第110話 体育祭② 今度は巨乳のクラスメートの借り人になった

 たくみは二年生の中で比較的早い走順だったため、彼の番が終わっても借り人競争は続いていた。

 巧の友人でサッカー部の三軍所属であるまさるのお題は、巧と同じく「尊敬できる人」だった。


 優は真っ先に巧を探した。

 三軍でくすぶっている身からすれば、彼が一軍でも頭角を表していることに対して何も思わないわけではなかった。


 それでも優は巧のことが友人として大好きだったし、そのストイックさや誠実さを尊敬していた。

 しかし、どこを見渡しても彼の姿はなかった。


誠治せいじ、巧どこ行ったか知らねえ?」

「トイレ行ったぞ」

「マジか」


 さすがにトイレから戻ってくるのを待ってはいられない。

 優は慌てて他の候補者を探した。


「誠治は……」


 彼も部活に関しては巧に負けず劣らずストイックであるし、人柄も良いが、


「……うん、なんかちょっとちげえな」

「おい、何がだよ」


 誠治のツッコミはスルーして、優はキョロキョロと人混みを見回した。


「うーん……あっ」


 誠治のすぐ近くに、一際目立っている女子二人組がいた。

 香奈かなとあかりだった。目立っているのはどちらも容姿が優れているからだ。


 優は少し躊躇ったのち、覚悟を決めて、


「な、七瀬ななせ。来てくれ」

「えっ? あっ、はい」


 あかりが困惑しつつも人混みから出てきた。

 さすがに香奈が巧にしたように手を取る勇気はなく、普通に並走して走る。


「悪いな、突然」

「いえ……ですが、如月きさらぎ先輩の代わりに私で大丈夫なお題なんですか?」

「あぁ、それは大丈夫」


 優はあかりのことが気になっている。

 しかし、だからと言ってお題から逸れた人選をしたつもりはなかった。


 他の組も適任を借りてくるのに手こずったところが多かったらしく、優たちは二位でフィニッシュした。


「二位は白組です。お題は〜……尊敬できる人!」


 戸惑いの空気がその場を包んだ。

 それはそうだろう。先輩の男子が後輩の女子を尊敬の対象として見ることは、一般的には多くはないからだ。


「……本当に私でよかったんですか?」


 あかりが不安そうな表情を浮かべた。


「ま、まあな。三軍にいたときも細かい気配りしてくれてたし、前に俺にアドバイスくれただろ?」

「あぁ、はい」


 優は以前、巧が一軍に昇格したという話を聞いて、祝福する気持ちと同時になんであいつが、という考えを抱いてしまった。

 そのときにあかりが「いくら友達でも他人なんだから、抱いちゃいけない感情を抱くことくらいある。それを相手にぶつけないことが大事」と、受け入れて慰めてくれたのだ。


「あんとき、マジですげーやつだって思ったんだよ。だから尊敬しているっていうか……」


 恥ずかしくなって、優の声は尻すぼみになった。

 あかりは頬を緩めて、


「別に、百瀬ももせ先輩から尊敬されるような人間じゃないですよ、私は」


 謙遜しているというよりは、どこか自嘲しているようだった。


「あっ、すみません。せっかく選んでくださったのに」

「いや、全然。俺こそ迷惑かけたな」

「迷惑じゃないですよ。嬉しかったです」

「……おう」


 優は微妙に視線を逸らして、短くそう答えた。


(へぇ、大介だいすけの言った通りだったんだ)


