第85話 人を好きになるということ

「……はっ?」


 それが、「人を好きになるとはどういうことなのか」という問いをぶつけられた誠治せいじの第一声だった。

 そりゃそういう反応になるよね、と問うた張本人のたくみも思った。


「……冗談じゃねえみてーだな」


 巧の表情を見て、そう判断をしたようだ。


「うん。冗談でも、哲学談義をしたいわけでもない。本当に疑問なんだ。人を好きになるってどういうことなんだろうって。特に、友達としての好きと異性としての好きの違いってなんなのかな?」

白雪しらゆきか?」


 疑問形ではあったが、誠治は自分の指摘が的を得ていることを確信しているようだった。


「……よくわかったね」

「いや、わかるだろ普通」


 誠治が呆れたような表情を浮かべた。


「あれだけ白雪と仲良くしてて他に気になってる女いたらビビるわ。ひかるレンジかよ」

「光源氏ね。レンジ光らなかったら不便だと思う」

「うるせー。一文字違いだろ」

「まあ、ばかがりがば縢しているのはいいとして——」

「おい」

「どう思う?」

「ガン無視してんじゃねー。まあでも、そうだな……」


 誠治が真剣な表情で顎に手を当てた。その視線は左上を向いていた。


「ふとしたときにそいつのこと考えてたり、そいつと会ってねーと寂しく感じたりとか……あとは、他の男に取られてるの想像して嫌だったら好きってことなんじゃねーの? 友達感情しか持ってねーなら、別にそいつが誰と付き合おうが気になんねーだろ」

「……確かに。あぁ、確かに」


 巧は何度もうなずいた。目からうろこだった。


 基本的に理屈で物事を考える巧とは反対に、誠治は感覚派だ。

 自分では思いつかないような角度から意見をもらえるかもと思って尋ねたわけだが、期待以上の答えが返ってきた。


(確かに、異性として好きじゃなければ誰と付き合おうと勝手だよね)


 クラスで仲良くしている女子が自分ではない男と歩いたり、イチャイチャしている姿を想像してみる。

 何も感じなかった。


 では、香奈ならどうか。

 ——答えは一瞬だった。


 香奈が他の男に愛をささやき、甘えている姿など、想像もしたくない。


(そんなの絶対に嫌だ)


「……ありがとう、誠治。やっとわかったよ、自分の気持ち」

「おう。友情なのか恋なのかなんて馬鹿正直に考えるの、多分お前くらいだぜ? たまには感覚に頼れよ」

「……ん」


 巧はそっぽを向いた。


「おいなんだよ。文句あんのか?」

「いや、理屈としては完全に同意だけど、誠治のアドバイスに従って感覚に頼った結果、この判断を下した」

「お前、俺相手のときはたいてい感覚に任せて何も考えてねーだろうが」

「間違いない」


 巧はクスクス笑った。

 誠治は「ったくよー」と苦笑いを浮かべている。


「いやぁ、でもそっかー……」


 わからないわけだ、と巧は思った。前提が違ったのだから。


(僕はもうとっくに、香奈かなのことを好きになってたんだ)


 好きかどうかわからない段階だと思い込んでたから、色々知らずのうちに抑制していたのだろうか。

 恋心を自覚した瞬間、巧は猛烈に香奈に会いたくなった。彼女の温もりを感じたくなった。


(えっ、なんでこんな気持ちに気づいてなかったの僕。バカじゃん)


