第93話 チームメイトから信頼を勝ち得た

 たくみの行なったことは、左足のインサイドでボールの軌道を変え、軸足である右足の裏を通すというもの、いわゆるフリックだった。

 彼はそこに、味方にリターンパスをするフェイクを混ぜていた。

 それ自体は決して簡単ではないものの、目を見張るようなプレーでなければ、ましてや飛鳥あすかを含めた守備陣全員が裏をかかれるほど高度なものでもない。


 では、なぜ彼らが一歩も反応できなかったのか。

 それは、巧がまったくパスルートを見ていなかったからだ。

 一瞬遅れて何が起こったのかを理解して、飛鳥は驚愕に震えた。


(あいつは一度首を振って誠治せいじの姿を確認してからボールを受けるまでの数秒間、一切誠治も俺ら守備陣も視界に入れていなかった。むしろ、完全に背を向けていたはずだ。それなのに、俺が食いついてあのパスコースが空くのを読んでたっていうのか……⁉︎)


 いくら視野が広いとはいえ、真後ろの状況を把握することは不可能だ。

 つまり、彼は一度チラリと見ただけで数秒後の他の選手の動きを完璧に予測して、針の糸を通すような正確なパスを実行してみせたのだ。しかも、利き足ではない左足で。


 まったくの予想外のプレーで、かつ巧が体でボールを隠していたこともあり、飛鳥は完全にボールを見失ってしまった。

 苦し紛れの偶然でないことは、巧の表情を見ればわかった。


 敵も味方も、そして試合に出ていない選手もマネージャーも、コンマ何秒か思考を停止した。

 一番最初に声をあげたのは部外の者たちだった。


「「「うおおおお!」」」


 その歓声は野太かった。


「何だ今のフリック!」

「背後から走り込んでたやつの裏にっ」

「絶対見えてなかったよな⁉︎」

「誠治の抜け出しも完璧だぜっ」

「あぁ、完全に狙ってたな!」


 まるでカップ戦の決勝で後半ロスタイムに逆転したかような盛り上がりである。

 衝撃から立ち直ったチームメイトも、次々と巧に駆け寄った。


「ナイスパス!」

「やるじゃねーかこの野郎っ」


 全国優勝を目指している彼らは、良くも悪くも実力主義だ。

 実力を認めれば受け入れるし、逆に戦力にならないと判断すれば、少なくとも試合中は一切信頼しなくなる。


 その意味で今この瞬間、巧はチームメイトからの信頼を勝ち得たと言えるだろう。


「巧っ」


 誠治が満面の笑みを浮かべながら、両手を上げて駆け寄る。


「ナイスパス!」

「ナイス抜け出し!」


 二人はバチンと手のひらを合わせた。


「ハッハッハ! あれこそが巧に求めていたものだっ」


 監督の京極きょうごくも、ベンチで満足げに肩をゆすった。


「すごい……まったく見えてなかったはずなのに」

「いやはや、さすがでございますなぁ」


 呆然としている冬美ふゆみの横で、香奈かながいささか得意げな笑みを浮かべる。


「今のヤバくね?」

「ネイマールがいたわ」

「いや、イニエスタやろ」

「あのころのバルサなら誰でもやっちゃいそうだけどな」

「確かに」


 試合に出ていない者たちも盛り上がり、口々に巧のアシストを称えている。


「まさにだなっ、ハッハッハ!」

「監督、それはおもんないっす」

「ハッ……そ、そうか」


 ご機嫌に高笑いしていた京極が、風船が破裂するようにシュンとなった。

 彼のしょうもない親父ギャグは、全般部員には不評だった。哀れなものである。


 部内とサッカー好きの観客が盛り上がる一方、推し活をしていた女子たちは静まり返っていた。

 何が起こったのかイマイチよくわかっていなかったというのもある上に、その大半を占める真ファンからすれば、巧は推しの代わりに出場した憎むべき選手だ。

 彼が脚光を浴びていて、面白いはずがなかった。


「ぐ、偶然でしょ」

「そ、そうよ。たかがワンプレーじゃない」


 彼女たちは、自分が批判していた選手の活躍を素直に認められるような器は持ち合わせていなかった。

 しかし、そのは裏切られることになる。


 巧はそれからも、水を得た魚のように活き活きとプレーを続けた。

 彼はますます楽しくなっていた。


 二軍や三軍に比べて、一軍は味方のパスからのメッセージ性も強い。

 自分で組み立てていくだけじゃなく、すでに構築されている連携に加わっていくのも面白かったし、その中で新しい発見もあった。


 そして何より、全国レベルの選手たちはスペースやズレを見つけてそこを突く能力が高い。

 巧が完全に敵の守備陣を崩さずとも、彼らはそこを利用してくれる。


 時間が経つごとに、巧のプレーはいい意味で雑になっていった。

 多少のズレは修正してくれる。それならば正確性よりもテンポを重視すべきだと思ったのだ。


 ——巧のその変化はチームメイトも、そして相手のAチームの選手たちも感じ取っていた。


(おっ、もう俺らのペースに順応し始めてるな)


 飛鳥はニヤリと笑った。

 最初のころの巧のプレーは丁寧すぎた。だから対応することは簡単ではなくとも至難ではなかった。


 それが、あのフリックでのアシスト以降、一変した。

 巧がテンポを重視し始めたことでBチームの攻撃が一層活性化し、自チームの守備陣に徐々にほころびが生じていることに飛鳥は気づいていた。

 しかし、いつからそれが生まれ始めていたのかはわからなかった。


(なるほど。これは面白いな)


 巧がいわば触媒的な役割を果たしていることは二軍の試合を見ていたときから気づいていたが、想像以上だった。


 彼は間違いなくチームの武器になる——。

 飛鳥は確信した。

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