第94話 彼女の匂いを嗅いだ
その後は積極的に選手交代を行いつつお互いに一点ずつを取り合い、紅白戦は同点で終了した。
巧の出場した時間帯に限っていえば、二対一でBチームの勝利だった。
「ハッハッハ! まさに
巧は攻撃面で存在感を発揮した反面、やはり守備では課題を残した。
一つか二つすばらしいインターセプトもあったが、失点シーン以外にも味方との連携のミスからいくつかの大きなピンチを招いていた。
それでもやはり、全員の脳裏にこびりついていたのは
特に
「あのフリックはやばかったですっ、裁判だったら無期懲役レベルですよあれは!」
彼女は意味ありげにニヤリと笑った。
「……判事・フリック?」
「大正解!」
ハンジ・フリックとは、ドイツの屈指の強豪バイエルンやドイツ代表を率いて、現在は名門バルセロナの監督をしているドイツ人サッカー指導者である。
「いやはや、サッカーの話したいのに頭の回転が
「それ前僕が使ったやつじゃん」
「えっ、覚えていないんですけ
「許す」
「やりぃ!」
香奈が拳を突き上げた。
(何この可愛い生き物)
巧は反射的に頭を撫でそうになり、慌てて手を止めた。
まだ外だ。恋人らしい接触もそうだし、うっかり香奈と呼んでしまわないように気をつけなければ——。
そう自分に聞かせなければならないほどには、香奈に触れたくなっていた。
(意外とスキンシップ激しいんだな、僕)
恋人ができなければわからなかった、新たな発見だった。
香奈は、巧の不自然な腕の動きに気づかなかったようだ。
「話戻しますけど、あのとき
「うん。でも
「天才じゃないすか」
香奈は真顔だった。
「自分でも思った。多分、そう何度もできるプレーじゃないね」
「ゾーンに入ってたんじゃないですか? 今日の先輩」
「そんな感じかも。途中から周囲の声もまったく聞こえなくなったし、逆にいつも以上にプレーの選択肢は浮かんできたからね」
「あの後もエグかったですもんね。そんな先輩にはこちらっ」
香奈が、卒業証書授与の際の校長先生のような仕草で両手を出し出す。
「風俗嬢を与えましょう!」
「表彰状でしょ。何、香奈が風俗嬢のコスプレでもしてくれるの?」
「風俗嬢のコスプレってなんですか?」
「知らない。行ったことないもん」
「行ったらちょん切って千切りにしますからね。あっ、でも形状的に輪切りか……?」
「外だしやめよっか」
「はーい」
香奈が小学生のような返事をした。
「まあでも、なんのコスプレもしてなくていいけど——」
巧は香奈の耳元に口を寄せて、
「——香奈はほしいな」
「……えっ? えぇ⁉︎」
香奈はポカンとした表情を浮かべた後、驚いたような声を出した。首までみるみる真っ赤に染まっていく。
巧は自分の言い方に
「あっ、待って違う。そういう変な意味じゃないよ? ただ、この後一緒に過ごしたいってだけで」
「な、なんだ……紛らわイヤらしい言い方しないでください」
「ごめんごめん。今日は両親遅いんだよね?」
「はい」
「ならさ、この後そのままウチ来てよ」
「えっ、そのまま……ですか?」
香奈が戸惑いを見せた。
「ダメ?」
「いえ、いっぱい汗かいて臭いから風呂入りたいなって——先輩?」
「ちょっときて」
巧は薄暗くなっている周囲を見回してから、香奈を建物の陰にサッと連れ込んだ。
「先輩。どうしたんですか?」
「ちょっと失礼」
巧は困惑する香奈を抱きしめ、その首筋に顔を埋めてその匂いを吸い込んだ。
「ちょ、ちょっと先輩……⁉︎」
「全然臭くないよ。むしろいい匂い」
「っ〜!」
香奈の体がビクッと震えた。
ようやく白さを取り戻しかけていたその頬が、再び赤く染まっていく。
