第149話 カミラ

 ミシャールの市場を急ぎ足で離れる。

 今から領主館へ向かうと、予定通り。

 ちょうどいい時間だ。

 サヴォイアを追い詰めるはずだった黒狼の襲撃も、そこから苦戦するはずだった復興さえも、驚くほどあっさりと終わってしまった。

 当初の予想から考えると大分当てが外れはしたが、それでもタミル帝国との間に火はついた。

 戦争は大きな商売になる。

 レナス王国で成り上がるには何よりも戦争だ。

 サヴォイアは今後その最前線となるだろう。

 まだ私は――私の商会は、大きくなる。

 領主家とは何としても、うまく付き合わねばならない。

 だが、その前に、まずはボナス商会だ。

 急ぎ私兵を動かさなくては。

 チャンスはこの一瞬。

 時間に余裕があるわけでは無い――。


「……いつもの十名はこのまま私の護衛を、残り四十名は事前に取り決めた配置へ移動するように」

「わかりました。カミラ様、それでは作戦はそのまま……?」

「ええ、決行で。私は領主館へ向かいます」

「はっ!」


 市場を取り囲んでいた私兵の一部が、移動しながら私の周囲に展開し、指示を仰ぐ。

 癪だが、やはりあの男の提案に乗ろう。

 ボナスという男、あれは――排除しなければ。

 私の提案を、その先にあるものを見た上で、なお断ってきた。

 辺境のただの一商人が、ありえないことだ。

 商人として特に経験豊富という風でも無かったが……どうもこれまで相手にしたことのないタイプだ。

 しかもなお悪いことに、人が良い。

 その振る舞いの根底に、野心や恐怖、悪意がわずかでも見えたならば、まだ私も安心できた。

 そう言う人間は分かりやすく、動かしやすい。

 けれど……見せたのは良心的な警戒だけだ。

 ああいう人間は後々私の邪魔になる。

 それでもまだ、扱っている商品がつまらなければ、捨て置いてもよかった。

 しかし――、あれはダメだ。

 チョコレートにコーヒー。

 今でも毎日、自分の足で市場を見て周り、街の声に耳をそばだてている。

 その私が未だ見たことも聞いたこともない商品だ。

 あの商品には計り知れない価値がある。

 香りと甘味。

 やり方さえ間違えなければ、どこまででも値が付くだろう。

 いまはもう、純粋な商売に関しては、やや引いた立場をとってはいるが……、そんな私でも久しぶりに滾るものがあった。

 もちろん、ただの甘味では無い。

 間違いない。

 あれは――砂糖だ。

 チョコレートには確実に砂糖が入っていた。

 全身が痺れるような極上の甘味、それを感じた瞬間、全ての迷いはなくなった。

 これは戦争と並ぶほどの、いやそれ以上に大きな商売になるだろう。

 ただ、ボナスという男は、あまり量は取れないと言っていた。

 嘘かもしれないが……そもそもこの地域は水も栄養分も少ない土地だ、そんなこともあるだろう。

 おまけに地獄の鍋で集めていると言う。

 事実、これまでのサヴォイアには全く存在しなかったものだ。

 それも本当である可能性が高い。

 そうなると確かに、採取するのも難しいしだろう。

 しかし量が少なく、採集が難しいのであれば、育てればいいのだ。

 あの甘味、砂糖であれば、どれだけ人や資材を投入しても、最終的にはそれ以上の利益は十分回収できる。

 やり方なんていくらでもあるはずだ。


「――カミラ様、全員配置につきました。なお、ボナスは移動を開始するようです。鬼とは別行動です」

「……予定通り。あまりにうまくいきすぎていて、気持ち悪い程ですね」

「捉えたボナスとは今日中に会われますか?」

「いえ……、少し考えます。領主館から戻るまで指示を待ちなさい。決してボナスとは言葉を交わさないように」

「ボナス以外が付いていた場合は予定通り……」

「ええ、誰であっても殺してください。首を落とせとまでは言いませんが、間違いなく厳重に留めも刺すようにお願いします。余裕があれば死体の処理も、ただ……もし、鬼がいた場合は即座に作戦中止で」

