第179話 優の作戦

 たくみ香奈かなと、誠治せいじ冬美ふゆみとそれぞれ回っている間、まさる大介だいすけと一年A組を訪れていた。

 スタッフ全員が黒服を着ており、ポーカーやブラックジャックなどのカジノの定番のゲームが行われている。香奈とあかりが所属しているクラスである。


 目的はもちろん、優の彼女であるあかりだった。

 昨日は欠席者の影響であかりのシフトが変更になったこともあり、優の予定と噛み合わなかった。


「あっ、百瀬ももせ先輩」


 ちょうど代わったところだったらしく、あかりは黒服に身を包んで奥から姿を現した。

 優の姿を見つけると、微笑んで小さく手を振った。


「な、七瀬ななせっ……!」


 大人びた格好だけでも大ダメージを被っていた優は、その控えめな可愛らしい動作に悶絶した。

 赤面する彼氏を見て、あかりははにかむように笑った。

 ——優の体温がさらに上昇したのは言うまでもなかった。


金剛こんごう先輩もおはようございます。やっていかれますか?」

「うむ。空いているか?」

「大丈夫ですよ」


 あかりはブラックジャックのディーラーを担当していた。

 彼女が説明をしている間も、優はほとんど話を聞いていなかった。


「……という感じです。ルールは大丈夫そうですか?」

「うむ」

「百瀬先輩? 聞いてましたか?」

「えっ? ……あっ、わ、悪い。聞いてなかった」

「もう、何ぼーっとしてるんですか」


 あかりにジトッとした目線を向けられ、優は怒った表情も可愛いな、などと考えつつもう一度「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。


「体調が悪いわけではないですよね?」

「あ、あぁ。ちょっとぼーっとしてただけだから」


 君に見惚れていた、などと素直に口にできるほど、優はプレイボーイではなかった。


「悪いけどもう一回いいか? 今度はちゃんと聞くから」

「わかりました」

「悪いな大介」

「ガッハッハ! 気にすることはない」


 大介がおおらかな笑みを浮かべた。


「次にちゃんと聞けば良いのだ」

「おう」


 微笑ましいものでも見るような視線を向けられ、優はむず痒い思いをした。

 大介はよく知らない人からすれば大声で笑う武士然とした変人にしか見えないだろうが、その実他人のことをよく見ている。優があかりに見惚れていたのもきっとバレていることだろう。


 これ以上迷惑をかけるわけにはいかないし、いくら可愛い彼女が目の前にいるとはいえ勝負は勝負だ。

 優はそれ以降はゲームに集中した。

 そしてお互いに勝ち星を積み重ねて、戦績としてはほぼ互角で最終ゲームを迎えた。


 ブラックジャックは簡単にいえば、手持ちのカードの合計が二十一を超えない範囲で二十一にもっとも近い人が勝つというゲームである。

 絵札は全て十扱いになったり、エースが状況によって一扱いされたり十一扱いされるなどの細かいルールはあるが、基本は単純だ。


 まずはプレーヤーに各々二枚、ディーラーに一枚のカードが配られ、そこからカードを引くかその手札で勝負をするか決める。

 最終戦、優の手元には九と七があった。合計十六だ。


 大介は二十一を超えて失格になっているため、実質優とあかりの一対一である。

 あかりの手元には十のカードがあった。つまり、彼女が七以上を出せばその時点で優の負けは確定だ。


 ディーラーは合計が十七を超えるまではカードを引かなければならないというルールがあるが、この際それはあまり関係がない。

 迷った挙句、優はカードを引かない選択をした。


 ——そしてあかりが見事にエースを引き当てて合計二十一となり、彼は敗北した。


「百瀬先輩。こういうのは思い切りも大事なんですよ?」


 あかりにポンポンと肩を叩かれた。

 負けたのは悔しかったが、それでボディタッチをしてもらえたのなら御の字か、と優は思った。


 昨日も大介、そして巧や誠治と来ているが、もう一度やってみたいゲームもあったのでそれを楽しんだ。

 今日は一般公開であるため、当然様々な客が来ていた。

 中にはナンパをする者もおり、あかりは一番声をかけられていた。


 ちゃんと「彼氏がいるので」と断ってくれている声は聞こえてくるし、しつこい場合を除いて他人が勝手に制限できるようなものでもないため、優には静観しか選択肢はなかった。

