第119話 独占欲

 香奈かなの先導で入ったお店の客層は若かった。カップルっぽい男女もちらほら見受けられた。


「先輩も一緒に選んでもらっていいですか?」

「もちろん」

「よっしゃ!」


 香奈は何着か選んだ後、試着室へと姿を消した。

 それから、いくつかのコーデを見せられ、感想を求めてきた。たくみは素直に答えた。


 三つ目のコーデの感想を述べた際に、彼女は不満そうな表情を浮かべた。


「……先輩」

「何?」

「さっきから可愛いしか言ってなくないですか?」

「だってファッションあんまりわかんないし、本当に全部すごい可愛いんだもん」

「そ、そう言ってくれるのは嬉しいんですけど、どれがいいか選べないじゃないですか」

「自分が一番ピンときたものでいいんじゃない?」

「まあそうですけど……」


 香奈が巧を呼び寄せた。耳元で彼女は囁いた。


「やっぱり巧先輩が一番可愛いと思ってくれる服を着たいじゃないですか」

「っ……!」


 巧は息を呑んだ。

 香奈は真っ赤になっていたが、揶揄からかおうとは思わなかった。自分も彼女と同等以上に赤くなっていることを自覚していたからだ。


「だ、だからっ、もっと詳しい感想お願いします!」

「うーん……」


 現在の香奈は、薄い黄色のスウェットに黒のハーフパンツというスポーティな出立ちだ。


「もちろんすごくかわいいよ。でもちょっと子供っぽいかもしれない」

「そう、そういうのですっ」


 香奈が満足げな表情でビシッと指を突きつけてくる。


「これまでの二つもやっぱりちょっと子供っぽいですか?」

「どちらかといえば、そうだね」

「パッと目につくものは可愛い系が多いんですよね……やっぱり大人っぽいほうがいいですか?」

「そうだね。そっちのほうが新鮮ではあるかな」

「了解ですっ」


 嬉々とした表情で香奈が敬礼をした。


「じゃあ、先輩はちょっと別のとこ見ててください」

「あっ、うん。わかった」


 着飾った状態で見せたいのだろうと解釈し、巧はメンズの服を見て回った。


 ——三番にいます。

 メッセージが送られてきた。試着スペースに向かう。


白雪しらゆきさん」


 声をかけると、カーテンが開いた。


「っ……!」


 巧は絶句した。

 先程までとは打って変わった色気全開のコーデだった。端的にいえば、エロかった。


 紫色のショート丈のニットからはお腹と鎖骨が大胆にさらされており、体にピッタリと合わせたサイズのため、豊満な胸が声高に存在を主張していた。

 ズボンのデニムにはほとんど目もいかなかった。


「ふふ、どうですか?」


 香奈が胸のあたりに手を添え、妖艶ようえんに笑った。


「そ、それはあんまりみんなの前では着ないほうがいいかも」

「えっ……似合ってませんか?」

「いや、すごく似合ってるけど……」


 巧は言葉をにごしたが、その意図は正しく伝わったようだ。

 香奈は再び巧の耳に口を寄せ、


「じゃ、こういうのは巧先輩と一緒にいるときだけにします。それならいいですよね?」

「う、うん、まあ……」


 独占欲を見抜かれていたと思うと、恥ずかしくなると同時に重いと思われていないか心配になった。

 それは杞憂だった。


「これとこれ……いや、これにして先輩を悩殺するか……でもいっぱいは買えないしな。金欠、いやノー札だし……」


 それまで以上に楽しそうに服を選んでいる香奈を見て、巧はそっと安堵の息を吐いた。

 何やら聞こえてきた不穏な言葉としょうもないギャグは聞かなかったことにした。


 追加でいくつか試着をした後、香奈はトップスとボトムスを二つずつ購入した。

 色気全開のものも含まれていた。


「さあ次は先輩の服を選びましょう!」


 香奈がるんるんとメンズコーナーに向かっていく。


「先輩って結構シンプルなものが好きですよね? シャツ一枚みたいな」

「そうだね」


 巧は基本的にロングTシャツなどのそれだけで完結するシンプルなものしか選ばない。色も白か黒だけだ。


