第95話 似た者同士

 話し合いの結果、たくみの家で二人で夕食を取ることに決まった。


 巧が汗の処理や着替えなどもろもろを終わらせてから五分ほどで、香奈かなはやってきた。

 彼女も普段着に着替えていた。日頃より露出は少なめだった。


 並んでソファーに腰を下ろす。

 巧は香奈の手を取り、指を絡ませた。


 巧が強く握れば香奈も指に力を込め、弱くすれば彼女もそれに倣う。

 そんなやり取りを繰り返しながら、二人は顔を見合わせて笑った。


 巧はつないでいた手を離し、香奈の肩に回した。抱き寄せる。

 寄り添うように体を密着させ、再び指を絡ませたり頭を撫でたりという軽いスキンシップを繰り返した後、自然と吸い寄せられるように口づけを交わした。


「好きです、巧先輩」

「僕も好きだよ」


 合間に愛の言葉をささやき合いながら、何度も唇を合わせる。


「ふっ……ん……」


 回を重ねるごとに、香奈の瞳がとろんとしてくる。

 最後に長めのキスを終えると、彼女は巧の胸にもたれかかってきた。


「大丈夫?」


 その頭を撫でながら尋ねれば、香奈は唇を尖らせてほんのりと不満そうに見上げる。


「な、何?」

「……余裕そうなのがムカつきます」

「そう見せてるだけだよ」


 巧は香奈の手を自身の胸に導いた。

 彼女は驚いたように、その紅玉を真ん丸にした。


「は、速いですね……」

「そりゃそうだよ。こんな可愛い彼女とイチャイチャしてるんだもん」

「ふふ、そうですかそうですか〜。じゃあしょうがないですねっ」


 香奈がえへへ、と幸せそうに笑った。

 そのゆるゆるの表情からは、わずかに安堵の色が見えた。


 ——彼女は、自分だけがいっぱいいっぱいなのは、想いの強さの違いによるものなのかと心配になっていたのだ。

 しかしその懸念は、巧の予想以上の鼓動の速さにより解消された。


 不安から解放されると、人間は大胆になるものだ。

 香奈は後ろ向きで巧の膝の上に乗った。腰のあたりに硬い感触がある。


 巧は一瞬腰を引いたが、諦めたように香奈を背後から抱きしめ、肩に顎を乗せた。

 香奈はまるでVを描くように自身の体の前面で交差している彼の腕に、そっと自分の手を添えた。振り返る。


「一応制汗シートでは拭きましたけど……本当に臭くないんですか?」

「うん、大丈夫だよ」


 巧は自身の言葉が嘘でないことを証明するために、思い切り息を吸い込んだ。

 シトラスの爽やかさの中にわずかに汗の混じった匂いを嗅ぎながら、彼は思った。


(……拭いてこなければよかったのに)


 さすがに変態チックだとわかっているので、口には出さないが。


「僕も本当に大丈夫なの?」

「はい」


 香奈は横向きに座り直した。お返しとばかりに巧の胸元に鼻を寄せ、スンスンと匂いを嗅いだ。


「大丈夫ですよ。巧先輩のことを臭いと思ったことはありません。いつだって安心する匂いがします」


 そう言って、香奈はもう一度鼻から息を吸った。

 制汗剤特有のスッとしたものと汗の混じった匂いが鼻腔をくすぐる。


 拭いてなければよかったのに、と香奈は思った。

 さすがに気持ち悪がられると思い、口にはしなかったが。


 ——彼らは似た者同士だった。




「……そろそろ夕食の支度しよっか」


 巧は時計に目を向けた。

 まだまだ足りないが、体育祭の準備と部活を終えた放課後では、そうゆっくりもしていられないのだ。


「……そうですね」


 名残惜しそうな表情を浮かべつつ、香奈が立ち上がる。

 巧も自分のモノの位置だけを調整してから腰を上げた。


 ——しかし、どちらも消化不良なカップルが、大人しく料理だけに集中できるはずもなかった。


 お互いが不意打ちで背後から抱きしめたり、脇腹を突いたり頭を撫でたりと、スキンシップを繰り返していたせいだろう。

 共同作業だったのにも関わらず、一人で作るとき以上の時間がかかってしまった。


「……今度から、平日は効率重視で行こっか」

「そうですね」


 巧と香奈は揃って苦笑いを浮かべた。


「あの、巧先輩」

「ん?」

「効率重視という点で一つ提案なんですけど……これから私の両親が遅いときは、毎回お互いの家で作り合いませんか?」

「当番制みたいな感じで?」

「そうです。そっちのほうが別々に作るときよりお互いに楽じゃないですか? 当番制にするなら作ってないほうは自由時間ができますし、それこそ今日みたいに協力して作っても、普通にやったら早く終わるじゃないですか」

「まあ、そうだね」


 巧は「自分たちが本当に普通にできるのか」という茶々は入れなかった。


「それに、互いの家で交互に作れば材料費も自然と折半になりますし……何より、もっと長く一緒にいれますから」


 香奈がはにかむような笑みを浮かべた。

 巧は黙って彼女の元に向かい、その体を抱きしめた。


「先輩、食事中ですよ」


 腕の中で、香奈がくすぐったそうに笑った。


「ごめん、これは不可抗力」

「もう、仕方のない人ですね……今回だけですよ?」


 そんなことを言いながら抱きしめ返してくれる香奈がますます愛おしくなり、巧はしばらくの間、抱擁ほうようを解かなかった。


 後ろ髪を引かれる思いで自席に戻り、食事を再開した。


「さっきの香奈の案を採用しよっか。一応ご両親に報告しといてもらっていい?」

「真面目ですねぇ」

「こういう小さなことでも連絡を取っておくのって信頼関係において結構大事だと思うし、仲良くしておくに越したことはないからね——のためにも」

「っ……!」


 香奈が目を見開いて固まった。

 その頬がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。両手で頬を覆い、


「っもう、本当にそういうことをサラッと言っちゃうんですから巧先輩は……!」

「最近はわりと香奈もそういうところはあるけどね」


 付き合ってみてわかったことだが、香奈は押されると弱いが、反対に押せ押せのときはとことん積極的になるタイプだ。


「……でも、確かにそういうのって大事ですよね。それでいうと、私も先輩のお父さんとお会いしてみたいです。こちらにいらっしゃったりもするんですか?」

「毎年夏は忙しいから全然来れないんだよね。なんか文化祭は見にくるって言ってたから、そのとき紹介するよ」

「はいっ……うぅ、今から緊張してきました」

「大丈夫だよ」


 巧は安心させるように軽やかに笑った。


「結構僕に任せてくれてるし、わりと親バカなところあるから、僕が好きになった人なら誰でも受け入れてくれるよ。あっ、でも最初のほうはあんまり下ネタとかは言わないようにね?」

「さ、さすがに言いませんよっ」


 香奈が心外だ、と言わんばかりに憤慨した。

 巧は身を乗り出して、「冗談だよ」と彼女の頭を撫でた。


 香奈は最初こそ許してあげませんよとでも言うように頬を膨らませていたが、やがて堪えきれなくなったように口元が弧を描いていく。

 それが恥ずかしかったのだろう。彼女は頬を染めてそっぽを向こうとした。

 巧はその後頭部に手を添え、当然のようにキスをした。

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