第170話 文化祭③ —なんてことのない—

「ちょっと予想とは違った展開になりましたね」

「そうだね。でも、せっかくなら楽しもうよ」

「ですね。お化け屋敷は定番ですし——」

「わあ!」

「ひゃあ⁉︎」


 会話をしていて油断していたのか、香奈かなが猫のように飛び上がった。


「——ふふっ、香奈ちゃんはいい反応をしてくれるな」

愛沢あいざわ先輩?」


 お化け役の正体は玲子れいこだった。

 たくみも香奈もほんのり気まずさを覚えた。


 玲子は苦笑しつつ、二人の肩にポンッと手を乗せた。


「君たちの声はあまり聞こえなかったけど、広川ひろかわ君たちの大声で状況はわかっているよ。改めておめでとう、二人とも」

「「ありがとうございます」」

「ふふ、お辞儀の角度までピッタリだな」


 玲子がおかしそうに笑った。

 巧と香奈は揃って赤面した。もう一度頭を下げてから歩き出したところで、


「わっ!」

「うわっ⁉︎」

「ひゃあ⁉︎」


 今度は巧も完全に油断していて、香奈と一緒に飛び上がってしまった。

 お化け役の三葉みわは満足そうに笑って待機場所に戻って行った。




「楽しかったね」

「ですねっ、スリリングでした!」


 巧と香奈が屋敷を無事に抜けると、まさるとあかりが近づいてきて、


「よっ、大変だったみたいだな。お疲れさん」

「ついに公表したんですね」

「うん」


 巧も手を上げた。


「元々そろそろかなとは思ってたんだ」

「隠してるといろいろ不都合だもんな」

「あんまり公の場でイチャつきすぎちゃダメですよ」


 優がウンウンとうなずき、あかりが忠告をしてくる。


「「わかってるよ……あっ」」

「ハモったね」

「ハモっちゃいましたね」


 巧と香奈は顔を見合わせ、笑い合った。


「ほら、そういうところです」

「バカップルって言葉がこれほど似合う奴らはいねえだろうな」


 優とあかりに呆れたように言われ、巧と香奈は再び揃って赤面した。


「照れ方までおんなじなのかよっ」

「末期ですね」


 優がおかしそうに笑い、あかりがやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

 巧は優に、香奈はあかりにそれぞれ一発入れておいた。




 巧と香奈の交際の噂は、瞬く間に学校中に広まった。

 香奈は言わずもがな、巧もちょっとした有名人だったし——何せ彼を推している集団がいるくらいだ——、二人で回っている様子を見れば誰しもが理解した。

 あぁ、こいつら付き合ってるんだな、と。


 手こそ繋いでいなかったが、肩を寄せ合って笑い合う姿は、どれだけ濃い色眼鏡をかけていたとしても恋人同士にしか見えなかった。

 お互い名前で呼び合っているならなおのことだ。


「巧先輩、このたこ焼きなかなか美味ですよ」

「一個ちょうだい……本当だ。もちもちして美味しいね」

「ですよね!」


 巧と香奈は顔を見合わせて笑い合った。


 周りの人間は首を傾げた。

 ただ同じ容器からたこ焼きを食べているだけで、食べさせ合いもしていないのになぜこんな甘ったるいのだろうか、と。


 その甘さたるや、屋台の番をしている生徒に「おい、たこ焼きの粉じゃなくてホットケーキミックス使ってねえだろうな?」というクレームが入るほどだった。


 ギャラリーの中には香奈を取られたと感じている男子生徒も混じっていたが、仲睦なかむつまじいなどという言葉では表しきれない関係性の二人に突っ込んでいける度胸のある者などいるはずがなかった。

 やがてどう足掻いても自分に勝ち目はないと知った彼らは、他の群衆と同じようにゲンナリとした表情になっていった。


 偶然居合わせた誠治せいじは、自分たちの世界に浸っている二人と辟易した様子の周囲を見比べてため息を吐いた。

 当然、交際発表のことは聞き及んでいた。


「巧、白雪しらゆき

「あっ、誠治」

かがり先輩、どうも」

「おう。お前ら、やっと公表したと思ったら早々これかよ」

「えっ、何が?」

「……何でもねえ」


 周囲に見せつける目的でやっているなら反感を買いそうだから注意しておこう——。

 そう思って話しかけた誠治だったが、巧と香奈にキョトンと首を傾げられて諦めた。


(多分、こいつらにとってはなんてことのない日常なんだろうな)