 しかし、自分の彼女が他の男から甘い言葉や誘い文句をかけられているのは気分が良いとは言えなかった。


「何もしないでいいのか?」


 大介があかりのほうへチラッと目線を向けてから尋ねてくる。


「あれくらいなら俺がしゃしゃっても変な空気になるだけだろ」

「別にナンパを撃退しろというわけではない。ただ、巧と白雪のようにとはいかないが、優も少しくらいはアピールしてもいいような気がしてな。特に一般公開されて二人の交際を知らない者のほうが多いならなおさらだ」

「たしかに……」


 優はいくつか案を考えてみた。そして赤面した。

 付き合ってからまだ一週間も経っておらず、結局まだ手もつなげていない。

 そんな状態で衆人環視の中「こいつは俺の女だ」とアピールするのはハードルが高かった。


「……やっぱり恥ずいんだけど」

「だが、七瀬も少し迷惑しているように見えないか?」


 大介の言葉に優はハッとなった。

 たしかに今日会ったばかりの人にはわからないだろうが、ある程度の付き合いのある者なら見抜ける程度には不愉快そうな表情を浮かべていた。


 これはあかりのためなんだ。

 自分にそう言い聞かせて羞恥心を押し殺し、優は彼女に近づいた。


「な、七瀬」

「なんですか?」

「このシフト終わったらさ、どっかで一緒に昼飯食べねえか?」


 あかりはパチパチと目を瞬かせた後、頬を緩めてこくりとうなずいた。


「いいですよ」

「マジか、サンキュー! そ、それじゃ、またなっ」


 優は逃げるようにそそくさと退出した。

 苦笑いを浮かべつつ、大介もその後に続いた。


「よかったではないか。勇気を出した甲斐があったな、ガハハハハ!」

「うっせ」


 優は不満げな顔を浮かべていたが、その口元は緩みを抑えきれていなかった。


 一方、クラスメートや一般客の前で公開お誘いを受けたあかりは、居心地が悪そうにしつつも頬を染めていた。

 当然、シフトの交代時間ではその場にいたクラスメートからイジられる結果となった。


 あかりも若干面倒には感じていたが、自身も友達のことをイジったりはするので笑みを浮かべて対応していた。

 揶揄っている者たちも普段からあかりと仲良くしている者たちで、彼女がそこまで気分を損ねていないとわかっていたからこその愛のあるイジリだったが、


「おい、七瀬さんが困ってるんだ。そこら辺にしといたらどうだい?」


 一人の男子生徒が呆れたような声を上げた。

 テストでは常に総合五位以内をキープしている秀才の田口たぐち和也かずやだった。


 和也はクイッとメガネを押し上げ、馬鹿にするような笑みを浮かべて周囲を見回した。


「なるほど。たまには揶揄いあったりするのも友情を育むことはあるだろう。しかし、君たちは限度というものを知らないな。七瀬さんが明らかに迷惑していたのに気づかないのかい?」

「いや、別に私そんなに迷惑に感じてないんだけど」

「ふっ、優しい君はそういうだろうね。でも、僕の目は誤魔化せないよ」


 和也は得意げにメガネを押し上げてみせた後、「さあ交代の時間だ」と周囲を促した。

 白けた空気の中、それぞれが着替えを済ませて——ほとんどはクラスTシャツとそれに合わせたズボンの上に黒服を着込んでいるだけだ——裏から出ていった。


 みんなに続いてあかりも教室を出ようとしたとき、


「——待つんだ、七瀬さん」

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