ。
「……
真っ赤に膨れ上がった瞳で
「ん?」
「如月先輩は、いいんですか? 私が
「もちろん。香奈がそうしたいって言うんだから、僕が何を言うことはないよ」
「……ありがとうございます。それと、これまでごめんなさい」
あかりが深々と頭を下げてきた。巧は黙って続きを待った。
「先輩が香奈と仲良くなってからずっと、私はひどい態度を取っていたと思います。
「ううん」
巧は笑みを浮かべて首を振った。
口止めをしていたのはおそらく、告白されたことを香奈に知られたくなかったのだろう。
香奈は必ず応援するだろうからあかりが彼女と結ばれる未来はますます狭まるし、単純に好きな人に自分と別の人の恋を応援されるというのは辛かったはずだ。
香奈との関係について根掘り葉掘り聞いてきたのも、今では付け入る隙を探していたのだとわかるが、特に不快感は覚えなかった。
「全然気にしなくていいよ。色々精神的に辛かっただろうし、それだけ好きだったってことだろうから」
「……香奈、いい彼氏を持ったね」
「うん」
あかりの言葉が皮肉でないことは、その穏やかな表情を見れば明らかだった。
香奈は居心地の悪さと照れくささが同居したような、なんとも言えない表情になっていた。
あかりは巧に向き直り、自嘲の笑みを浮かべた。
「そうなんですよね……私はちょっと趣向が特殊なことを除けばただ失恋しただけ。悲劇のヒロインぶってないで、さっさと切り替えて踏み出せって話ですよね」
「そ、そこまで言うつもりはないけど」
「わかってますよ。ちょっと面倒くさくなってみただけです」
あかりの口調はどこか投げやりだった。
「いいよ。しばらく香奈にはダル絡みしづらいだろうしね」
「……何でそうやって舞台裏を暴露するんですか」
「香奈が不安に思う可能性は潰しておかないと」
「まあ、それはそうですけど。香奈って結構ウジウジしがちですし」
「ウジ虫⁉︎」
「言ってないよ」
あかりが勢いよく吹き出した。くつくつと笑う彼女の表情は、憑き物が落ちたようにすっきりとしていた。
ようやく香奈も笑うことができた。
あかりはその後、すぐに席を立った。
いくらずっと胸に秘めてきた想いを吐き出せたとはいえ、香奈への恋心が消えていない状態でこの空間にいるのは決して快適ではなかった。
巧と香奈も居心地が悪いだろうし、何より申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
——それに、あかりにはまだやることがあった。
ちょうどそれについて考えを巡らせていると、巧が遠慮がちに尋ねてきた。
「
「お二人と話し合うまではどうするべきか判断できないから保留でいいって言ってくださいました。これからお話する予定です」
「そっか……」
巧はしばし考え込むように眉を寄せた。
「……優とどうなるのかはもちろん七瀬さんの自由だけど、ちゃんと素直な気持ちは伝えてあげてほしいな。誰が悪いとかじゃないけど優も色々考えちゃうと思うし、お互い変に気を遣わないほうが将来的にはうまくいくだろうから」
「わかっています」
あかりはしっかりとうなずいた。
巧は柔らかい表現を使ってくれたが、要は「ここまで振り回したのだから、これ以上は優が一ミリでも誤解する可能性のある曖昧な表現はするな」ということだろう。
少なくとも後半部分は当たっているはずだ。
「今日は色々とありがとうございました」
「うん」
「また明日ね、あかり」
巧は優しげな表情でうなずき、香奈ははにかむように笑って手を振った。
「うん、また明日」
胸の前で小さく手を振り返し、あかりは
そのままの足で駅に向かい、優の最寄り駅で降車した。
夕陽が鋭角で差し込む中、彼は改札を抜けたところで待っていた。
開口一番、良かったなと言ってくれた。香奈と巧との話し合いの概要はすでにメッセージで伝えていた。
あかりは涙ぐんでしまった。
彼との今後について話さなければいけないのはわかっていたが、どうすればいいのか考えの整理がついていなかった。
沈黙の中、先に口を開いたのは優だった。
「……昨日の今日どころの話じゃねえし、多分七瀬の中でも全然整理はついてねえと思う」
「はい……すみません」
「謝ることじゃねえよ」
優が短く笑った。
「そんなぐちゃぐちゃな状態で申し訳ねえけど、先に俺の考えだけ聞いてもらってもいいか?」
「……はい」
あかりは身構えた。怖くはある。だが、聞かないという選択肢を取れる立場ではないのもわかっていた。
優は唇を舐めて、言った。
「率直に言うけど、俺は七瀬と別れたくねえ」
「っ……!」
あかりは瞳を丸くさせた。
優がまだ自分のことを好きでいてくれているのは感じていた。そうでなければこれまでの行動に説明がつかないし、知らない男性に連れていかれそうになった後も、好きだと言ってくれた。
それでも、ここまでストレートに伝えてくるとは思わなかった。
あかりはうわ言のようにつぶやいた。
「たくさん傷つけたのに……?」
「確かにショックは受けたけど、男が無理ってわけではねえんだろうし、とりあえず男枠の中では一番って思っていいんだろ?」
「それは、そうですけど……」
男枠も何も、香奈を除けば彼が断トツのトップだ。
優は照れ笑いを浮かべ、
「ならまだ諦めるには早えからな。無理に白雪のことを忘れろなんて言うつもりもねえし、心の整理がつくまでいくらでも待つからさ。二番目でもいいから一緒にいてほしいんだけど、ダメか?」
「そ、それはっ……」
あかりは視線を逸らした。
罪悪感もあったが、好意がひしひしと伝わってきてとても直視できなかった。
「そ、その表情、めちゃくちゃ可愛いな」
「なっ……!」
あかりは魚のようにパクパクと口を開閉させた。全身の熱が顔に集まるのがわかった。
たまらず顔を覆った。本当に火が出そうなほど熱くなっていた。手のひらに感じる温度にさらに羞恥を覚え、あかりはうぅ、とうめいた。
「……やっぱり嫌か? こういう直接的なのは」
優の声は不安げだった。
あかりは慌てて首を振った。
「い、嫌ではないですけどっ……」
「なら良かった」
——優はホッと安堵の息を吐いた。積極的に好意を伝えることはどうやら間違いではないようだ。
巧にアドバイスを求めたところ、言われたのだ。相手への好意は自分が思っている以上に伝わってないし、素直に想いを伝えただけで関係が崩れるのならその人とはどうせうまくいかない。だから恥ずかしがらずに言葉にするべきだ、と。
少し極端だとは思ったが、それ以上に確かにそうだと納得した。
優は恥ずかしがるあかりを見て頬を緩めたが、すぐに笑みを引っ込めた。
手に汗がにじんだ。心臓の鼓動が一段と早くなった。
「これが俺の正直な気持ちだけど、七瀬はどうだ? 結論自体は全然いつでもいいけど、今の率直な考えっつーか、想いを聞かせてくれ」
——自分の意見を問われることは、あかりにもわかっていた。
答えもすでにぼんやりとだが浮かんでいた。
「私は……」
——彼女は、その言葉の続きを口にすることができなかった。
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