第57話 逃走
「ボナス、そろそろ休まなければまずい」
声を潜め、アジールが言う。
確かに不安と恐怖に駆られ、皆あれからずっと歩き続けている。
今はまだいい。
だが、サヴォイアまで進み続けることを考えるならば、休まなくては。
子供を抱いて歩き続けている者もいる。
少なくとも休憩なしで、このペースを維持し続けることは不可能だ。
「少しだけ休憩しよう」
皆倒れ込むように座り込む。
誰も声を上げる人はいない。
暗闇の中雨に打たれ、なんとも重苦しい空気だ。
暫くするとすすり泣くような声が聞こえてくる。
「俺たちの村は……もう終わりなんだろうか」
「明日からどうやって生きてきゃいいんだ」
「全部燃えちまった……」
「生きてりゃ何とでもなる。まだクソ狼どもは近くにいるぞ。気を抜くな!」
「サヴォイアの領主様は慈悲深い方じゃ、何とか考えてくださる」
状況に絶望するものも多いが、何とか皆を鼓舞しようとするものもいる。
村長も若くは無いだろうに、しっかりと村人を勇気づけている。
まだなんとかいけるか……。
その時、狼の遠吠えが響き渡る。
思いがけず近い。
皆の顔が歪む。
油断していた。
いつの間にか距離を詰められていたようだ。
重い体を無理やり起こし、杖を握りしめる。
アジールやザムザ、ケインその他武器を持つものは急ぎ戦闘態勢に入る。
「静かに。声を上げるな」
アジールの押し殺した声に、皆息を吞み、身を小さくする。
「――――――おぎゃあっ、おぎゃあっ」
赤子がぐずり始める。
慌てる母親に村人たちの視線が刺さる。
ザムザが声を上げる。
「ヴァインツ村の女子供を最後まで守り切ったことを、俺の誉れとさせてもらおう。ボナス……俺はここに残り時間を稼ぐ。お前の身を守る役割を最後まで果たせず申し訳ない」
「おい! なめるなよ、俺の村だ! 俺の村の赤子だぞ!! お前だけにいい格好させられるかよ!」
ザムザが声を上げたことで、それに続く村人が出始める。
こいつは本当に英雄ぽくなっていくな。
ケインやマイルズ、ミルも次々に声を上げる。
俺も腹を括ろう。
「マイルズ、それにみんなも。残ると声を上げてくれたのはありがたいが、お前達は避難誘導してくれ」
「いやだ! 俺もやってやる!」
「お前は武器を持っていないじゃないか。その分お前は子供を背負って、みんなをサヴォイアまで引っ張っていけ」
「…………わかった。いずれお前が家欲しくなった時、俺が建ててやるから! ……死ぬなよ!」
「お前は大工の腕はちょっとな……」
「うるさいわ!」
「まぁある程度引き付けるが、長くは持たんと思う。急げよ」
「すまん!」
黒狼たちの息遣いが聞こえてくる。
これだけ騒げば当然か。
マイルズや他の村人たちも急いで逃げだす。
残ったのはザムザとアジールにケインとミルだけだ。
「皆声をあげろ!」
「上等だ! おらああああああああ!」
「酒が飲みたいぞおおおおおお!」
「嫁さんがほしいいいいいい!」
「風呂に入りてええええ!」
何とか5人で黒狼を引き付けなくては。
とはいえ俺はザムザとは違う。
何も自分を犠牲に村人を救う、英雄になりたいわけでは無い。
それはもちろん、目撃者を減らしつつ、ぴんくの攻撃を効率的に行うためだ。
「くそっ! きたぞっ!」
アジールが既に交戦している。
だが、この暗闇では中々状況が把握できない。
足元で何かがうごめく。
黄色い目が見えた。
とにかく杖を振り回すが、いまいち距離感が掴めない。
荒い狼の息遣いが直ぐ近くで聞こえる。
突如涎まみれの牙が並ぶ、グロテスクな大きな口が暗闇からあらわれる。
すかさずザムザが割り込んできて、黒狼を蹴り飛ばしてくれた。
「ボナスは次の手を考えてくれ!」
「すまん、助かった!」
ダメだな。
暗くて黒狼が目で追えない。
邪魔にならないように戦闘は補助に回る。
ザムザとアジール、ケインにはまだ余裕を感じる。
今はぴんくをどう使うかに思考を集中しよう。
なるべく群れがまとまっているところに打ち込みたい。
だが、暗すぎて状況判断ができない。
一番の問題は、クロ達の場所が分からないことだ。
