第148話 先輩からの忠告

 マンションに到着するまで、再び夕立ちに見舞われることはなかった。

 香奈かなの両親の帰りが遅くなることはわかっていたため、たくみの家で夕食を作る約束をした。


 一度別れてから少しして香奈が家にやってきたタイミングで、巧の携帯が着信を告げた。三葉みわからの電話だった。

 彼から電話してくることは滅多にない。なんだろう——。


 巧は胸がざわつくのを感じつつ、電話に出た。


「もしもし」

『もしもし。巧か?』

「はい」


 挨拶もそこそこに、三葉は尋ねてきた。


『巧、お前さっき白雪しらゆきとラブホテルから出てこなかったか?』

「っ……!」


 背筋が凍るとはこのことを言うのだろう。

 三葉から落胆の気配が伝わってきた。


『……当たっていたみたいだな』

「どうしたんですか?」


 血の気の引いた巧の顔を、香奈が心配そうに覗き込んだ。


『そこに白雪もいるか?』

「は、はい。います」

『スピーカーにしてくれ』

「はい……三葉先輩。僕らがホテルから出てきたとこ、ちょうど見られてたみたい」

「っ……!」


 手短に状況を説明すると、香奈が目を見開いて固まった。顔が青白くなっていく。

 巧はスピーカーモードに切り替えた。


「しました」

『あぁ。最初に言っておくが、俺はお前らのことを言いふらしたりするつもりは一切ない』

「はい……ありがとうございます」


 巧と香奈はホッと一息吐いた。

 三葉が不用意に誰かに広めるとは思えなかったが、言葉にされると安心感があった。


『ただ、忠告しておく必要があると思ったから電話した。答える義務はないが……なぜラブホテルに入った? お前たちのことだ。ただそういう目的で入ったわけじゃないだろう』


 巧と香奈が性行為だけを目的としてリスクを冒すとは、三葉も考えていなかった。

 そしてそれは事実だ。


「はい……家からも学校からも距離がある場所で夕立ちに見舞われて、たまたま看板が目に入ったので」

『雨宿りが第一目的か。まあわからなくはないが……それでも明らかにリスクのほうが大きかったんじゃないのか? そういう関係であることが露見するだけでも面倒だというのに、お前たちはまだ高校生だ。制服で入らなければまずバレることはないと聞くが……まさか制服で入ってはいないな? 出てきたときの練習着か?』

「はい」

『学校名もない普通の練習着だから、ホテルに高校生だとバレてはいないだろう。だが、もし万が一俺以外にも知り合いが見ていて噂が広がれば、普通に学校から処分を食らってもおかしくないし、部活だってできなくなるかもしれない。そのリスクがある以上、多少無理矢理にでも他の選択肢を模索したほうがよかったんじゃないのか?』

「「っ……!」」


 巧と香奈は息を呑んで固まった。


(三葉先輩の言う通りだっ……)


 リスキーであることは、巧も香奈に誘われたときからわかっていた。

 しかし、雨宿りのためだし風邪を引いても良くないからと自分に言い訳してしまった。


(なんで僕はリスクを小さく見積もっていたんだ……⁉︎)


 指摘されて初めてラブホテルの利用がいかにリスキーで愚かな選択であったかをしっかりと認識し、巧は愕然がくぜんとした。


 ——自分が信じられないのは、香奈も同じだった。


(私、ほとんどリスクなんて考えてもいなかった……!)


 試験が終了した開放感と巧のモノが当たっていたことに対する興奮、そしてあかりに危機感を煽られて焦っていたこともあり、ほとんど自制心も働いていなかった。

 リスクのある行動をとってしまったことよりも、それをリスキーだと思わなかったことに恐怖すら覚えた。


 電話の向こうで、三葉がふぅと息を吐いた。


『……幸い周囲に人はいなかったし、俺以外にはバレていないだろう。だが、今後はもっと慎重に行動するんだ。これは二人の責任ではないが、お前らを快く思っていない連中も一定数いるからな。そいつらに弱みを握られたら厄介だぞ』

「おっしゃる通りです……」


 巧と香奈を快く思わない者たち。

 よく考えなくても、いくらでも浮かんできた。


 彼らにラブホテルを利用していたことを知られたら——。

 最悪の未来を想定しただけで鼓動が早くなり、呼吸がしづらくなった。


『浮かれてしまうのはわかるが、これからは気をつけるんだぞ。これまで積み重ねてきた努力や頑張りが水の泡になったらもったいないしな。大丈夫、巧と白雪ならできるはずだ』

「はい……」

「すみません……」

『わかればいい』


 三葉の口調は優しかった。


『誰でも過ちは犯す。それを繰り返さないことが大事だ。やってしまったものは仕方ないし、過去は変えられないからな。後悔するのではなく、反省して次に活かせ』


 これからも頑張れよ。応援してるからな——。

 そう言い残して電話は切れた。同時に香奈が泣き出した。


「ごめんなさいっ、私がリスクなんて考えずに誘ったから……!」


 香奈の体はガタガタ震えていた。

 自分のせいで最悪巧が停部や停学などの処分を下されるかもしれないと思うと、恐怖と後悔が波のように押し寄せてきたのだ。


 巧は泣きじゃくる香奈の体を力強く抱きしめて、


「ううん、乗った僕も同罪だよ。これは僕ら二人のカップルとしての過ちだ」


 香奈との幸せな毎日だけではない。

 部活ではスタメンになることができて、京子けいこたちの退学をもってようやく肉体的にも精神的にも危険がなくなり、加えて定期テストまで終了したことで、巧はかつてないほど浮かれてしまっていた。


 三葉から指摘を受け、ようやくそのことを自覚した。

 自分たちがいかに周りが見えなくなっていたのかも、今回のみならず、路地裏でのキスなどのこれまでの行動がいかにリスキーなものであったのかも。

 今振り返れば、ここまで交際が露見していないのは奇跡だとすら思えた。


「今後はお互い慎重に行動して、リスクが少しでもあると思ったらその場の雰囲気とか関係なく指摘していこっか」

「はいっ……」

「このままだと僕たち危ない気がするんだ。せっかく三葉先輩が気づかせてくれたんだから、ここで踏みとどまろう。家の中ではいくらでも好きにできるわけだしさ。ね?」

「うんっ……!」


 再びうなずいてみせた後、香奈は一層大きな声でしゃくりあげた。


 泣き止んだ後は、細かいルールを決めた。

 高校生のうちにラブホテルに行かないのは当然だし、外でも性的な接触はしないことにした。


 それも終えた二人にできることは、どうか三葉以外には気づかれていませんようにと祈ることだけだった。

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