第123話 口移し

 土曜日。

 咲麗しょうれい高校サッカー部は桐海とうかい高校に集っていた。プレミアリーグ第十五節が行われるのだ。


 プレミアリーグはイーストとウエストに分かれて各十二チームで行われており、咲麗と桐海はイーストの上位二チームだった。

 現在の首位は桐海だが、勝ち点差はわずか一ポイントだ。


 勝てば順位が入れ替わる大事な一戦で、巧はスタメンに抜擢された。

 アップを行っていると、合間に桐海の選手が巧に話しかけた。


「君、新顔やなぁ」


 桐海高校キャプテンの今泉いまいずみだった。

 サラサラの髪と糸目、そして関西弁は、咲麗の二軍キャプテンの二瓶にへいを彷彿とさせた。


「どうも。今泉さん……でいいですか?」

「おお、せやせや。自己紹介を忘れとったな。一応桐海のキャプテンやらしてもらっとる今泉っちゅーもんや。よろしゅう」


 今泉が人の良さそうな笑みを浮かべた。その目は全く笑っていない。

 曲者だな——。

 巧は警戒心を強めた。


如月きさらぎたくみです。よろしくお願いします」

「巧君か。見ない顔やけど、今まで二軍におったんか?」

「いえ。八月の頭までは三軍にいました」

「へぇ。っちゅーことは、他の奴らよりはだいぶ大したことないな。まことの代わりに滑り込んだっちゅーわけや。咲麗はスタメンのボランチは強いけど、ベンチになるとガクッと質が下がるもんな」

「そうかもしれませんね」


 かなり直接的に馬鹿にされたわけだが、巧は穏やかに笑うのみだった。

 彼は、目の前の男がそこら辺にいる器の小さい嚙ませ犬とは別種であることを見抜いていた。


 ——厄介そうな相手やな。

 今泉は内心で舌打ちをした。


 アップを見ていても、巧は細かい技術こそあれど、身体能力やその他のドリブル、シュート、守備なども平凡以下だった。

 はっきり言って、とても咲麗でスタメンを取れるレベルではなかった。


「あいつだけレベル低くね?」

「それな。ウチだったら一軍にも入れてねえだろ」

「咲麗もベンチの層は薄いんだな」

「運いいな、あいつ」


 桐海の中にも、巧を馬鹿にする声がちらほら散見された。全てベンチメンバーだった。

 そんな浅い考えだからスタメンが取れないんやろが、と今泉は怒鳴りたくなった。


 周囲よりもレベルが低いからこそ、警戒しなければならないのだ。

 他のチームメイトは当たり前のように巧のことを受け入れている。

 今泉たちが見抜けていないだけで、彼には実力で咲麗のスタメンを勝ち取るだけのモノがあるということだ。


 ただ運がいいだけの選手であるはずがない、というのが今泉の出した結論だった。


 だから少し探りを入れてみた。

 しかし、巧は挑発にも全く反応しなかった。


(どころか、ワシの狙いを完全に看破しているようやったな)


 巧は現在、咲麗キャプテンの飛鳥あすかと何やら談笑している。

 最近一軍に昇格したばかりで、今後のリーグ優勝を占う大事な首位攻防戦の前だというのに、緊張した様子は見られない。


(……大物になる素質があるな)


 今泉はますます警戒心を強めた。




 試合が始まっても、巧への警戒心は強まるばかりだった。

 ワンタッチプレーなどは冴えているが、それだけ。相変わらず特筆事項は見られない。


 それなのに、咲麗は巧を攻撃の中心に据えているような節があり、彼自身も堂々と仲間に指示を出している。

 咲麗は超攻撃的なチームで、いつもならガンガン攻め込んでくるはずだが、今は一転して穏やかなパスワークに徹している。


 ボールは保持されているが、点を取られる気配もしなかった。

 ——いや、しないはずだった。


(なんや?)


 今泉は違和感を覚えていた。

 漠然ばくぜんと、何かがおかしいと感じていた。


 周囲を注意深く見回す。そして気付いた。

 咲麗の中では真の次にドリブルが上手い水田みずたへのマークが、極端に甘くなっていることに。


(いつや⁉︎ いつからマークがずれとった⁉︎)


「おい——」


 今泉が慌てて味方に指示を出そうとした、そのとき。


 これまでは横か後ろへのパスに終始していた巧が、反転して鋭い縦パスを水田に通した。

 ——行きましょう!