 ——その通りだった。

 二人に周囲に見せつけようとする意図はなかった。


 むしろ、自分たちではセーブしているとさえ思っていた。

 一緒の時間を過ごしているのに互いに指一本触れていないというのは、普段なら考えられないことだったからだ。




 それからも脱出ゲームなどを楽しみつつ砂糖をばら撒いた——本人たちに自覚はないが——後、巧と香奈は一旦別れた。

 香奈のシフトが入っていたからだ。


 彼女はもう一つだけギリギリ回れると主張したが、それで遅れてクラスに迷惑をかけたらダメだと注意をすると、「ガッテン承知のすけ!」と素直に聞き入れて自クラスに戻って行った。


「——巧さん」

「あっ、晴弘はるひろ

「白雪ってあんなキャラだったんすね」


 晴弘が呆れたように、それでいて微笑ましそうに言った。


「意外とはしゃぐよね」

「普段の陽気に振る舞いつつも一歩引いた感じはどこ行ったんすか。見えるはずのない尻尾が見えたんすけど」

「奇遇だね。僕もたまに見える」


 巧はハハハ、と笑ったが、すぐに引っ込めた。

 物言いたげに自分を見ている蒼太そうたが視界に映ったからだ。

 近づいていくと、彼のほうから声をかけてきた。


「付き合ってたんすね、白雪」

「うん」

「いつからすか?」

「一ヶ月以上前から」


 蒼太が目を見開いた後、自嘲するような笑みを浮かべた。


「……マジすか。よくバレなかったっすね。いやまあ、ほぼカップルみたいな扱いは受けてましたけど」

「ごめん」


 巧は罪悪感に堪えきれなくなり、謝罪の言葉を口にした。

 蒼太にも何の話かはすぐにわかったのだろう。苦笑いを浮かべて、


「何も思わないと言ったら嘘になるっすけど、それは二人の自由なんで外野がとやかく言うことじゃないっすよ。一ヶ月以上前なら、巧さんの立場的にも公表してたら絶対面倒なことになってたし……だから、気にせず爆発してください。俺もあんなイチャイチャ見せられたら可能性ないってわかるし」

「えっ?」


 巧はキョトンとしなった。

 蒼太がマジか、とでも言いたげな呆れを含んだ表情で、


「もしかして、あれで抑えてるつもりなんすか?」

「……うん」


 巧は気まずくなり、視線を逸らした。


「いやいや、生徒全員糖尿病になるレベルっすよ」


 蒼太の横で、晴弘もウンウンとうなずいている。


「でも、全然スキンシップもしてない……」

「雰囲気からなんかこう、あるんすよ」

「そ、そうなんだ」

「まあ、別にそれはいいんすけど……悪いと思ってくれてるんなら、一つだけ頼んでもいいすか?」

「何?」


 巧は蒼太に向き直った。

 一つ年下の少年の表情は真剣だった。


「絶対仲良いままでいてくださいよ。俺らが諦めたことを後悔しないくらい。誰が言ってんだとは自分でも思いますけど、この前みたいに泣かせたら許さないっすから」

「わかった。約束するよ」


 巧は力強くうなずいた。

 蒼太が複雑そうな、それでいてどこか穏やか笑みを浮かべ、腕時計に視線を落とした。


「そろそろ時間じゃないすか?」

「あっ」


 たしかに、そろそろシフト交代の時間だった。


「ありがとね、蒼太。晴弘もまた部活でっ」

「「うす」」


 巧が去った後、晴弘は蒼太のほうを見ないままポツリとつぶやいた。


「お前、大人になったな」

「フラれて以来、巧さんを観察してたら自然とな。つーかお前もわりと夏ごろまで尖ってただろ」

「あの二人にガツンと言われたからな」

「巧さんと白雪に矯正させられた者同士ってわけか」

「あぁ、あの二人チルドレン……は色々ややこしいからダメか」

「一番ダメだな」


 蒼太が苦虫でも噛み潰したような表情を浮かべた。

 なんだその顔、と晴弘が吹き出した。


 仏頂面を浮かべていた蒼太も、やがて一緒に笑い出した。

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