第五章

第109話 体育祭① 彼女の借り人になった

 体育祭当日。

 校門付近で、たくみ香奈かな誠治せいじ冬美ふゆみの幼馴染コンビに出くわした。


「冬美先輩ー!」


 香奈が飛びつき、冬美が一歩も後ずさることなくがっしりと受け止める。恒例行事だ。


「昨日、あの後は二人とも大丈夫だったのかしら?」

「はいっ」

「大丈夫だよ。お気遣いありがとう」

「別にそういうわけじゃないわ。ああいう後先考えられない馬鹿が調子に乗っているのが嫌いなだけよ」


 巧のお礼に、冬美がそっけなく答えた。


「巧、ああいう言い方は気にすんなよ。あいつ、ここ最近めっちゃお前らのこと心配してたから。俺がトマト残してんのも気づかないくらい」

「わかってるよ」


 誠治の耳打ちに、巧は笑みを浮かべてうなずいた。


「何をコソコソ言っているのかしら?」

「いててててっ!」


 問答無用で耳を引っ張られている誠治を見ながら、巧は自分が恵まれていることを痛感していた。


 じゃれている幼馴染コンビだけではない。

 まさるや大介といった同級生もそうだし、三葉みわ二瓶にへい飛鳥あすか木村きむらといった先輩や晴弘はるひろたち後輩もそう。

 事情を知っている、もしくは聞きかじっている多くの人が、巧のことを心配してさりげなく声をかけて励ましてくれていた。


 大体の主要な変人からは一度は絡まれたのではないかと錯覚するほどの面倒事の多さは不幸と言えるかもしれないが、それは仕方のないことだとも思っていた。

 スポーツ強豪校において、巧のような基本的な能力は劣っている選手が特殊なプレーで成り上がれば、王道で陽の目を浴びてきた——もしくは浴びようとしている——他の者たちからすれば面白くないだろうし、まるでズルでもされたかのように感じてしまってもおかしくはない。