誤射なんてすると目も当てあてられない。
みな無事だろうか……。
クロとシロはまず大丈夫だろう。
ギゼラもシロがいれば逃げ切ることは可能だろう。
マリーが一番危ないかもしれない。
何しろ昨日の早朝から黒狼の相手をしているのだ。
そろそろ丸一日延々と戦い続けていることになる。
なんとしても生き伸びてほしい。
そもそも彼女には苦戦している姿は似つかわしくないのだ。
さっさと黒狼を蹴散らし、いつものように、無駄にかっこいい歩き方で、颯爽と現れてほしい。
そしてよくもこんなひどい仕事に巻き込んでくれたなと、文句を言ってやりたい。
それにしても状況把握が上手くできない。
せめて雨が降っていなければ、まだ黒狼たちの動きも見えて、あたりも付けられるのだが。
誤射なんてすると目も当てあてられない。
手詰まりなのか……。
「くっそっ、どうするんだ! ボナス!?」
――――地獄の鍋、目指すか。
確か雨が降るのは山の麓と沿岸部だけのはずだ。
地獄の鍋に向かえば雨も治まるはず。
そうすればぴんくで狙いをつけやすくもなる。
それに、いっそのことキダナケモを黒狼にぶつけてやればいい。
数で攻めてくる黒狼より、強力な個であるキダナケモの方がまだ相手をし慣れている。
どうせこのままここで耐えていてもどうにもならん。
「みんな、ここから南に移動しながら戦おう」
「南って、地獄の鍋に向かってどうするんだ!?」
ケインが余裕なく叫ぶ。
まぁ普通はそう思うよな。
何と説明したものやら……。
「――――いや、意外といい方法かもしれない」
アジールが顔にへばりついた髪をかきあげながら言う。
「このまま黒狼の群れを引っ張っていっても、正直なところサヴォイアの門が開くとは思えん。さらに下手をするとサヴォイアの街にまで被害が拡大する。そうなれば俺たちは責任を取らされ殺される可能性すらある。であれば、一か八か狼どもを連れて地獄の鍋に突っ込んで、キダナケモとの相打ちを狙う方が現実的だ」
「行くなら急ぐよ!」
全身血まみれで剣鉈を持ったミルは、肩で息をしながらもしっかりとした声で応答する。
もはやパン屋には見えない。
大振りのザムザに喰らいつこうとする黒狼を上手く処理している。
中々いいコンビネーションだ。
ザムザを最後尾に密集し、断続的にやってくる黒狼の攻撃をしのぎつつ、地獄の鍋目指す。
延々黒狼の息遣い、唸り声が追いかけてくる。
さらには遠吠えが響き渡る。
仲間達に位置を教えているのだろうか。
吐き気がする。
暫く行くと、雨も止み、徐々に星空も見えてきた。
まったく状況が改善されているわけでは無いが、心の奥底に少しだけ希望が湧いてくる。
さらに暗闇にも慣れてきたせいか、かなり周りの状況が見えるようになってきた。
皆黒狼と戦いながらもペースを落とさず走り続けている。
だがそれでも、やはり黒狼の方が早い。
相手にする黒狼の数は増える一方だ。
俺たちを中心に、扇形に黒狼の群れが広がっている様子が薄っすらと確認できる。
すでに、誰一人として余裕はない。
黒狼に噛みつかれた奴も多い。
ちなみに俺も一度足を食われかけている。
今は痛みもそれほど無いが感染症が怖い。
ケインは片腕を一部食いちぎられた。
出血もひどく、まともに武器を握れなくなっている。
アジールも何度か食いつかれてはいるが、防具が優秀なせいか大きなダメージは無さそうだ。
ミルはザムザを盾にして上手く戦っているせいか、唯一無傷ではある。
だが、持久力の限界にきているようで、涎を垂れ流し、ふらつきながら戦っている。
そしてザムザはもはや傷を負っていない場所が無い。
全身に黒狼の歯型が見られ、頭部が噛り付いたままの個所もある。
回復も全くしておらず、酷く流血しており、顔色も悪い。
だが目だけはひたすらギラギラと光らせている。
こいつはもうここで死ぬ気なのかもしれない。
シャツの胸ポケットを見る。
相棒と目が合う。
黒狼も随分うまい具合に引っ張れた。
視界も何とか確保できる。
――――――やるか。
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