「それももちろん似合ってるんですけど、イマドキのもう少しオシャレ感の強い服装とかもいいと思うんですよね。ちょっと羽織ってみたりとか」

「えー、でも似合わなくない?」

「いえ、絶対似合うと思います。というか似合います。せっかく髪型も変えて男らしさが増したんですから、挑戦してみましょうよ」

「うん、そうだね」


 今後の自分たちの平穏のためには、巧も羞恥心を捨て去って格好良くなる努力をしなければならないだろう。

 実際に着てみないとわからない。

 一度に三点までという規則であるため、トップスとシャツ、ボトムスをワンセットで選んで試着室へと向かった。


 白のカットソーに黒のベストを合わせ、下は淡い水色のスラックスだ。


「意外といいかも。どう?」

「……」


 巧が姿を見せると、香奈が口を半開きにしたまま固まった。


白雪しらゆきさん?」

「ちょ、ちょっと待って!」


 近づく巧を香奈が押し留めた。


「どうしたの?」

「い、いえ、その……」


 香奈が口をもごもごさせた。


「……やっぱり似合ってなかったかな?」

「そ、そんなことありませんっ」


 香奈は視線を逸らしてポツリと、


「か、格好良すぎて直視できないんです……!」

「っ——」


 香奈の耳まで真っ赤に染まった様子を見れば、大袈裟ではないことはわかった。

 巧の頬にも熱が集まった。同時に口元がにやけてしまう。彼女に格好いいと言われて嬉しくない男などいない。


 香奈はちらっと巧に視線を向けては、すぐに逸らして「うぅ……」と気恥ずかしげにしている。

 抱きしめてキスをしたくなったが、公共の場であるため理性を総動員して堪えた。

 試着室を占拠するのも迷惑なので、巧は「これは買おう」と決めて元の服に着替えた。


 それともう一組、こちらはもっと高校生らしいカジュアルなものを購入した。


「先輩——」


 店を出る際に、香奈が巧の服の袖をクイッと引っ張った。


「何?」


 香奈はサッと周囲を見回してから、頬を染めつつ巧に耳打ちした。


「——さっきの格好いい姿、私がいないところでしちゃダメですからね」

「っ……わかった」


 巧は照れ臭くなると同時に、香奈も自分と同じように独占欲を持ってくれているのだと知って嬉しくなった。




 帰宅すると、香奈はもう支度をして出発しなければならない時間になっていた。

 せっかくなので、購入したばかりの服——露出の少ないほうだ——を着る。


「じゃあ、行ってきます!」

「うん、気をつけてね」


 触れるだけのキスをかわす。

 なんだか新婚さんみたい、と香奈は思った。


 ——そんなことを考えた瞬間、猛烈に巧とイチャイチャしたくなったが、あかりとの約束に遅れるわけにはいかないため、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。

 とは言っても、決してあかりと遊ぶのが面倒なわけではない。むしろ、この上ない楽しみだ。


「……ん?」


 駅に到着したところで、ふと見覚えのある深海のような青色が見えた。

 何気なくそちらに目を向け、香奈は目を見開いた。


 玲子れいこ三葉みわが談笑しながらエスカレーターに乗るところだった。

 仲の良い友人同士にも見えるし、カップルと言われても納得してしまう。そんな空気感だ。


(えっ、あの二人って付き合ってるの?)


 片方がかつて巧に振られている玲子であったため、気まずさを感じて百パーセント野次馬根性は発揮できなかったが、好奇心はくすぐられた。

 だが、ちょうどそのタイミングで乗るべき電車が来てしまった。


 一本逃せばあかりとの約束に遅れてしまう。

 香奈は本日二度目の後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、電車に乗り込んだ。

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