 それに交際を隠しているとはいえ、香奈という中身も優れた絶世の美女と仲良くしているのだ。

 彼女と一緒に過ごせることで得られる幸福感を考えれば、必要経費として割り切ることもできた。


 巧は何気なく香奈に視線を向けた。

 不思議そうな顔をした後、彼女はくすぐったそうに笑った。


 こいつら付き合ってるの隠す気あんのか、と冬美にしばかれて涙目になっている誠治は思った。




 巧が参加する初めての種目は借り人競走だった。

 参加者は紙が並べられたところまで走っていき、一枚を引く。そこに書かれているお題にマッチする人と一緒にゴールをして順位を争うという競技だ。


 学年別に行われた。最初は一年生からだった。

 香奈も参加していた。彼女はお題を見るや否や、巧たちのいる場所めがけて走ってきた。

 周囲の男子が「もしかして格好いい人じゃね?」「俺選ばれるかも!」などと色めきだっていたが、彼女の瞳が真っ直ぐ自分を捉えていることは巧にはわかった。


 体育祭ということでテンションが上がっていたのだろう。

 彼女は紙をメガホンがわりにして、


如月きさらぎたくみ、如月巧さんどこですかー?」

「僕選挙立候補してないよ」


 ツッコミを入れつつ、巧は香奈の元に向かった。


「行きましょうっ」


 香奈が巧の手を取って走り出す。


「お題は何なの?」

「秘密ですっ」


 香奈が弾んだ声を出した。それから声を沈めて、


「——バレるようなものじゃありませんから」


 と付け足した。


「おっ、おい。白雪しらゆきが男と手をつないでるぞ!」

「何ぃ⁉︎」

「いや、借り人だからってだけに決まってんだろっ」

「——あっ」


 周囲の声を聞いて、香奈がしまった、という表情を浮かべた。

 交際が公になるようなお題で巧を選ばないように気をつけてはいたようだが、手を握ったのは無意識だったらしい。


 大丈夫だよ、という意味を込めて、巧は他人からはわからない程度にわずかに力を入れた。

 香奈が一瞬だけ巧のほうを見て頬を緩めた。さらに走るギアを上げた。

 二人は見事一位でゴールした。


「おっ、一位は赤組です! お題は〜……頼りになる人!」


 なんとも言えないざわめきがその場を包んだ。

 巧に飛んでくる男子からの殺意はいくぶん和らいだような気がしないでもないが、それでも心中穏やかそうでない人のほうが多かった。


 女の子から頼りにされるというのは、男子にとっては一つの重要なステータスなのだ。

 それが香奈のような可愛い子であるならなおさらであり、その対象である巧を快く思わないのは男の性だろう。

 もっとも、それを剥き出しにしていいのかはまた別問題であるが。


 これならいいでしょ? とでも言うように、香奈が小首を傾げて笑った。

 巧は仕方ないなぁ、と頬を緩めた。


「おい、巧。お前めっちゃニヤニヤしてたな。もしかして白雪のこと好きなんじゃねえの〜?」


 借り人としての役目を終えた巧に、正樹まさきが意地の悪い笑みを浮かべて話しかけてきた。

 巧に絡んでいないと酸素を吸わせてもらえないという契約でも神様と交わしているのだろうか、と巧は思った。無意識のうちに漏れそうになったため息を堪えながら、


「後輩に頼りにされるのは先輩冥利に尽きるし、男としても女の子に頼りにされるのも嬉しいからね。そりゃニヤニヤもしちゃうよ」

「へぇ、如月君も女の子に頼られたら嬉しいんだ? 意外〜」


 クラスメートの倉木くらきあやが話に加わってくる。


「男はみんな単純なんだよ」

「そうなんだ! じゃあ今度から頼りまくるねっ」

「課題は見せてあげないからね」

「ちぇ、バレたか」


 二人の会話で笑いが起こる。

 巧は綾に目礼した。現在置いてけぼりになって悔しそうな表情を浮かべている正樹から巧を助けるために、彼女は話に加わってくれたのだ。


 綾はどういたしまして、とでも言うように白い歯を見せてから、


「如月君もぼちぼち出番じゃない?」


 と促した。


「借りる側でも一位取ってこいよ!」

「イメチェン効果見せつけてやれっ」


 激励を背中に受け、巧は指定場所に向かった。


 間もなくして二年生の順番がやってきた。

 巧のお題は「尊敬できる人」だった。


 何人かの顔が浮かんだ。その中には香奈も含まれていた。

 しかし、さすがにお互いが借り合うというのは面倒事に発展しそうだったため、選択肢から排除した。


 サッと周囲を見回すと、最適解が視界に飛び込んできた。


「トメ子先生、ちょっとよろしいでしょうか?」


 巧は咲麗しょうれい高校三賢人の一人で家庭科の申し子の異名を持つ御年七十二歳の家庭科の教師、葉月はづきトメ子を連れ出した。

 まだまだ腰も曲がっておらず、真夏のサッカー部の練習を観にくるなど同年代に比べて体力はすさまじい女性だ。


 ただ、さすがに走らせるわけにはいかないので、手をつないで歩いてゴールを目指した。


「私でよかったのかしら? このままだと最下位になってしまうと思うんだけど……」

「いいんですよ。こういうのは楽しんだもん勝ちですし、真っ先に先生が頭に浮かびましたから。逆にすみません。炎天下の中ご同行してもらっちゃって」

「そんなのはいいのよ。如月君に選んでもらえるなんて名誉なことだからねぇ」

「ありがとうございます」


 二人は終始和やかに会話をしながらゴールテープを切った。

 もちろん最下位だったが、一際大きな拍手が送られた。


「赤組、堂々のゴールです! お題は〜……尊敬できる人!」


 周囲から「うおおおおー!」という野太い歓声が上がった。トメ子はどちらかといえば男子生徒に人気だった。

 もちろん恋愛対象などではなく、親しみやすい可愛い先生という意味で。


「誰か二人に特別ボーナスを!」

「いいぞ巧ー」

「優勝は赤組だっ」

「くっ、降参だ!」

「二人とも俺が養うー!」


 司会の煽りを皮切りに、その場はさらに盛り上がった。

 重低音の養う宣言は、巧は聞こえなかったことにした。


「巧、お前が優勝だ!」

「ナイス人選!」


 最下位だったにも関わらず、クラスメートからは称える声が飛んできた。

 正樹は何か言いたげな表情だったが、すでに巧を祝福するムードになっていたためさすがに堪えたようだ。


 巧が次に出場するのは騎馬戦だ。

 巧は騎手——上で、下で支える三人のうち、一人は正樹だ。


(……いや、さすがに何もしないよね)


 巧は首を横に振り、浮かびかけた嫌な想像を振り払った。

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