第135話 寄り道

 試飲という名の飲み会を無事シラフのまま終えた俺は、メナスからコハクを引っぺがして露店へと向かう。

 メナスはいやだいやだと子供のように抵抗していたが、いざコハクが膝から降りてしまうと、スッといつもの大人っぽいメナスに戻っていた。


「お前なんか変なもの出してないよな?」

「んなぅ~?」

「わたしはメナスの気持ち、わかるけどね」

「しーろー?」

「よくわからんけど、コハク、俺達強く生きて行こうな……」

「んにゃっ!」

「ちょっと露店へ戻る前に、仕立屋へ寄っていこう。エリザベスの生地がどうなってるか聞いてみたい。ついでにクロとシロも欲しい物あれば買っといてね」

「あたしは今日中に仕入れておきたい調味料があるから、一旦ここまでで。また露店で落ち合おう」

「ぐぎゃ~う~!」

「うん」

「わかった。それじゃ、また後でな~」


 ミルと別れ、クロとシロの三人で久しぶりにトマスの店を訪れると、さっそくいつもと少し違う点に気づく。

 以前からある店舗看板のすぐ横に、新しく誇らしげなトカゲの絵柄が描かれているのだ。

 言うまでもなくボナス商会の紋章だ。


「おいぴんく、お前の紋章がこんなところにもあるぞ」

「かっこいいね、ぴんく」

「ぐぎゃう! ぴんくー!」


 ぴんくも胸ポケットから顔を出し、自分自身よりもはるかに大きく描かれた紋章を満足そうに見つめている。

 ボナス商会との関係を明示する意味もあるだろうが、俺の予想では単にぴんくを描きたかった可能性が高い。

 仕立屋の連中は、皆ぴんくのことを妙に気に入っており、いつもやたらと世話を焼きたがるのだ。

 長女のロミナいわく、ポケットに住みついているというところが、服屋として琴線に触れるものがあるらしい。

 確かにそう聞くと妖精のような振る舞いにも思えるので、何となくロマンを感じる。

 実際、アジトにいる時はよくポケットの外をウロウロしているので、住み着いているというほどでもないんだけどな……。

 あらためて店構えを眺めていると、大きく開け放たれた扉の奥でちょうど顔を上げたロミナと目が合う。


「まぁ! クロさん、シロさんお久しぶりです! ぜひ寄っていってください! あとボナスさんも」

「ひさしぶり」

「もはや俺はオマケだな……久しぶり、んじゃ中入らせてもらうわ」

「ぐぎゃぅ~ぎゃう…………ろーみーなー!」

「えっ……今、私の名前……うわぁ! クロさーん!」

「ぎゃーぅ!」


 俺達を招き入れようと声をかけてきたロミナだが、クロに名前を呼ばれるや否や、わざわざ自分から外へと飛び出し、クロを抱え上げるようにして抱き着く。

 サヴォイアへ戻ってから何度か見たような光景だ。

 クロに名前を呼ばれた連中はだいたいこうなるらしい。

 これから露店へ戻りメラニーの反応を見るのが楽しみだ。

 ヴァインツ村の件が片付いてから、既にメラニーとは何度か会ってはいるが、彼女はまだクロが名前を呼べるようになったことを知らない。

 クロにもこだわりがあるようで、メラニーと綺麗に発音できるよう、わざわざ今日までこっそり頑張っていた。

 最初に彼女が協力してくれたからこそ、クロがここまで喋れるようになったのだ。

 そんなメラニーが自分の名前を呼ばれると、果たしてどんな反応をするだろう。


「お久しぶりです、ボナスさん。色々と相談したいことが溜まっておりましてな。ぜひ中へお入りください」

「ああ、トマス。ひさしぶり! メアリにはうちの露店のことでずいぶんと協力してもらって……、なんだか申し訳ないね。本当に助かってるよ」

「いえいえ、もともと娘がやりたがった事。それに彼女にとっても、これ以上ないくらい良い経験になったでしょう」

「そう言ってもらえるとありがたいよ」


 トマスと店内へ入りながら話していると、ぴんくがポケットから俺の頭の上へ移動する。

 一瞬嫌なことを思い出しそうになったが、今日のぴんくはいたって快調だ。

 もうあの悲劇は繰り返さないだろう。


「おや? ぴんくさんもお変わりないようでなによりです。おもての紋章は見ていただけましたかな? 実は刺繍も用意しまして――ええ、これです」

「異様に手が込んでいて……良く出来てるなぁ。このままぬいぐるみでも作り出しそうな勢いだな……」

「ぬいぐるみ……?」

「ああ、いやまぁ気にしないでくれ」

「おや……これはまた大きくなりましたね、えぇっと……コハクという名前でしたか。それにしてもこれほど大きいのに、すぐ横に来るまで気が付きませんでした。毛色のせいでしょうか……ぉぉっ……なんと素晴らしい毛並み……これはこれは……」

