第142話 マネージャーの観察眼

七瀬ななせ


 まさるに声をかけたのは、香奈かなの親友で少し前に二軍に昇格した一年生マネージャーの七瀬あかりだった。


「お久しぶりです、百瀬ももせ先輩」

「おう」


 ちょこんと礼をするあかりに対して、優は片手を上げた。


 二軍と三軍で学年も違うため、こうして面と向かって話すのは久しぶりだ。

 しかし、ひょんなことから始まったメッセージのやり取りはずっと続いているため、以前よりも二人の距離は縮まっていた。


「七瀬はどうしてこんなとこいるんだ? 最寄り違うだろ?」

「友達の家で勉強するんです」


 あかりはリュックを背負っていた。


「あー、テスト近いもんな。この辺なのか?」

「はい」


 あかりがGoogleマップを見せてきた。


「近所だ。俺の家ここら辺だから」

「本当だ。近いですね」


 一つの画面を覗き込んでいるので、どうしても顔の距離は近づく。

 一緒にいる香奈が圧倒的なせいで影に隠れているが、あかりも鼻筋の通ったクール系美少女だ。


 人によっては彼女のほうが好みだと言う者もいるだろうし、優はその一人だった。

 巧に対する嫉妬を肯定してもらって以降、一段とあかりを意識するようになってしまった。


(ち、近えっ……めっちゃいい匂いするし……!)


 気になる少女の端正な横顔がすぐ近くにあるというだけでも、健全な男子高校生にとってはかなりの刺激だ。

 それに加えて普段はあまり嗅がない類の甘い匂いに鼻腔をくすぐられ、優はすっかり動転してしまった。


「な、なあ。そこまで一緒に行かないか? 道わかるし」


(最悪だ、めっちゃどもっちまった……!)


 優は羞恥を覚えたが、あかりはほとんど気にもしていない様子で、


「いいですよ。というより助かります」


 嬉しそうに笑った。


「っ……」


 優の頬にさらに熱が集まった。

 日焼けだと思ってくれるのを期待するしかなかった。


「な、七瀬は成績いいほうか?」

「悪くはありませんね。百瀬先輩はどうですか? クラスで半分以上はキープしてそうなイメージなんですけど」

「毎回半分ちょっと上くらいって感じ。よくわかったな」

「マネージャーの観察眼舐めないでください」


 あかりがふふっと笑った。

 優も「舐めてねえよ」と頬を緩めた。一人でいた先程よりはだいぶ晴れやかな気分になっていた。


 しかし、それこそさすがはマネージャーと言うべきか、あかりは優の気分が落ちていることを見抜いていたようだ。


「ところで、なんだか元気なさそうですけど大丈夫ですか?」

「あー……まあな」

金剛こんごう先輩ですか?」

「っ——」


 優は息を呑んだ。

 しかし、よく考えてみればあかりは二軍のマネージャーなので、大介だいすけの昇格は当然知っている。そこから思い当たるのはさして難しいことではないだろう。


「……そうだよ。どうしても思っちまうんだ。小太郎こたろうがいなくなったら同じポジションの俺が昇格しても良かったんじゃねえかって……悪いな。また愚痴っちまって」

「全然構いませんよ」


 あかりはふるふると首を振った。


「悪口じゃないので気分も悪くならないですし、状況的に気分が落ちるのは仕方なのないことだと思います」

「あぁ……もちろん諦めるつもりはねえし、これまで以上にサッカーは頑張るつもりだけど、誠治せいじたくみも一軍で活躍してるしちょっとネガティヴになってるわ。情けねえ……」


 優はハァ、とため息を吐いた。

 あかりは彼の肩をポンポンと叩きながら、


「大丈夫ですよ。ヤケにもならず、周囲にも当たらず、諦めもしてない時点で情けなくなんかないですから。それに二軍の人たちを見ていても、三軍との差はそこまで大きくないように感じます。百瀬先輩にも全然チャンスはありますって」

「……そうだな」


 優は自然と笑みを浮かべていた。

 かけられた言葉の内容よりも、あかりが慰めてくれたことそれ自体が嬉しかった。


「サンキューな、七瀬」

「いえいえ。ワンオクでも聞いてぶち上げましょう」

「そうだな。キミシダイ列車聴くわ」

「いいですね」


 優とあかりのやりとりが続いている理由の一つとして、どちらも日本有数のロックバンド「ONE OK ROCK」、通称ワンオクが好きだというのがあった。

 好きな曲やライブの理想のセットリストなどについて話していれば、時間などあっという間に過ぎていってしまう。


「そういえば百瀬先輩。さっきノリで肩叩いちゃいましたけど、嫌じゃなかったですか?」

「おっ? 全然。どうした急に」

「いえ、後輩の女子に馴れ馴れしくされるの嫌がる人もいるかなって思って」

「あー、まぁ確かにな。でも俺は気にしねえよ。何なら元気出たし」

「それなら良かったです。もう一発バシンと叩きましょうか?」


 あかりがニコッと笑って平手の構えを取った。

 優はマジマジと見つめてしまった。


 彼女は怪訝そうな表情になり、


「……なんですか?」

「いや……なんか気安く接してくれるようになったなって思って」

「あー、なんか香奈に猫みたいだって言われたことはあります」

「何となくわかるかも」


 猫は基本的に警戒心の強い生き物だが、慣れると途端に戯れてくるのだ。


「あいつのほうがよっぽど猫っぽいと思うんですけど」

「確かに白雪しらゆきって愛想はいいけど一線引いてるとこあるよな」

「男子に対しては特にそうですね——彼以外」


 言うまでもなく巧のことだろう。


「今も一緒に勉強してるって言ってたな」

「今ごろにゃんにゃんしてるんじゃないですか?」

「おいJK」

「これくらいはセーフですよ」

「っ……!」


 あかりがウインクをした。

 可愛さに悶絶してしまった優は、ツッコミのタイミングを失ってしまった。


「でも、巧はそこら辺しっかりしてそうだけどか」

「わかりませんよ? 意外と配慮しないで欲望のままに押し倒してる可能性もありますし」

「……七瀬って、巧と仲悪かったっけ?」

「えっ? いえ」


 あかりが首を振った。

 それから眉をひそめて、


「どうしてですか?」

「いや、なんか言い方が厳しいような気がしてさ」

「別にそんなつもりはなかったです」

「そっか。あっ、もしかして——いや、何でもない」

「何ですか?」


 あかりがずいっと顔を近づけてくる。


「ま、マジで何でもない」

「いえ、その動揺の仕方は何でもありますね?」


 動揺しているのは君の顔が近くにあるからだ、などとは言えなかった。

 それに、何でもないわけではないのも事実だった。


「言ってください。気になります」

「……気悪くすんなよ」

「はい、もちろんです」

「その、もしかしたら親友取られた気がするから敵対心みたいなの燃やしてんのかなーって」

「あぁ、そういうこと。そんな子供じゃありませんよ」


 あかりは笑いながら首を振った。

 誤魔化しているようには見えなかった。


 間もなくしてあかりの友人の家に到着した。


「じゃ、またな」

「はい。お互い頑張りましょう」

「おう、サンキュー」


 自宅に帰る優の足取りは軽やかになっていたが、巧について話していたときのあかりの翳りのある表情が脳裏から離れなかった。

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