第169話 文化祭② —決意—

 たくみが声をかけるよりも先に香奈かなに接触したのは、どこからか現れたまことだった。

 その声は大きく、廊下に響いた。


 周囲がざわつき始める。

 その多くは二人をすでに既存のカップルかのように扱っていた。


「ねえっ、西宮にしみや君と白雪しらゆき香奈かなが一緒にお化け屋敷入るって!」

「お似合いだよな〜」

「きゃー!」


 現在地は三年生の教室前であり、居合わせた者たちも三年生が多かった。

 巧が二年生、香奈が一年生であることから、三年生にはサッカー部を見に来ている人たちを除けばそこまで二人の仲の良さは広まっていないのだ。


(もしかして、そういう状況を狙って声をかけてきたのかな)


 状況は完全にアウェーだったが、巧は取り乱さなかった。

 なぜなら、この状況はからだ。


 まさか本当に接触してくるとは思っていなかったが、対策は練ってある。

 巧はゆっくりした足取りで香奈に近づいた。


「あれ、白雪さん。七瀬ななせさんと回ってたんじゃなかったの?」

「あっ、先輩!」


 香奈がホッとした表情を浮かべた。

 真の元を離れ、トトト、と駆け寄ってくる。


「そうなんですけど、お化け屋敷に入ろうとしたところでちょうど百瀬ももせ先輩と遭遇してしまいまして。これはいくら親友といえど身を引かざるを得ないと判断した次第であります」

「上官に報告する部下みたいな口調なのは置いておいて、なら一緒に入る? 僕も一回ここ行ってみたいと思ってたし」

「いいですねっ、入りましょう!」


 香奈が大袈裟に同意をしてみせた。

 二人で受付に向かう。


 ここまでの一連の香奈の態度は、明らかに真よりも巧を優先していた。

 これだけあからさまに拒絶されれば、いやでも自分に脈はないと悟って諦めるだろう——普通なら。


「おい、ちょっと待てよ如月きさらぎっ」


 広川ひろかが肩を掴んできた。鬼の形相だ。


「なんですか?」

「なんですか、じゃねえよ! 何お前、白雪が後輩だから断れねえのをいいことに強引に話進めてんだ? 最初に真が声をかけたんだからそっちを優先すんのが筋だろ。それとも、真と競ったら勝てねえから抜け駆けしようとしたのか?」

「うわっ、絶対それじゃん!」

「強引だったもんなー」


 群衆から同意の声が上がった。

 しかし、真寄りの意見だけではなかった。


「でもさ、隣の男子も格好良くない?」

「たしかサッカー部で、白雪香奈と仲良いんじゃなかった?」

「今もいい雰囲気だったよね。白雪もはしゃいでたし」

「でも、やっぱり釣り合ってるのは西宮だろ。何より華が違えわ」

「それな。王子様とお姫様の間に割って入れるやつなんかいねえだろ!」

「ねっ、邪魔だよね〜」


 真と香奈を推している中には女子も混じっていたが、やはり男子が主体だった。

 真なら仕方ないと引き下がれるが、彼ほどキラキラしていない巧に香奈を取られるのはプライドが許さないのだろう。


「俺が先に声をかけた。お前はこいつと入りたいならその後入れ。もっとも、白雪がそれを望めばだがな——ほら、行くぞ」

「彼女に触れないでください」


 巧は香奈に向かって伸ばされた真の手を払った。


「前にも言ったはずです。彼女に拒絶されたのを忘れたのですか? それに、大事なのはどちらが先に声をかけたかではなく、彼女自身の意志なはずです」

「おいおい、えらく必死じゃねーの? 真と過ごしたら取られるかもってビビってんのか?」


 広川がせせら笑った。

 巧のプライドを逆撫でして引き下がらせようとしているのが見え見えだ。


「……はあ」


 ため息が漏れる。


(やっぱり今かな)


 ずっと考えていたし、香奈とも話していた。

 ——交際を公表するタイミングを。


 依然としてリスクはあるが、一、二年生やサッカー部の応援をしてくれている人を中心に二人の関係性が受け入れられつつある今、隠しているデメリットのほうが大きくなってるのは明らかだ。

 小春こはる蒼太そうたのような知らずに告白してくれる人にも申し訳ない。


 そして何より、隠したままでいることはお互いにとって決して小さくないストレスになっていた。

 堂々と真たちを拒絶したいし、学校や部活でも普通にスキンシップを取りたい。周りの目を気にせずにデートもしたい。


 それらすべてを踏まえた上で、今をおいて他に最適なタイミングはないだろうと巧は判断した。

 ——いいよね?

