第56話 黒狼襲来③
見張り台の上。
マリー達の戦況は思ったより悪い。
クロとシロはまぁ問題ない。
まずいのはマリーとギゼラだ。
マリーは相変わらず上手く戦ってはいる。
だが、当初に比べると明らかに精彩を欠いている。
あたりまえだ。
彼女は朝からずっと動きっぱなしなのだ。
さすがに疲労もあるだろう。
加えてこの雨だ。
さらには足場も悪い。
もう4人の周りはどこもかしこも黒狼の死体だらけだ。
そして一番の問題はギゼラだ。
何とかメイスを振り続け、黒狼の死体を量産してはいる。
だが、噛みついてきた黒狼はそのままぶら下げたままだ。
さらには若干フラフラしており、黒狼の死体に足をとられているようにも見える。
――――ギゼラが死んでしまうかもしれない。
ふとその可能性が頭に浮かび、血の気が引く。
仲間ができてうれしいと、本当に幸せそうな顔をして、笑いながら飯を作っていたギゼラを思い出す。
今まで興奮していた脳が一気に冷める。
体中から冷や汗が噴き出てくる。
思わずギゼラにすぐにこちらに戻れと叫びだしそうになる。
俺は一体何をしているんだ。
なんで村を救うとか訳の分からないことを頑張っているんだ。
そんな大した人間じゃないだろう。
ずいぶん長い間キダナケモの近くで暮らすうちに恐怖感が麻痺していたのだろうか。
それともクロとシロのあまりの強さに、仲間が死ぬという当たり前の可能性が、すっかり頭から抜け落ちていたのだろうか。
だが、何にしろ今取り乱すわけにはいかん。
少なくとも取り乱していることがバレてはいけない。
マリーもアジールもザムザも、皆ギリギリのところで頑張っている。
歯を食いしばり、鼻から血生臭い空気を思いっきり吸い込み、深呼吸する。
何とか気持ちを落ち着け、冷静になる。
状況は確実に限界へと近付いている。
だが、黒狼の群れが減っていることも確かだ。
無限にいるかと思われた黒狼だが、もう新たな黒狼が次々と供給されるような状況は終わったようだ。
とはいえ目の前を覆いつくす黒くうごめく黒狼を、このまま全て殺しつくすまでこの状況を維持できないだろう。
すくなくとも、前に出ている彼女たちが全員無事に戻ることは不可能だ。
「マリー! 撤退だ! ゆっくり時間を稼ぎながら戻ってきてくれ! ……村に火をつける!」
「……………………わかった」
「シロ! ギゼラをフォローしながら戻ってきてくれ! ギゼラ、絶対無理するなよ! みんなで一緒に帰るんだからな!」
「あははっ。分かったよ、ボナス。きついけどがんばる~!」
「ボナスも、無理しないでね」
次は村の中だ。
避難準備にシフトしなければ。
「ミル、村長、避難だ! 体の弱いものから東門を出発するんだ!」
「アジール! 避難誘導してくれ! ミルたちが全員村を出たら、次はマイルズだ!」
既に準備がある程度できていたおかげで、ミルたちは直ぐに村を出たようだ。
「次! マイルズ達だ! 急げ!」
アジールが東門で大声を張り上げている。
マイルズ達も、いま運んでいる黒狼を引っ張り抜くと、東門めがけて走っていく。
「ケイン! ザムザ! これから俺は村の家に火をつけて回る! もう少しだけ耐えてくれ」
「わかった!」
「がああああああああああっ!! 上等だああああああ!」
「アジール! マイルズ達の避難誘導が終わり次第ザムザの補助に入ってくれ」
ザムザはもう満身創痍だ。
相変わらず目をぎらつかせて、メイスを叩きつけてはいるものの、体中を黒狼に噛みつかれ、血を流している。
鬼特有の回復でさえ、追いついていない。
たった一人でよく耐えてはいるが、そろそろ限界だろう。
俺は見張り台の松明を持ち、各家に火をつけて回る。
雨は降っているが、元々乾燥した地域だ。
家の中から松明であぶると直ぐに火は広がる。
まさか自分がこんな放火魔のようなことをしてまわるとは思いもしなかった。
ついさきほどまで、皆普通に暮らしていた家だ。
家の中には生活の気配がまだ残っている。
何とも言えない罪悪感のようなものを押し殺しながら、村中に火をつけに走り回る。
「ボナス! 俺達も避難するぞ!」
「わかったケイン! 俺も避難する! ザムザとアジールも避難するんだ!」
「わかった!」
最後に見張り台へと駆け上がり、声を張り上げる。
「マリー! 俺たちは避難する! 村に火を放った! 東門は空けておくから、うまく黒狼を誘導しつつ駆け抜けてくれ! クロ、シロ、ギゼラ! みんな死ぬなよ!」
返事を待たずに見張り台を駆け下り、全力で東門へ走る。
既に黒狼が村に侵入しているようで、そこかしこで吠え声や悲鳴が聞こえる。
雨と炎、煙に村がおおわれる。
あまりの混沌具合に現実感が無くなり、呆然としてしまいそうになる。
ギゼラに貰った杖を握りしめ、なんとか足に力を入れ走る。
東門まで後100メートルと言う所で、横から黒狼が飛びかかってくる。
とっさに杖を振り抜く。
思ったより激しい衝撃に、手がしびれる。
致命傷にはならなかったようだが、何らかの損傷は与えられたようだ。
黒狼は地面でのたうち回っており、直ぐには立ち上がってこない。
軽くバランスのいい杖だから辛うじて反応できた。
ギゼラには改めて感謝しなくては。
「ボナス! 急げ。お前で最後だ!」
アジールとザムザが東門前で待っていてくれたようだ。
東門前にも既に何匹かの黒狼の死体が転がっている。
急がねば。
「悪い待たせた!」
3人で東門を抜け、駆け出す。
村ではいくつもの住居が、雨にも負けず激しく燃え始め、猛烈な煙が発生している。
何時の間にか日は沈み、燃え盛る村の家々が、不気味に暗闇を照らす。
これである程度鼻をごまかせるだろうし、あいつらも火は怖いはずだ。
多少の時間稼ぎにはなるだろう。
マリー達4人も心配だが、逃げに徹すれば後れを取るような奴らではないはずだ。
ケイン達は意外と先に進んでいるようだ。
何とか追いつくように走る。
ザムザがさりげなく俺の後ろを走ってくれている。
「ザムザ。お前は凄い鬼だ」
「ボナス。俺は今まで戦いの中でこれほど誇らしい気持ちになれたことはなかった。やはりお前についてきたのは正解だった。感謝している」
「まぁ、最後まできっちり生き残って、みんなで飯を食って酒飲んで称えあおうぜ」
「ああ、もちろんだ」
あたりは既に真っ暗だ。
しばらく走っているとケイン達に追いつく。
すぐ前にマイルズ達、ミル達も確認できる。
ミル達は赤子や老人もいるにもかかわらず、しっかりと距離を稼いでくれたようだ。
彼女に任せて本当に良かった。
黒狼の群れからはある程度距離を稼げたと思いたい。
だが、後ろの暗闇からは定期的に黒狼の遠吠えが聞こえる。
しかもそれらは徐々に近くなっている。
背後の暗闇から、いつ興奮した犬の呼吸音や吠え声が聞こえてもおかしくない気がしてくる。
やや弱まってはいるが、雨が不快だ。
いつもは美しい星空に勇気づけられたりもするのだが、この雨空が夜の暗闇をより深いものにしている。
今のところ村からの脱出は誰も欠けることなく、成功と言えるだろう。
だがそれでも、不安は増すばかりだ……。
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