第178話 幼馴染とのドキドキお化け屋敷

 誠治せいじの一緒に回らないかという誘いに、冬美ふゆみはさほど迷うことなく答えた。


「いいわよ」

「……えっ?」


 断られるかもなどと考えていた誠治は、間抜けな表情を浮かべてしまった。


「何よ、その馬鹿そうな顔は」

「うるせっ……えっ、マジでいいのかっ?」

「えぇ。だけど勘違いはしないで。これはあくまで幼馴染としての判断だし、友達と回る約束もあるから一箇所だけよ」

「お、おう。それでも全然いい。サンキューな!」


 誠治はニカっと笑った。

 どんな理由や条件であろうと、承諾してくれたという事実が嬉しかった。


「べ、別にそんなお礼を言われることではないと思うのだけれど……それで、あなたはどこを回りたいのかしら?」

「えっ? あっ、いや、すまん。全然考えてなかった」

「まったく……さすがはバかがりね」

「しょ、しょうがねーだろっ」


 お前のことを誘うので頭がいっぱいだったんだからよ、とは言えなかった。

 誠治はそそくさとパンフレットを開いた。すぐに一つのクラスが目に留まった。


「冬美、ここ行ったか?」

玲子れいこ先輩たちのお化け屋敷ね。行ってないわ」

「マジ? 昨日行きそびれてよ、ここ行かねえか? ——あっ」


 食い気味に誘った後、誠治はあることを思い出した。


「でもお前、意外とこういうの苦手だったっけ?」

「そんなことはないわ。ただ必要以上に怖いものを体験しようとする心理がわからないだけよ。文化祭程度のものなら何も問題ないわ」

「お、おう」


 冬美は少し早口になっていた。

 本心を隠したいときの癖だと長年の経験から見抜いた誠治は、強がっている彼女を愛おしく感じて思わず頬を緩めてしまった。

 冬美の目つきが鋭くなる。


「気に入らないわね、その表情。何か言いたいことでもあるのかしら?」

「い、いや、なんでもねえ! それよりほら、早くいこーぜ」

「……まあ、いいのだけれど」


 やっぱりやめる、などと言い出されなかったことに誠治は安堵の息を吐いた。

 直後、脇腹に痛みが走った。


「いってぇ⁉︎ 何すんだっ」


 冬美を睨みつけた。痛みの正体は彼女のつねりだった。


「別に。さっきの表情がやっぱり気に入らなかっただけよ」

「……やっぱりかなり理不尽だよな、お前」

「悪いかしら?」

「いや、そういう飾らねーところもいい……って、別に変な意味じゃねーぞ⁉︎」

「わ、わかってるわよ」


 誠治は顔を赤くして叫んだ。

 冬美はそっぽを向いて弱々しく答えた。その耳は淡く色づいていた。


「そ、そんなことはどうでもいいわ。早く行くわよ」

「お、おう」


 二人はほんのり気まずさを感じつつ、階段を降りて喧騒けんそうの中へと飛び込んだ。




「冬美」

「何よ?」

「やっぱりやめとくか?」


 順番待ちをする冬美の頬は明らかに強張っていた。


「何、怖気付いたのかしら?」

「お前がな。ガチガチに緊張してんじゃねーか」

「何を言っているのかしら? 緊張でうまく像を結べていないんじゃないの?」

「ゾウは結ぶもんじゃねーだろ。あんなでけーんだからよ」


 誠治が大真面目にそう言うと、周囲からいくつか吹き出すような声が聞こえた。

 冬美は呆れたようにため息を吐いた。


「動物のことではないわ。さすがはバ縢ね」

「んだとコラァ」


 冬美がほんの少しだけ頬を緩めた。いつも通りのやり取りをして気が紛れたのだろう。

 誠治としては意図していたわけではなかったが、冬美に余裕が戻ってきているのを感じ取って安堵した。


 しかし、順番が近づくに連れて再びその表情は固くなっていった。


「冬美——」

「うるさいわね」

「まだ何も言ってねえ⁉︎」


 誠治は抗議こそしたものの、続きは口に出さなかった。

 冬美が怖がっているのは明白だったが、プライドの高い彼女のことだ。誠治からやめようとでも言い出さない限りは、むしろ意固地になって引かないだろう。


 誠治としては心配ではあるもののそれ以上に怖がる冬美を見たかったし、ラッキーな展開も期待していた。

 自ら降りようとは思わなかった。


 受け付けの木村きむらは冬美を心配そうに見やった。

 同じ一軍として彼女の性格は知っているためか、何も言わなかった。


 お化け屋敷に入ると、冬美は誠治の一歩後ろを着いてきた。

 滅多にないことだったが、誠治は指摘しなかった。

 空気を読んだというよりは、余裕のない状態の冬美の加減を知らない反撃を恐れたという側面が大きかったが。


 入ってすぐにいかにもという曲がり角があったが、お化けは出てこなかった。

 冬美はそっと息を吐いた瞬間、


「わあ!」

「ひっ……!」

「なっ……⁉︎」


 冬美にくっつかれて、誠治は心臓が飛び出そうになった。


(や、柔らけっ……それにこの甘い匂い……⁉︎)