「んにゃうん」


 最近、コハクはよくこうやって、静かに気配を消して移動し、思わぬ場所から突然現れたりするのだ。

 アジトでも、気が付くと脇の下からぬっと顔を出していたりするので、皆驚かされることも多い。

 漆黒の体毛のせいもあるだろうが、それでも中型犬ほどのおおきさがあるのだ、何か種族的な特性でもあるのかもしれない。

 暗闇の中不意に琥珀色の瞳を浮かび上がらせ、俺たちを楽し気に驚かせるその姿は、コハクの母親のことを思い起こさせる。

 トマスはそんなコハクを恐る恐る撫でつつ、その毛並みにひたすら感嘆している。


「毛並みと言えば、例の白い獣毛ですが、いくつか試作を作ってみました。――――こちらです」

「おおっ、クロとシロのかな? おーい、クロ、シロ、これエリザベスの服だってさ! それで……俺のも何かあったりは?」

「ギゼラさん、ミルさんの分ももちろん用意しておりますので、後ほどお持ち帰りください。ボナスさんの分は――――こちらですね。未だ染色はうまくいっておりませんが、別の獣毛とミックスする混紡が、非常にうまくいきましてな。ひとまず簡易的なローブを作ってみましたので、日除けとしてご使用いただき、ご感想お教えください」

「なるほどね~。エリザベスの毛とうまく混ぜると発色が良く感じるんだな。軽いのに意外と生地はしっかりしてるし、これはいいね」


 クロとシロは白いニット生地の服を持って、ロミナと連れ立って楽しそうに奥へと引っ込んでいく。

 試着してみるのだろう。

 いつのまにかコハクもそちらの方へ混ざっている。

 トマスは少し残念そうだが、大きくなったコハクの姿にロミナが目を丸くして喜んでいる。

 ちなみに俺のローブは柔らかい色味のライトベージュで、クロ達の服のように柔らかく編まれたものとは違い、織機でしっかりと打ち込まれたものだ。

 薄く軽いが薄っすらと光沢もあり高級感がある。

 エリザベスの毛を六割程度使っているようなので、かなりの強度、耐久性は見込めるだろう。


「うわっ、かっるいなぁ~、いいなこれ! いやぁ、この生地でシャツも欲しい。色味的に荒野で身を隠すのにも良さそうだ。トマス、俺とザムザの分、シャツを作ってもらえる?」

「ええ、もちろん。ちなみに、既に私の分は作ってみましたが……たいへん素晴らしいものができました」

「作ったのかよ!」

「混ぜた獣毛も非常に良いものですから、汗をかいても蒸れにくいですし、体を冷やしません。汚れにくく嫌な匂いも付きにくいのでとても管理が楽です。灰と油で洗いますと縮みますが、白獣毛のほうと混ぜているので、水洗いもしくはブラッシングのみで手入れは十分でしょうな」

「いいね、これからも楽しみだわ」

「つきましては……また白獣毛の補充をお願いしたいのですが……」

「ああ、わかったよ。かなりの量溜まっていたと思うから、明日にでも持ってくるよ」

「ありがとうございます!」

「いろいろ無料で作ってもらってるし、むしろトマスの店的に大丈夫なの?」

「ええ、ボナス商会と関わりを持つことになってから、たいへん多くの方々とかかわりを持つようになりましてな。最近ではラウラ様や商人のメナスさんなどにもご贔屓いただけるようになり、忙しくはなりましたが、金額を気にせず仕入れができるようになりました」

