第118話 お出かけデート

 月曜日は体育祭の振り替え休日で、部活も休みだった。

 たくみ香奈かなは午前九時ごろから白雪しらゆき家で過ごしていた。


 彼女の両親は本当に久しぶりに午後休が取れたそうだが、午後から親友のあかりと遊ぶ約束を入れてしまっていたそうで、「こんなチャンスそうそうないのに……」としょんぼりしていた。

 もっとも、本気で慰める必要があるほど落ち込んでいるわけではなかったし、「あかりともあんまり遊べないからいいんですけどね」と自分で持ち直していたため、巧はそこまで気にしなかった。


「そういえばさ、香奈」

「なんですか?」

「一昨日にお父さんから電話あったじゃん」

「はい」


 他県に単身赴任中の巧の父親である大樹たいきは体育祭の日程を誤認識しており、終わった後に激励の電話をかけてきた。

 香奈も一緒にいた。というより巧が理性を飛ばして彼女を押し倒したときに電話がかかってきたのだ。


 それ以来、香奈と一緒にいるときは携帯は基本的にならないように設定している。

 元々チャットよりも現実で会って話したほうが好きなタイプなので、ほとんど影響はなかった。


「そのときに一軍昇格祝いでいいシューズでも買えってお金を送ってもらったんだ」

「おお、すごいですね」

「それでさ。その……一緒に選んでくれないかなって」

「えっ?」


 予想外の提案だったのか、香奈がキョトンとした表情になった。


「僕のことを考えて交際は秘密にしてくれてるわけだけど……やっぱりちょっとお出かけデートとかもしたいなって思っちゃってさ。部活用品の買い出しのついでっていう体なら——」

「喜んで!」


 巧の言葉も終わらないうちに、香奈が獲物を目の前にした獣のごとく飛びかかってきた。

 幸い、ソファーの背もたれがあったため、どちらも怪我することはなかった。


「行きましょうっ、お出かけデート!」

「っ……うん、行こう!」


 巧は思いきり香奈を抱きしめた。

 自分とのデートをこんなに喜んでくれる。愛おしくてたまらなかった。

 本当に一瞬、ハグしたまま出かけようか迷った。




「ふんふんふーんっ」


 香奈は誰がどう見ても明らかなほどにウキウキしていた。

 というよりスキップしていた。


 電車に乗って三駅の大型ショッピングモールに向かう。

 午前中ということもあり、電車は空いていた。角の席に並んで腰かける。


 同じ車両に乗っているのは寝ている中年の女性と眼鏡をかけて参考書を読んでいる小学校高学年ほどの少年、それに新聞を折り曲げて目を細めている初老の男性のみだった。


「ちゃんと周りは見てますから」


 そう前置きをしてから、香奈は巧の肩に頭を乗せた。


「っ……」


 それ自体はこれまで幾度となく行われてきた行為だ。

 しかし、電車で恋人と寄り添うという誰しもが一度は憧れるシチュエーションに、巧は動揺してしまった。


 密着させている体から香奈にも伝わったのだろう。

 彼女は肩口からニヤニヤと巧を見上げて、


「あれれ、巧先輩。もしかして緊張しちゃってます?」

「してないよ」

「嘘だ。ちょっと頬強張ってますよ?」


 香奈が巧の頬をつついた。


「香奈、公共の場だよ」

「はーい」


 彼女はニコニコ笑いながら返事をした。

 まったく反省しているようには見えないが、重大なマナー違反というわけでもないのでいいだろう。


 それ以上乗客が乗ってくることもなく、電車は目的地に到着した。

 香奈が名残惜しそうに体を起こす。反射的に頭を撫でそうになり、巧は慌てて腕を引っ込めた。


「……香奈。ここからは慎重に行こう」

「了解です。先輩は私の後に続いてください……ゴーゴーゴー!」

「おう……って、スパイごっこか。恥ずかしいことさせないで」


 香奈があはは、と楽しそうに笑った。


「やっぱり先輩はファニーボーイですねぇ」

「ティファニーボーイ?」

「えっ、買ってくれるんですか?」

「うん。全然フライパンとかなら」

「それティファールですね。いらないです」


 巧と香奈は顔を見合わせ、クスクス笑い合った。


「いこっか」

「はいっ」


 万が一学校の人に見られた場合のカモフラージュの意味も込めて、最初にドリンクなどの部活関連のものを購入した。

 同じ階にスポーツ用品店があったため、そこに向かう。


「先輩っていくつですか?」

「えっとね、二十七」

「えっ……」


 香奈が露骨にショックを受けた顔をした。


「……そんなに年上だったんですか?」

「足のサイズだよ」


 どうやら満足のいくツッコミだったらしく、香奈はウインクをして笑った。


「これなんかどうですか? 先輩っぽい色合いで格好いいと思うんですけど」

「おっ、いいね」


 香奈が選んできたのは、巧の髪や瞳と同色の紫のシューズだった。

 試着してみると、少し足の形が合わなかった。


「ちょっと細めなんですね」

「そうだね……あっ」


 巧はまるで何かに誘われるように一つの靴を手に取った。濃い赤色だった。


「おお、格好いいですねっ」

「うん……それに——」


 巧は香奈に耳を寄せて、


「——香奈の色だから」

「っ……!」


 彼女はポッと顔を赤く染めた。

 それからジト目を巧に向け、


「……周りに学校の人いたら、確実にバレてましたよ」

「そうだね。ごめん」


 巧は自分が初めてのお出かけで舞い上がってしまっていることを自覚した。

 慎重すぎるくらいでいこう、と気を引きしめた。


「……まあ、私の色だって選んでくれたのはめっちゃ嬉しかったですけど」


 視線を逸らしつつはにかむ香奈は大変可愛らしかった。

 あとで家でいっぱい甘やかそうと巧は決意した。


 履いてみると、忖度抜きにフィットした。巧は即決した。

 サッカーがしたくなった。少しでもスポーツをかじったことがある者なら理解できる感覚だろう。


「ありがとうございましたー」


 店員の声をバックに店を出る。


「ねぇ先輩。ちょっと服も見ていきませんか?」

「服はさすがにバレたらまずくない?」

「大丈夫じゃないですか? 仲良しなら、ついでがあれば服くらい一緒に見ますよ」

「それもそうだね。いこっか。そろそろ気温も下がってきたしね」

「はいっ」


 香奈が満面の笑みでうなずいた。

 実を言えば、巧は完全に納得したわけではなかった。リスクがあることも承知していた。


 しかし、シューズ選びに付き合ってもらった手前、今度は自分が付き合うべきだと思ったし、何より可愛い彼女のお願いを無碍にはしたくなかった。

 いわゆる惚れた弱みというやつだ。


(それに、こんなに楽しそうにしてくれてるんだし)


 鼻歌混じりに歩いている香奈を見て、巧はふっと口元を緩めた。

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