「ふふ、いい反応してくれるな」


 お化け役の玲子に笑われ、冬美はサッと顔を赤くさせた。

 ——誠治に抱きついてしまったことを自覚した瞬間、その頬はさらに色づいた。


「っ……!」


 息を呑みながら、彼女はパッと飛び退いた。

 背中に感じていた柔らかさやら鼻腔をくすぐる甘い匂いやらから解放され、誠治は少しだけ冷静さを取り戻した。


「……どうする? 戻るか?」

「そ、そんなわけないでしょう。い、今のはいきなりで少しビックリしただか……だけよ」

「今噛んだ——ぐふっ!」


 鳩尾に拳を入れられ、誠治は膝から崩れ落ちた。

 冬美もさすがに本気ではないし、誠治はそんじょそこらとは比べ物にならないほど頑丈なので、彼らはすぐに気を取り直して進み始めた。

 殴られたおかげで、誠治はかなり冷静さを取り戻していた。


 それからの二回、冬美はお化け役の人が望む通り、いやそれ以上の反応を提供した。


「い、今のは足元に気を取られて油断していただけよ」


 なおも強がる冬美に、誠治は笑ってしまいそうになった。

 しかし、実際には空気が中途半端に漏れ出しただけだった。

 ——冬美に服の袖をギュッと掴まれたからだ。


「ふ、冬美っ?」

「か、勘違いしないで。暗くて足元が危ないからよっ」

「お、おう」


 誠治はドギマギしてしまった。


(指先でつまむのはやべーって……!)


 暗闇で良かったと思った。今の夕陽すらもかすむほど赤くなった顔を見られなくて済んだのだから。

 望んでいたし少しだけ期待していた展開だったわけだが、実際に起こると変な反応をしないようにするのが精一杯だった。


 そんな彼がお化けに意識を向けられるはずもなく、


「わっ!」

「どわぁ⁉︎」


 曲がり角で驚かされ、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ふん。余裕そうにしていたのは演技かしら?」


 冬美がここぞとばかりに攻撃、いや口撃をしてくる。

 彼女はビクッと小さく体を跳ねさせたものの、これまでほどは驚いていなかった。


(くそっ、なんで俺が驚いたときに限って……おっ?)


 誠治は冬美が冷静さを保てた要因にアタリがついてしまった。

 それ——自分の服の袖を掴む彼女の手に目を向ける。


 誠治の意図するところはわかったのだろう。

 彼女はパッと手を離した。


「も、もう出口だから大丈夫よっ」


 言い訳をするように言い、ズンズンと大股で進み出した。


「あっ、冬美——」


 誠治は慌てて追いかけた。


 その後の展開は、もはやお約束だろう。

 意気揚々と——というよりは何かを振り払うように——突き進んでいた冬美が、出口付近で待ち構えていたお化けに対応できるはずもなかった。


「わぁ!」

「ひゃあ!」


(なんだ今の可愛い声っ……! つーか、普段は頭いいあいつでも、テンパってるとあそこにお化けがいる可能性に気づかねーんだな……)


 誠治が微笑ましい気分になっていられたのは、冬美が正面から飛びついてくるまでだった。


「っ……!」


 誠治は何が起きたのかを理解できずに固まってしまった。

 好きな女の子に抱きつかれているというのに、男の象徴は硬くならなかった。それほどまでに精神的余裕を失っていたのだ。


 しかし、本日二度目の柔らかさと甘い匂いに思考を取り戻し、誠治は叫びそうになった。

 本能のなせる業か、冬美のことをガッチリと抱きしめてしまっていたのだ。


 おそらくは幼稚園か小学校低学年以来であろうハグは、彼らの頬を赤く染め上げるには十分すぎるものだった。




「……ごめんなさい。迷惑をかけたわ」


 階段に腰掛け、冬美がポツリと謝罪の言葉を口にした。


「い、いや……」

「何よ? 文句があるのなら言いなさい」


 冬美が誠治にジト目を向ける。

 この目を前にすると、誠治は嘘を吐けなかった。


「文句じゃねーよ……正直、めっちゃか、可愛かった」

「っ〜! 馬鹿っ」

「っ……!」


 スパーンと頭を叩かれ、誠治は声にならない悲鳴をあげた。涙目でうめいた。


「本当にあなたはバ縢だわ!」


 冬美はパタパタと足音を立てて階段を駆け降りた。

 最後の一段で振り返り、


「……でも、つまらなくはなかったけれど」

「えっ? なんか言ったか?」

「な、なんでもないわよっ。飲み物ごちそうさま!」


 冬美はそう言い捨て、逃げるように去っていった。


「……それは反則だろ」


 普段の冷静沈着な姿とは似ても似つかない、赤面して取り乱した様子を見せられたのだ。

 誠治が動揺してしまうのも無理のない話だろう。


 彼は階段の最上段に腰を下ろしたまま、熱が引くまでコーラの入ったコップを頬に押し当てていた。

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