第26話 大事な後輩ですから
「夜分遅くにすみません。今から少しだけ話せますか……と」
巧がメッセージを送信すると、すぐに既読がついた。
——大丈夫だよ。どうしたの?
——少し相談というか、お願いがありまして。
——珍しいな、
——ありがとうございます。僕からかけますね。
——わかった。
ワンコールも響かないうちに、相手は電話に出た。
『もしもし』
「お疲れ様です。こんな時間にすみません、
『気にしないでくれ。ダラダラしていたところだ』
巧に気を遣わせないための冗談だろう。
『それで、お願いというのはなんだ? 彼女役でもして欲しいのかい?』
「とても魅力的ですが、今回は残念ながら別件です。実は
『……
玲子の声が真剣味を帯びた。
「実は今日の練習後、白雪さんとキャプテンの間に一悶着あったんです。詳細は話せなくて申し訳ないのですが、キャプテンは最低でもキャプテン資格の剥奪、そして謹慎処分になるようです」
『っ……!』
電話口の向こうで、玲子が絶句した。
『……それは、なかなかだな』
「はい。詳細を話せず申し訳ないのですが……」
『構わないよ。それで、頼みというのは
「その通りです」
『わかった。けど、こう言ってはなんだけど、私ではカバーはし切れないよ? そもそも、明日の練習試合と明後日の練習が終われば、香奈ちゃんは二軍に戻るわけだし』
「わかっています。本当にさりげなく気にかけてくだされば、それで十分です。白雪さんは愛沢先輩に懐いているようですし」
玲子が返事をするまで、少しだけ間が空いた。
『……本当に大切にしているんだな、香奈ちゃんのことを』
噛みしめるような口調だった。
巧の答えは決まっていた。
「大事な後輩ですから」
『それは、僕のことをもっと大切にしろという、私に対するプレッシャーかい?』
玲子が含み笑いをした。
きっと、意地悪そうな笑みを浮かべていることだろう。
「まさか。愛沢先輩には十分過ぎるほど良くしてもらっていますよ。いつもありがとうございます」
『……本当に後輩力が高いな、君は』
「先輩の先輩力が高いおかげでしょう」
『おや、なかなか上手い返しを覚えたじゃないか。今度ヨシヨシしてあげよう』
「やっぱり前言撤回で」
『おい』
二人は笑い合った。
『まあ、要件はわかった。香奈ちゃんは私にとっても大事な後輩だ。彼女が二軍に戻った後も、なるべく気にかけてみるよ』
「ありがとうございます」
『あぁ。要件というのはそれだけかい?』
「はい。夜遅くにすみませんでした」
『如月君。そこはすみませんではなくて?』
「……ありがとうございます?」
『よくできました。ヨシヨシ』
「遠隔ヨシヨシも、それはそれで恥ずかしいですね」
『安心してくれ。実際に私は手を動かした』
「安心材料が見当たらないのですが……」
『はは、君もまだまだだな』
玲子が軽快に笑った。
『それじゃあ、明日は試合だしもう切ろうか。君なら活躍できると信じているよ』
「ありがとうございます」
『自分が活躍しているイメトレでもしておくといい』
「いいですね。寝る前にやってみます」
『ふふ、いい子だな。素直な後輩は好きだよ。それじゃあおやすみ、如月君』
「はい。おやすみなさい、愛沢先輩」
巧はたっぷり三秒数えてから電話を切った。
(そういえば、愛沢先輩ってどうしてずっと三軍なんだろう?)