「承知しました」

「それでは、私は領主館へ」

「はっ!」


 あの男を信用してはいけない。

 だが、あの男の言っていることはいつも正しい。

 あの男が今なら安全にボナスを捕えることができるというならば、実際その通り出来るのだろう。

 現に、これまでもすべてあの男の言った通り事は運んでいる。

 しかし……ボナス商会が鬼を従えているのには驚いた。

 鬼とはまともに戦ってはいけない。

 たとえ精強な私兵すべてを当てたとしても、鬼相手ではまるで安心はできない。

 本格的に鬼を倒すとなれば、相当強力な毒を使うか、寝込みを襲うなど搦め手を使う他ない。

 それでも多くの私兵を失う覚悟は必要だ。

 だから、鬼は孤立させるのが一番いい。

 それまでがどうあれ、逆上し、孤立した鬼を街は必ず持て余す。

 制御できない強すぎる力は、いつしか排除へと向かうのだ。

 今はボナスがかすがいとなっているようだが、それが失われれば後は自滅していくだろう。

 そして、ボナス本人には大した戦闘経験は無いようだ。

 私兵二、三名もいれば十分対応できるらしい。

 ただ連れているトカゲは危険らしく、魔法使い以上の火を噴くらしい。

 帝国からも直接、あの男からとまったく同じ情報が入っている。

 それに加え、独自に集めた情報もそれを裏付けするようなものだった。

 かなり確実な話だ。





「……シュトルム商会のカミラです」

「お待ちしておりました、ラウラ様を呼んでまいります。こちらで少しお待ちください」


 さて――、今はこちらに集中しなくては。

 とはいえ今日会うのは領主様では無く、その娘のラウラ様だ。

 領主様とも五日後には会う予定だが、今はまだ面会できないようだ。

 そこまでに娘とうまく付き合い、地ならしをしておく必要がある。

 ラウラは貴族社会の中では悪い意味で有名だ。

 学者肌らしく、若い頃は才女ともてはやされたが、貴族としての振る舞いに問題があり、結婚にも失敗している。

 私も何度かあってはいるが、政治は無理なタイプだ。

 交渉事などまず出来ない。

 人柄は良いのだろうが気が弱く、多少無理な提案も押せば簡単に受け入れてしまう。

 王国の貴族としては珍しい。

 見ていてイライラするような弱い女だ。

 後に領主様との打ち合わせも控えているので、今日の所はうまく話を合わせ、印象を良くしておけば十分だろう。

 通された応接室の扉が開き、白いドレスを着た女性が入ってくる。


「……ラウラ様? お、お久しぶりです」

「カミラ様、おひさしぶりです。どうされたのですか?」

「いえ、少し……雰囲気が変わられましたね。相変わらず大変お美しく……」

「そうかしら? ふふっ、少し日に焼けたせいかもしれませんね」


 誰だこの女は……。

 相変わらず蜂蜜色のふわふわとした髪と瞳だが、そこから受ける印象はずいぶん異なる。

 どこか落ち着きのある強い自信を感じる。

 これが本当にラウラ様なのか……。

 まずいな。

 認識にずれがある。

 情報が追い付いていないのは危険な兆候だ。

 余裕のある笑みを浮かべ、こちらへ語り掛けてくる。


「どうぞ座ってくつろいでくださいね」

「ラウラ様は、今回のヴァインツ村復興においても先陣を切り、たいへん素晴らしいご活躍をされたと聞いております」

「いえ、私はそれほど多くのことをしたわけでは無いのですよ? ただ、とても頼りになるお友達が助けてくれただけです。そう……困ったときに助けてくれる人こそ、本当のお友達ですよね?」

「……ええ、そうかもしれませんね」

「そういえば、あなたのシュトルム商会は、今回の復興時に資材を送って下さったのかしら? あなたは……私のお友達なのかしら?」

「……ちょうど流通が滞っている時期でして……、本来は誰よりも早く資材をお送りする予定だったのですが……我々の力及ばず、申し訳ございません」

「そう、あなたも苦労なさったのね。これからサヴォイアもいろいろと大変ですから、隣領とは言え大商会を率いるあなたとはぜひお友達として仲良くやっていきたいですね。ああ、そうだわ、今日はあなたをもてなすために、特別に私のお友達から頂いたお茶とお菓子を用意しているんです」