 そんな声が聞こえてきそうな、明確なメッセージ性のあるパスだった。


 咲麗のテンポが一気に上がった。


河合かわい、水田を止めろ!」

「待て、行くな!」


 桐海の対応は後手後手に回った。

 正反対の指示が交錯する中、彼らは悟っていた。いつの間にか、守備陣形が自分たちでも気が付かぬ間にずらされていたことに。


 ポジション修正をする間を与えるほど、咲麗の攻撃は緩くない。

 華麗なパスワークと個人技の融合した攻撃で完全に桐海守備陣を切り崩すと、最後はエースの誠治せいじがきっちりとゴールネットを揺らした。


「ナイッシュー!」

「水田、ナイスアシストっ」

「巧もナイスパスだ!」


 喜びあう咲麗のメンバーを見ながら、今泉は確信していた。


(……巧や。あいつが知らずのうちに俺らの陣形を乱しとったんや)


 思わず舌打ちが漏れる。

 事前のミーティングで真が戦列を離れて攻撃力はダウンしただろうと予測を立てていたが、とんだ勘違いだった。


「やべーな……」

「あぁ。こいつは厄介だぜ」


 今泉だけではない。

 ピッチに立っている桐海のメンバー全員が、咲麗の攻撃力が落ちていないこと、どころかさらに厄介になっていることを痛感していた。




 桐海も徐々に立て直しはしたが、最初の一点のダメージは大きかった。

 前半が終了する時点で、咲麗は二対〇でリードしていた。


 後半に入って一点を返されたが、体力の切れた巧を交代させた時点で守りを固め、桐海が点を獲りにきたところで誠治が確実にカウンターを仕留めた。

 そのままスコアは動かず、三対一で咲麗高校が勝利を収め、首位に浮上した。




 試合は午前中に終わった。

 午後、巧と香奈は白雪しらゆき家で一緒に勉強していた。


 お互いの集中力が切れたところで、香奈がニヤニヤと笑いながら冷蔵庫に向かった。

 なんだろうと巧が目線で追っていると、彼女は何やらタッパーを持って戻ってきた。


「じゃーん、実はお菓子を作ってみたのです!」

「おお、すごい。めっちゃ上手くできてるじゃん」

「えへへ〜」


 巧が素直に褒めると、香奈が得意げに笑った。


「巧先輩ってあんまり甘いの取らないようにしてるじゃないですか。だからちょっとビターな味にしてみましたっ」

「わぁ、ありがとう。食べていい?」

「どうぞどうぞ」


 香奈がずいっとタッパーを差し出す。

 巧はもぐもぐと口を動かしつつ、不安と期待が入り混じった表情で自分を見つめる香奈に親指を立ててみせた。


「うん、すごく美味しいよ」

「本当ですかっ? やったぁ!」


 香奈が嬉しそうに飛び跳ねた。

 ひとしきり喜びの舞を踊った後、彼女自身も手を伸ばした。


「うむ、我ながら上手くできていますな。でもやっぱり、ちょっと甘さがほしいですねぇ」


 香奈が何かを期待するように瞳を輝かせて巧を見る。


「……何?」

「あーん」


 香奈が小さく口を開けた。


(……あぁ、そういうこと)


 巧はパッと見で一番大きい塊を手に取って、香奈に食べさせた。

 彼女はチョコを食べたままの勢いで巧の指を舐めた後、頬を染めてニヤッと笑った。


「ふふ、甘いです」

「僕もちょっと甘さがほしいかな」


 巧は挑発するように言った。


「いいでしょう。今のよりももっと甘くなる方法がありますよ」


 香奈がチョコを手に乗せる。それを口に含んだかと思えば、巧に唇を押し当ててきた。


「んんっ⁉︎」


 驚いて開いた口の中に、彼女の舌とチョコが侵入してきた。


「っ……!」


 突然のことで、巧は惚けてしまった。


(口移し……されたんだ)


 少し経ってから、自分が何をされたかに気付いた。

 頬に熱が集まるのを自覚しつつ、チョコを噛み砕く。


「ふふ、どうですか?」


 香奈は赤くなりつつも、してやったりという表情で嬉しそうに笑っている。


「……すごく甘いです」


 不意打ちですっかり撃ち抜かれていた巧は、そう答えるのが精一杯だった。


「もう〜、赤くなっちゃって可愛いなぁ先輩は!」


 香奈は調子に乗ってその頭をうりうりと撫でた。

 巧の瞳がギラリと光った。


「香奈にも甘いのあげるよ」


 巧はチョコを一つ摘んだ。

 口に含むと見せかけて、一気に香奈の唇を奪った。


「んむっ⁉︎  ん……あっ……!」


 口移しされると思って身構えていた香奈は、なすすべなく口内を蹂躙じゅうりんされた。巧の舌はいつもより積極的だった。

 夜空を連想させる彼の瞳には、っきりと欲情の色が映っていた。


(こんな強引にっ……私のイタズラで欲情してくれたんだ……!)


 下腹部がキュンキュンうずいた。


(気持ちいい……とろけちゃうよ……!)


 肉体のみならず精神的な快楽までも味わっていた香奈は、巧が我に返って攻撃をやめるころにはすっかりふやけてしまっていた。

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