能力的には二軍や一軍にいてもおかしくない。
何か事情でもあるのだろうか。
(白雪さんと同じく両親が共働きで、料理とかは愛沢先輩が担当しているみたいだから、一軍や二軍だと忙しすぎるのかな)
そんなことをぼんやりと考えてくると、ふっと睡魔に襲われた。
香奈ほどではないが、今日は巧にとってもさまざまな意味でハードな一日だった。
寝落ちしないうちに風呂に入り、いつもより早く床に就いた。
——翌朝。
いつもより早く目覚めた巧は、ゆっくり支度をしていた。
今日は他校に行っての練習試合。
巧がプレースタイルを変えてから、初めての対外試合だ。
相手は
二年生になったばかりに一度対戦して敗れているところだ。
(大丈夫、僕ならできる。今のプレースタイルだって、まったく目新しいものじゃない。だからこそ三軍でもすぐに通用したわけだし……うん、これまでの練習の成果を信じよう。昨日の夜だってちゃんとイメトレしたし、いけるいける)
巧が自分に言い聞かせていると、チャイムが鳴った。
香奈が来たのだろう。昨日、一緒に行く約束をした。
案の定、インターホンには赤色が映っていた。
早足で玄関に向かい、扉を開ける。
「あの、昨日はご迷惑をおかけしてすみませんでした!」
開口一番にそう言って、香奈は腰を直角に折り曲げた。
「あはは、全然いいよ。すっかり熟睡してたね」
「う〜……本当にすみません……」
居た堪れない様子の香奈を招き入れる。
電車の時間までは、まだだいぶ余裕があった。
「映画はとても面白かったのですが、ほっこりシーンが続いて眠くなってしまって……」
香奈が申し訳なさそうに頬を掻いた。
「あるあるだよね。僕も前、寝落ちしたことあるし」
「先輩は自宅ですから何の問題もないじゃないですかぁ……」
「まあまあ。昨日は疲れてたんだろうし、次回から気を付けてくれればいいから」
「はーい……うぅ……」
「あ、あの……先輩」
「ん?」
巧は振り向いた。とても不安そうな表情の香奈と目が合う。
「わ、私もお母さんも、変なこと言ってませんよね……?」
「うん、言ってないよ」
巧のことを巧先輩とは呼んでいたが、本当にそれくらいだろう。
「よ、良かったー……」
香奈が胸を撫で下ろしている。
変なことを言う可能性はあったんだな、と巧は思ったが、口に出しはしなかった。
間もなくして巧の支度も終わったため、時間に余裕を持って出発した。
「そういえば、白雪さん」
エレベーターに乗り込みつつ、巧は切り出した。
「なんですか?」
「昨日、話しててふと思ったんだけどさ。何で僕のことはただ先輩って呼ぶの?
「そうですね。あっ、もしかして嫌でしたか?」
香奈が不安げな表情を浮かべた。
巧は首を横に振った。
「ううん、全然。ちょっと気になっただけ。何でなのかなーって」
「えっ、香奈?」
「言ってない言ってない」
巧は苦笑いを浮かべた。
エレベーターが一階に到着したため、「開」のボタンを押す。
ぺこりと頭を下げ、香奈が外に出た。
巧も続いて、二人で並んで歩き出す。
「なんで先輩って呼ぶのか、ですか」
「うん」
「うーん、特段深い理由があるわけではないんですけど……何となく、私の中で先輩は先輩なんですよね。ピンと来たっていうか」
「そうなんだ」
「なんか特別感あって良いでしょ?」
「こら、先輩を揶揄わない」
「えへへ〜、全然お望みなら巧先輩って呼んであげてもいいですけど」
「魅力的な提案だけど、やめておくよ。東京湾に沈められそうだし」
昨日すでに呼ばれたけどね、とは巧は言わなかった。
「えっ、魅力的なんですかぁ?」
香奈がニヤニヤ笑った。
手を腰の後ろで組んで、下から顔を覗き込んでくる。
「じゃあじゃあ、二人きりのときだけ巧先輩って呼んであげましょうか?」
「先輩を翻弄しようとしない」
巧はチョップの構えだけ見せた。
「あれれ〜? 先輩、後輩にチョップの一つもでき——あいたぁ⁉︎」
揶揄ってきたので、容赦なく腕を振り下ろす。
不意打ちで禁止されているのは頭を撫でることだけだ。
「こ、後輩の女の子にチョップかますとは何事ですかっ」
「ごめんごめん」
「まったく反省してませんね⁉︎ ……もういいです。本当に二人きりのときは巧先輩って呼んじゃいますから!」
「いいよ別に」
気恥ずかしさがないと言ったら嘘になるが、巧としては断固拒否する理由もなかった。
「くぅ〜!」
香奈が地団駄を踏んでいる。
行動からもわかるように、悔しがっているのは間違いないのだろう。
しかし反面、どこか嬉しそうにも見えた。
これも彼女なりの甘え方、コミニュケーションなのだろう、と巧は解釈した。
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