「……ありがとうございます」


 まるで領主様本人と話をしているような圧を感じる。

 眼鏡越しに輝く黄金色の瞳に飲まれそうになる。

 まさか領主様でなく、ラウラ様が物資の流通を邪魔したことを切り込んでくるとは思わなかった。

 復興での活躍も、これは少し思っていたものとは違いそうだ。

 少し現地に顔を出すだけの、形だけのものかと思っていた。

 しかし、まさか貴族のご令嬢がそう言った作業へ実際に加わることなどあり得るのだろうか……。

 まずいな。

 完全にラウラ様に関しては注目していなかった。

 なにより情報が不足しすぎているのがまずい。

 会ったのは確か一年ほど前のはずだ。

 これほどの短期間で、人は変わりうるものだろうか……。

 もともと頭のいい女ではあったが、こういった駆け引きじみた会話はしなかったはずだ。

 何とか雰囲気を変えなくては。


「カミラ様―――これ、コーヒーとチョコレートっていうのよ。とってもおいしいからぜひ味わってみてくださいね」

「……コーヒーとチョコレート……ですか」

「ええ、私のお友達――大切なお友達から頂いたものです。ちょうど昨日も家に遊びに来ていて、その時に持ってきてくださったんですよね!」

「素晴らしい……香りですね」

「そうでしょう? 私もとても気に入っているのですよ。ああ……、あなたも商人ですから、もしかするとこの商品を扱いたいと思うかもしれませんよね」

「……そう、ですね……」

「でも、それはやめていただきたいの。私もそのお店の常連のひとりですから。できれば、いまの気軽に楽しめる環境を大切にしたいの、わかるでしょう? 何より私の大切なお友達に、あまり気苦労を掛けたくは無いのです。ですから、もしボナス商会のお店をみつけても、そっとしておいてくださるかしら?」

「ラウラ様が望まれるのでしたら、もちろんです」


 動悸がしてくる。

 これは……はやまったかもしれない。

 ある程度商品を認知していることまでは予想できたが……まさか、屋敷に招くほど領主家と懇意にしているとは。

 そういえばラウラ様の着ている白く美しいドレス生地……、これと似たものを先ほど露店で見た。

 露店にいた鬼や小鬼も似たような生地の服を着ていた気がする。

 完全に見誤った。

 やはりあの男は……私も結局嵌められたのだろうか。

 利益を共有しているうちは大丈夫だと思っていたが、甘かったようだ。

 信用してはならないと分かっていたが、まさか……それにしては行動にあまり一貫性や合理性を感じない。

 いや、今はもうあの男のことはいい。

 それよりも……消さなければ――証拠になるものすべて。

 今ならまだ間に合うはず。

 痕跡はすべて燃やそう。

 記憶は殺せば消える。

 私兵は惜しいが、貴族家との対立は商会と私の死を意味する。

 やっとここまで来たのだ……こんなところでは終われない。

 だが……この街でやるのは危険だ。

 私兵を殺す私兵も必要だ。

 一度全員カノーザ領の本拠地へ戻さなくては。

 私は……五日後の領主様との面会は……。


「もし――」

「……はい?」


 ラウラ様はコーヒーの香りを楽しみ、そのカップへ口を付ける寸前動きを止める。

 そしてゆっくりとカップを置くと、静かに眼鏡を外すと、大きな黄金色の瞳で私の目を覗き込むようにして、静かに語りかけてくる。


「カミラ様、もしもの話ですけれど……、ボナス商会に何かあったら、私は、私個人としても、貴族としても、そして魔法使いとしても、私の持ちうるすべての力を持って、その相手に報復するでしょう。もちろん、もしものお話ですよ。隣領を代表する商人のあなたにそのことは伝えておけば、いろいろと安心でしょう? 少し大げさな言い方になってしまいましたが、私にとってほんとうに大切なお友達ですから……ね?」

「はい、ラウラ様のお言葉、間違いなく心に留めておき、他の商人へもその旨周知いたします」

「それは助かります! さぁどうぞ、まだチョコレートはたくさんありますから、召し上がってくださいね。とっても美味しいでしょう?」

 「ええ、とても……」


 吐き気がする。

 味なんてもうわかるわけがない。

 ラウラ様はとても満足そうにチョコレートとコーヒーを楽しんでいる。

 何が政治の才能が無いだ。

 やはり、あの領主の娘だ……血をしっかり受け継いでいる。

 ダメだ。

 サヴォイアに残るのは危険だ。

 一度カノーザ領へ戻ろう。

 領主は……五日後また来ればいい。

 すべて――、全てを消してから、再度訪ればいい。

 まだ大丈夫、まだこれからだ、まだ私は……。

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