 香奈に視線を送った。彼女は大きくうなずいた。もともとこういうタイミングがあれば、という話はしていた。


 真たちに視線を戻して、巧は一歩前に踏み出した。


「わかりました。言い方を変えましょう——金輪際、に手を出さないでください」

「……あっ?」


 真が眉をひそめた。

 横から内村うちむらが叫んだ。


「ふ、ふざけんな! そんな苦し紛れの嘘、通じると思ってんのか⁉︎」

「嘘ではありません」


 巧は香奈の腰に手を添えた。彼女はポッと頬を染めたが、されるがままになっていた。

 バラしてしまった今、恐れるものは何もない。


「お、おいっ、あいつ白雪の腰掴んでねーか?」

「えっ、うわ、マジじゃん!」

「そういうこと……だよな?」


 周囲がざわつく。

 巧は腰に回した腕に力を込めて香奈を抱き寄せた。


「っ〜!」


 彼女はさらに頬を真っ赤に染めた。無言で服の袖を引っ張ってくる。


「どうしたの? ——

「なっ、なんでもありません!」


 巧が微笑みかけるとプイッとそっぽを向いてしまったが、離れようとはしなかった。

 恥ずかしいだけで、巧の意図は理解しているのだろう。


 香奈は洗脳されているか脅されているんだ、などと主張する勘違い男を生成しないためには、どんなフィルターがかかっていたとしても貫通できるほどの親密さを見せつけておく必要がある。

 そのためには、これくらいのイチャイチャは必須だろう。


「い、今名前で呼ばなかったかっ?」

「呼んだ……よね」

「というか、白雪のあの表情っ……」

「あぁ……確定だな」


 ギャラリーが再びざわついた。


(よかった。ちゃんと伝わったみたいだ。あとは……)


 巧は二の句を告げないでいる真たちを見据えて、


「もしまだ信じられないとおっしゃるのでしたら、馴れ初めでも話しましょうか?」

「えっ、巧先輩⁉︎」


 香奈が驚愕の声を上げた。


「冗談だよ」


 巧がサラッと言うと、彼女はホッと安堵の息を漏らした。

 その耳元に口を寄せて、


「でもさ。そういう反応すると、香奈から何らかのアプローチをしたんだなってバレちゃうよ?」

「っ……し、知りません!」


 香奈が頬を染め、再びそっぽを向いた。

 黄色い歓声がちらほら漏れた。


「あはは、ごめんごめん」


 巧は無性に香奈の頭を撫でたくなったが、さすがに自重した。


(多分、ここまでで十分だよね)


 ——その判断は正しかった。


 一連のやりとりを見ていた全員が、心情はどうあれ頭では理解していた。

 二人が本当に恋仲であること、そしてどちらかといえば香奈から巧に言い寄ったことを。


「おいおいマジかよ、信じらんねえな……」

「でも、あれだけ言い切るのってなんか格好いいねっ」

「あぁ……男でも惚れるわ」

「というか、なんかすごいお似合いじゃない?」

「たしかに。マイナスイオン発生してるわ」

「甘ったるい砂糖もな」

「私、ダイエット中なのに〜」


 漏れ聞こえてくる声は、ほとんどすべてが好意的なものだった。

 巧はホッと安堵の息を吐いた後、真面目な表情を浮かべた。周囲を見回して深く頭を下げた。


「みなさん、お騒がせしました。ご迷惑をおかけしてすみません」

「ごめんなさい」


 香奈も神妙な顔つきで腰を折った。


「いや、格好良かったぞ!」

「いいもの見せてもらったぜっ」

「お幸せにー!」

「末長く爆発しろよっ」


 かけられる声は変わらず温かいものばかりだが、だからと言って迷惑をかけた事実は変わらないし、真たち以外にも胸中穏やかでない者だっているはず。

 安全のためにもここは立ち去るべきだろう。


「ありがとうございます。それでは僕らはこれで失礼します」


 香奈を連れてその場を去ろうとした、そのとき、


「おい、待てよお二人さん」


 背後から声がかかった。お化け屋敷の受付をしていた一軍の先輩の木村きむらだった。


「木村先輩」

「元々入る予定だったんだろ? 寄ってけよ」

「えっ、ですが——」

「あんだけ甘ったるいの見せられて黙ってられるか。お前らが二度とあんな雰囲気出せねえようにたっぷり怖がらせてやるよ」


 木村は群衆に目を向けて、


「みんなもいいよなぁ⁉︎」

「「「おう!」」」


 野太い声が廊下に響いた。


「やってやれっ」

「彼氏を泣かせろ!」

「ダサいところを引き出せっ」


 やいのやいのと野次が飛んでくる。


「おう、任せろ! ほら、入った入った」


 ギャラリーにサムズアップして見せた木村が「順番待ちもいるからよ」と急かしてくる。


「は、はぁ……」


 雰囲気に押し切られるようにして、巧と香奈は教室——否、屋敷に足を踏み入れた。

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