 巧は先程までの自分に呆れてしまった。

 そしてそれ以上に、早く香奈にこの想いを伝えたい、これまでぶつけてくれたものに応えたいと思った。


「誠治、本当にごめん。今度なんか奢るから、今日はもう帰りやがれ」

「おぉ、まったく申し訳なさが感じられねー口調だな。モックのダブルチーズバーガーで手を打ってやるよ」

「ありがとう。大好き」

「はっ、言う相手がちげえだろーが」


 誠治がニヤリと笑った。


「そうだね」


 巧は笑ってうなずき、香奈に連絡をした。

 これから話せるかと聞くと、すぐに大丈夫という返事が返ってきた。

 元々、誠治が帰った後に少しだけ会う予定だった。


 巧は軽やかな足取りで白雪家に向かった。

 緊張よりも、早く想いを伝えたいという気持ちのほうが強かった。


 ——しかし、それはあくまで相手の気持ちがわかっているからこその余裕だった。


「どうしようっ……このタイミングで話って、絶対告白の返事だよね……⁉︎」


 巧が何について話すのかはわかっても、彼の気持ちがわからない香奈は、ガチガチに緊張していた。


「お邪魔します。突然ごめんね」

「い、いえ」


 巧の明るい表情を見て、香奈の中で期待が膨らんだ。

 だからこそ、余計に怖くなった。


 早く聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ち。

 相反する感情に揺さぶられた香奈は、一旦別の話題を持ち出すことにした。


「縢先輩はどうしたのですか?」

「帰ってもらった」

「えっ、大丈夫なのですか?」

「うん。誠治は食べ物吊るしておけば大抵大丈夫だから」

「相変わらず仲が良いですね」

「親友だからね」


 穏やかに笑った巧が、打って変わって真剣な表情を浮かべた。

 大事なことを伝えようとしている顔だ。


「っ……」


 いよいよだと思うと、香奈の心臓が痛いほど脈打った。


 ——彼女の緊張は、巧にも伝わっていた。

 彼自身もまた、緊張を覚え始めていた。


(相手の気持ちがわかってる僕でも緊張するのに、わからない状態で告白できる人ってすごいなぁ)


 感心すると同時に、そんな勇気を振り絞って伝えてくれた想いをウジウジ保留にしていた自分をより一層情けなく感じたし、香奈に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


(でも、ううん、だからこそはっきり伝えないと)


「香奈。話っていうのは一昨日の花火大会の続きなんだ」

「は、はい」


 香奈がロボットのようにカクカクうなずいた。


「もったいぶっても仕方ないから単刀直入に言うね——」


 巧は一度深呼吸をしてから、香奈のルビー色の瞳を見つめて溢れ出す想いをぶつけた。


「待たせてごめん。僕も、香奈のことが好きだよ」

「っ……!」


 香奈は、瞳を見開いたまま固まってしまった。


「……おーい、香奈?」


 巧が声をかけると、彼女はぴくりと動いた。

 ——次の瞬間、猛然とその距離を詰め、巧の肩を揺さぶった。


「ほ、本当に⁉︎ 本当に本当ですかっ? 嘘でも同情でもないですか⁉︎」

「本当だよ。僕は香奈のことが好きだ」

「っ……!」


 香奈の瞳から、雫が溢れ出した。

 巧は口元に柔らかい笑みをたたえて、


「白雪香奈さん。僕と、付き合ってくれますか?」

「っ……はいっ……はい! 喜んで!」


 香奈は涙を流したまま、我慢できないとでもいうように巧に飛びついた。


「——おわっ」


 巧はその華奢な体を抱えたまま、ソファーに倒れ込んだ。


「私、やっと巧先輩の彼女になれたんですね……!」


 香奈が巧の胸に顔を埋めた。その声は涙交じりだった。

 巧はルビー色の光沢を放つ髪の毛を、毛流れに沿ってそっと撫でた。


「そうだよ。僕たちは恋人になったんだ」

「はいっ……! あ、あの、巧先輩っ」

「ん?」


 香奈がソファーに手をついて上半身を起こした。

 彼女は熟れたリンゴのような真っ赤な顔で、巧を見下ろしながら、


「も、もう一回……好きって言ってくださいっ!」

「っ——」


 愛の言葉は、自分で言おうとして言うよりも、人に促されるほうが恥ずかしい。ソファーに押し倒されて床ドンのような体勢になっているなら尚更だ。


(でも、これ以上逃げるわけにはいかないよね。それに何より、可愛い彼女のおねだりなんだから)


「うん。何度でも言うよ。僕は香奈のことが好きだ」

「もう一回っ」

「好きだよ」

「も、もう一回!」


 はにかみながらおねだりを続ける香奈が無性に愛おしくなり、巧は彼女の背中に添えていた腕に力を込めた。


「ひゃあ⁉︎」


 可愛らしい悲鳴とともに、香奈が胸に倒れ込んでくる。

 巧は彼女の細い腰と後頭部に手を回して力強く抱き寄せ、その耳元にささやいた。


「大好きだよ、香奈」

「っ——! うんっ……私も大好きです……!」


 香奈は巧のシャツの胸の辺りをギュッと掴み、首筋に顔を埋めて嗚咽おえつを漏らし始めた。

 震える背を、巧は優しくさすった。


「ごめんね。不安だったよね」

「本当ですよっ……巧先輩の馬鹿、鈍チン、朴念仁……!」

「うっ……返す言葉もないです」

「でも——」


 香奈は顔を上げて、恥ずかしそうに頬を染めながら、


「——そんなところも、大好きですよ」

「っ……!」


 巧は再び彼女のことを力強く抱きしめながら思った。よし、結婚しようと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る