第121話 クールな先輩マネージャーは新三軍キャプテンと勉強をする

 咲麗しょうれい高校からほど近いところに、古びた奥ゆかしいカフェがあった。

 普段は地元のお年寄りがもっぱら雑談をしているそこで、二人の若い男女が参考書やノートを広げつつ、向かい合って座っていた。


 咲麗高校サッカー部三軍キャプテンの三葉みわと二軍マネージャーの玲子れいこである。

 そのカフェに来るのはどちらも三度目だった。


「模試の結果はどうだった?」

「まあ、大体予想通りだったな。愛沢あいざわはどうだ?」

「B判定になったよ」

「おっ、一つ上がったじゃないか」

「三葉が教えてくれたおかげさ。それに、現実逃避がてらに猛勉強していたからな」


 玲子はハハッと笑った。

 そんな冗談を言えるくらいには、巧にフラれた傷も回復していた。完治はしていないが。


「そうか。まあなんにせよ、成績が上がったのはよかったな」


 三葉が若干居心地の悪そうな表情を浮かべた。彼は話題を変えた。


武岡たけおかはどうだ?」

「なかなか真面目にやっているぞ」


 玲子は口元を緩めた。

 先日、元三軍キャプテンの武岡が二軍に昇格した。


 謹慎きんしん処分が解けて以降、ポジションをセンターバックからアンカーに上げた彼は、それまでとは打って変わってサッカーのみに集中するようになっていた。


「怒鳴り散らしているのは今まで通りだが、理不尽にキレることがなくなったから、逆にチームが引き締まった感じだ。スタメンになる日も近いかもしれないな」

「まあ、元々実力はあったからな。素行が悪いから昇格させてもらえなかっただけで……それでいうと、間宮まみや監督とはうまくやっているのか?」

「問題なさそうだ」


 以前から武岡は間宮を自分を昇格させない元凶として目の敵にしていたが、今はそうは見えない。

 突っかかることはあるが、すべてサッカーの指示に関することだ。ヒートアップすることはあっても、我を忘れる様子はなかった。


「ならよかった。あいつはそこらのことを全く自分から話さないからな」

「ツンデレというやつか」

「大男のツンデレに需要はないな」

「間違いない」


 二人は顔を見合わせて笑い合った。


「さて、再開するか」

「そうだな」


 束の間の歓談を終えて、勉強に戻った。




 二時間ほど滞在した後、カフェを後にする。


「愛沢。来週もここで勉強しないか?」


 三葉からの二度目の提案だった。

 一度目は玲子も承諾した。だからこそ今日の勉強会も実現したわけだが、


「三葉。もういいぞ」

「……何がだ?」


 三葉が意味がわからないというふうに眉をひそめた。


「これ以上気を遣うな。私はもう大丈夫だ」

「……もしかして迷惑だったか?」

「違う。逆に三葉が迷惑だろう」


 玲子より成績の良い彼は、先程もこれまでも彼女がわからないところを嫌な顔一つせず教えてくれていた。

 傷心中の自分を励ますために勉強会に誘ってくれているのだと思っている玲子にとって、貴重な彼の勉強時間を奪ってしまっている現状は心苦しかった。


「なるほど。そういうふうに捉えていたのか……」


 三葉が考え込むように顎に手を当てた。


「……俺が迷惑だと感じていなければ、これからも勉強会に付き合ってくれるのか?」

「それは……正直私にとってはありがたい話だが」


 玲子にとって、三葉との勉強時間は有意義なものだった。

 わからないところは教えてくれるし、他人の目があることで怠けずに集中できていた。


「ならはっきり言っておこう。愛沢。俺は別にお前を気遣うために勉強会に誘っているわけじゃない」

「えっ……じゃあなぜだ?」

「お前も大概鈍感だな」


 ふっと口元を緩めた後、三葉はまるで試合中のような真剣な表情を浮かべた。


「愛沢、お前のことが好きだからだ。お前が巧を好きになるより、ずっと前からな」

「っ……⁉︎」


 青天の霹靂へきれきとはこういうことだろう。

 玲子はびっくりして声も出せなかった。三葉のことはずっと仲の良い友達だと思っていた。


 巧もこんな気分だったのだろうか、という考えがちらりと脳裏をよぎった。

 三葉は顔を真っ赤にしていたが、視線は逸らさなかった。


「……本気、なのか?」

「あぁ。俺が励ましで何回も女を誘うような男に見えるか?」

「そ、それはたしかに見えないが……」

「そういうことだ」


 三葉がどこか得意げにうなずいた。


「なぜだ? 私なんて、女らしさのかけらもないだろう」

「その飾っていないところがいいんだ。あと……」


 三葉は視線を逸らしつつ続けた。


「……普通に可愛いからな」

「なっ……!」


 玲子の頬にも熱が集まった。

 照れながら可愛いと言われ、ようやく自分が告白されているのだという実感が湧いた。


「……すまない。ちょっと気持ちの整理がつかない」

「あぁ。別に返事は急がない。こっちこそ、受験期なのに混乱させてしまってすまないな」

「いや……ありがとう。嬉しいのは本当だ」

「それならよかった。それで、その……今後もたまには一緒に勉強してもいいか? 強引に迫ったりはしないし、そもそも勉強中は絶対にそういう話はしないと約束する」

「あ、あぁ……よろしく頼む」


 玲子は戸惑いつつも了承した。

 三葉が自分のことを好きであるという事実は、彼との勉強会を避ける理由にはならない。

 その誠実性はこれまでの二年半の付き合いでよくわかっている。彼は自分の言葉を守るだろう。


「そうか。ありがとう」

「あぁ……」


 玲子は落ち着きなく視線をキョロキョロさせた。見知った男女が目に映った。


「おっ?」

「どうした?」


 三葉が玲子の顔を覗き込む。


香奈かなちゃんのご両親らしき人がカフェに入って行ったような気がしてな」

「そうか」

「そ、それより三葉」

「なんだ?」

「ちょ、ちょっと近くないか?」

「あっ、す、すまないっ」


 三葉としてはほとんど無意識だった。

 再び赤面した彼はメガネをかちゃかちゃさせた。


 普段は冷静沈着な彼の動揺しまくった様子を見て、玲子はクスッと笑った。

 少し気持ちが落ち着いた。


「いや、別に嫌だったわけじゃないんだ。ただ、少し落ち着かなかったというか……」

「……じゃ、じゃあ、もう少しだけ近づいてもいいか?」

「あ、あぁ」


 普段よりもほんの少しだけ近い距離感で、二人は歩き出した。


 玲子は再び落ち着かない気分を味わっていた。

 元から仲の良かった友人に好意を告げられたとはいえ、すぐに好きになってしまうほど軽い女ではない。


 ただ、やはり少しだけ意識してしまっているのも事実だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る