 トイレから戻ってきた巧は、二着と書かれた旗の下にいる優とあかりを見てそう思った。


 どうやら優があかりのことを好きらしい——。

 そんな情報が大介から巧と誠治にもたらされたのは、まだ彼女が二軍に昇格する前の話だ。


 本人から言ってこない限り話題に上げるつもりはないが、一緒にいる時間が減っても優は諦めていないようだ。

 頑張れ、と巧は心の中で友人にエールを送った。


 二年生の最終組になった。

 巧のクラスからは、香奈がおっぱい星人と称した山吹やまぶき小春こはるが出場していた。


 彼女にも香奈にも悪いとはわかっているが、どうしても走っているときにバルンバルン揺れる胸に目がいってしまう。

 タンクトップからのぞくゴツゴツとした筋肉の塊のような肩に視線が吸い寄せられるのと同じで、特に欲情しているわけではなかった。


 大変そうだなぁ、と呑気な感想を浮かべていると、小春がパッと巧のほうを振り向いた。

 何度か躊躇うそぶりを見せた後、彼女は覚悟を決めたように走ってきて、


「き、如月君っ、来てください!」

「えっ?」


 手を握られて引っ張られる。

 香奈のことが頭をよぎったが、交際を隠している状態で手を振りほどくのは——しかも衆人環視の前で——デリカシーに欠けるため、巧はやむを得なく小春と手をつなぐことにした。

 香奈には後で謝れば許してもらえるだろう。


「ごめんなさい、急に……」

「大丈夫だよ。何のお題だったの?」

「ひ、秘密ですっ」


 小春が叫ぶようにいった。頬はピンク色に染まっていた。

 とっさに引っ張っちゃったけど元来男子との接触は苦手だから緊張しているといったところだろう、と巧は解釈した。


 お題は「努力ができる人」だった。


「あ、あのっ、いつも部活で頑張ってるの見ていたのでっ!」


 小春が言い訳をするように言った。


「たしかにいつも部活見にきてくれてるよね」

「き、気づいてたんですかっ?」

「もちろん」


 胸がその存在を声高に主張していたから、というわけではない。

 毎日ではないにしろ、結構頻繁にクラスメートが練習を見にきていたら、たとえどんなに地味な子だったとしても気づくだろう。


「そうですか……!」


 小春が嬉しそうに微笑んだ。

 巧は強烈な視線が自分に突き刺さるのを感じた。誰かなど、確認するまでもない。


(……帰ったらキスするついでに舌でも入れようかな)


 巧は半ばヤケクソになっていた。




 巧が最後に出場する種目は騎馬戦だった。

 彼を下から支えるのは誠治と明るいキャラクターでクラスの中心人物である雨宮あまみやさとる、そしてしょっちゅう絡んでくる正樹まさきだった。


 彼はなかなか巧に対してフラストレーションを溜めているようだった。

 誠治と諭もいるし、さすがに落っことすようなことはしてこないだろう、と巧は自分に言い聞かせた。


 ——実際、その読みは当たっていた。

 正樹は自分の狙っている香奈と親しくしているから、というだけではなく、単純にクラスで巧が人気者になっていることが許せなかった。

 自分よりも身長が低くてなよっぽい男だと見下していたからだ。


 しかし、そういう嫉妬をする者は元来小心者が多い。

 正樹も例に漏れず、彼には巧を故意に落下させて怪我をさせるという選択肢は取れなかった。


 しかし、借り人競争で香奈と小春に借りられていた巧に対しては、かなり嫉妬という名の怒りが募っていた。正樹は誰にも借りられることはなかった。

 だから、自分が騎馬の動きを仕切って巧に成果を上げさせないようにしようとした。


「そっちはダメだ。こっち行くぞ」

「はあ?」


 誠治も悟も正樹の判断には首を捻ったが、巧の安全を考えると無視できなかった。


 ——そんな正樹の狙いには、巧は比較的初期の段階から気づいていた。


(やることが小さいなぁ……)


 呆れつつ、方針を考える。

 正樹は巧に点を取らせないように動いている。ならば、から点を取ればいい。


 騎馬戦のフィールドは決して広くないため、誰かから離れるということは誰かに近づくということだ。

 あくまで前を見ているふりをしながら、正樹が巧に点を取らせまいと隊を下がらせたその瞬間、斜め後ろを過ぎ去った白色の鉢巻を奪い取った。

 彼の常人離れした空間把握能力がなせる業だった。


「……うおおおお!」


 一拍遅れて、歓声がその場を包み込んだ。

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