「僕はまったく気にならない。イヤなら全然お風呂入ってもらっていいけど、最近あんまり二人きりの時間なかったからさ。少しでも長く一緒にいたいんだけど……ダメかな?」
「っ……!」
香奈がフイっと顔を背けた。
巧はさすがにデリカシーがなかったかと心配したが、よく見れば彼女の頬は緩んでいた。
「……ずるいです。そんなこと言われたら断れないじゃないですか」
「っありがとう!」
巧は香奈を抱きしめた。
彼女も背中に回した腕に力を込め、幸せそうに頬を緩ませながら胸に頬を押しつけてくる。
犬や猫のような愛くるしさがあった。
「こちらこそありがとうございますですよ。あっ、でも着替えだけはしていいですか?」
「うん、もちろん」
巧は名残惜しく思ったが、そんなそぶりは見せずにうなずいた。
真夏の夕方だというのに未だにサラサラな香奈の髪の毛をそっと撫でながら、
「ごめんね、わがまま言っちゃって」
「いえいえ。わ、私だって巧先輩と少しでも長く過ごしたいですからっ」
香奈が気恥ずかしそうに染めた頬をうりうりとこすりつけてくる。
(あぁもうっ、可愛いなぁ!)
巧は香奈を包む腕に力を込めた。
しかし、はたと気づいた。
「あっ、でも僕は臭いよね。なら、ささっと汗だけ流し——わっ⁉︎」
巧が体を離そうとすると、香奈が首にかじりついてきた。
鼻から大きく息を吸い込み、彼女は
「ふふ、大丈夫ですよ。まったく臭くないし、むしろ好きな匂いです——あっ」
香奈が小さな声をあげた。
巧の愚息がビクッと反応したのだ。
「っ……!」
巧の顔は、火が出るのではないかというほど熱くなった。
元々抱きしめて匂いを嗅いだ時点で立ち上がってはいたし、それがバレること自体は仕方ない。
最高潮になっているムスコの存在は、正面からハグをしていて隠し通せるものではないからだ。
(でも、好きな匂いって言われて反応しちゃったのを気づかれるとか恥ずかしすぎる……!)
「ふふ、先輩。ちょっと待ちましょうか?」
「……うん」
巧は顔を背けながらうなずいた。
とても香奈のほうなど見てはいられなかった。
(恥ずかしがってる先輩可愛い……!)
香奈は悶えた。自分のそこから液がじわっと溢れるのを感じながら、女でよかったと思った。
巧に匂いを嗅がれた時点でシミを作り始めていたパンツは、すでにびしょびしょと言っても差し支えのないほどになっていた。
それはそれで気持ちの良い感覚ではないが、傍から見てわからないのは大きい。
自分が男だったら、巧以上に不便な生活を強いられていただろう。
「香奈、ちょっとあっち向いてて」
「あっ、はい」
ガサガサ、という音がする。
(えっ……? ま、まさかこんなところで処理するわけじゃないよね……⁉︎)
「もういいよ」
「は、はひっ」
香奈はおそるおそる振り向いた。
巧の股間は、通常通りの平坦なものに戻っていた。
(あっ、ポジションを変えただけか……そ、そうだよねっ。いくら物陰とはいえ、巧先輩が外で露出するわけないよね……でも、それこそ今みたいな建物の陰とかでサッと口で処理するカップルも……って、ダメダメ!)
香奈はブンブン首を横に振った。
(や、ヤバい、匂い嗅ぎあったりしたせいでそういう欲高まっちゃってるよ……! 巧先輩に引かれるようなこと言ったりしないように気をつけないとっ……)
「香奈、どうしたの?」
「い、いえ、なんでもありません! ささ、行きましょう先輩っ」
「うん」
なんでもないようには見えなかったが、巧はあえて追求したりはしなかった。
帰路に戻り、並んで歩き出す。
どちらからともなく、早足になっていった。
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