「それならば良かった。じゃんじゃん儲けてくれれば俺も嬉しいよ。ラウラとメナスで思い出したけど、彼女達だけにはこの毛を使った商品を提供してくれて構わないから」

「承知しました。お二人ともたいへん喜ばれると思いますよ。ずいぶん商品化を心待ちにしておられましたから。ですが……ハジムラドさんはどうします?」

「そう言えば服についてはあいつが一番うるさいんだった……。まぁ、頼まれれば作ってやって……しっかりぼったくってやってくれ」


 ただ、あいつとお揃いになるのは勘弁してほしいなぁ。

 デザインやカラーバリエーションを増やしてもらわねば。

 しかしよく考えればザムザとお揃いのシャツも、公開処刑でもされているような気持ちになりそうだが……まぁいまさらか。


「ぼーなーすー!」

「おおっ! 二人とも、かっわいいなぁ~!」

「えへへっ」

「きゃ~ぅ!」


 クロとシロが着替え終えて出てきた。

 二人とも同じ白いニット生地のノースリーブだが、クロの方だけワンピースになっている。

 体格の差もあり、ちょうど使用した生地面積的には同じくらいだろうか。

 二人とも本当に良く似合っている。

 クロが俺の名前を呼びつつ元気に飛び跳ねるたび、たっぷりとした黒い髪が白いニットの上でふんわりと揺れる。

 この上なく清楚でありつつもどこか妖艶な雰囲気もある。

 この姿のまま何かのCMに起用できそうだな。

 シロは正にその名の通り、白い服が最高に似合う。

 体へと柔らかく吸いつくように誂えられたニットは、彼女の類まれな身体をこれでもかと強調する。

 さらに絹糸のような白髪との相乗効果により、瑞々しい褐色の肌と美しい青い瞳が抜群に引き立つ。

 見慣れたはずの二人だが、こうやって着飾り、ポーズを決めてこちらへと笑顔を向けられると、まるで映画や雑誌の世界の出来事でも見せられているような不思議な気持ちになる。

 二人の横で胸を張り、妙に自慢げな顔をしているロミナが、辛うじて目の前の風景に現実感を与えている。


「んなぅん~? んにゃ~?」

「ああ、コハクはエリザベスの匂いがわかるのかな? それにしても二人ともほんと良く似合ってるなぁ。せっかくだからそのままの格好で露店へ行こうか。戻ったらみんなびっくりするんじゃないか? はやくギゼラやミルにも渡してあげたいな」

「分かってはいましたが……お二人とも大変よくお似合いですな」

「私が責任をもって作りましたからね! お二人の寸法も完ぺきなはずです。継ぎ目もありませんから、シルエットも着心地もとてもいいはずですよ。この細い網目をひとつづつ拾い上げて繋げるのは骨が折れましたが……その甲斐はあったと思いますね! ボナスさん、お父様、もっとお二人へ言うことはございませんの? これほど美しいのに……まるで言葉が足りていません!」

「ロミナ、ありがとうね。これ、とってもきもちいいよ」

「ぐぎゃうぎゃう~! ろーみなー!」

「へぇ~、これロミナがデザインと制作やったのかぁ。まだ若いのに、色々と凄いな」

「あ、ありがとうございます……んふふっ」


 確かによく見ると、単に意匠的に美しいだけでなく、着心地もよさそうだ。

 それにこのデザインであれば、クロやシロが全力で動き回ったとしても邪魔にはならないだろう。

 よく考えられている。


「刃物はまず通りませんし、汚れにも恐ろしく強いですから、ぜひ狩りなどにも使ってくださいね」

「わ~、ほんとだ」

「ぎゃうぐぎゃう」


 シロが表情も変えずに自分の体へナイフを走らせている。

 鬼達は自身の身体にかなり横着で、唐突にこういったことをするので心臓に悪い。

 ただロミナの言う通り、強く押し当てたナイフの刃は全く通る気配がない。


「こわいこわい! って本当に防刃性高いな……俺のもある程度は期待できるのかな?」

「もちろんです。6割ほどは白獣毛を使用していますからね。それに加えて……、これはどういって良いのかわかりませんが、どうも衝撃を吸収する性質まであるようでして……あと熱も……」

「うん? それは……このペラペラの布でも衝撃や熱を……?」

「ええ、もちろんまったくということはありませんが、少なくともアイロンが効かずスーツが作れない程度には熱にも圧力にも強いですね。これは常識的に考えるのならばありえないことです。なにか私どもの理解を超えた力が無ければこうはならないでしょうな……所謂魔法具のような……」

「あ、ほんとだわ。叩くとその部分がちょっと発熱するな……これはいよいよ一般には売れんな。やっぱこの繊維の使用はボナス商会の関係者のみにしておこう。もちろんトマス達が自分用の服を作るのは全然かまわないが、その機能については秘密にしておいてくれ」

「わかりました。ただ……製作にかかわった者たちはどうしましょうか? 既に口止めはしておりますが、この生地を欲しがりまして……それを断るのもどうかと……」

「ああ……、そうだなぁ、その連中と家族までは構わない。自分が製造にかかわったものがまったく手に入らないというのも、なんだか理不尽に思えるだろうしな。こっそり横領されて変な所へ流れていくよりはいい。自分たちが使う分までと限定しておけば、それなりに優越感も満たされるだろう。一度関係者全員へ挨拶に行くよ。まぁでも、いずれはバレそうだなぁ……ややこしいことにならなければいいんだけど。ラウラにも一度相談しておくか……」


 思った以上にとんでもない装備だった。

 今までも寝具やクッションのワタとしては使っていたが、まったく気が付かなかった。

 いつまでもフカフカしたままだとは思っていたけれど、そんな性能もあったとは……。

 思い返せばエリザベスはあんなに毛まみれなのに日中でも大して暑そうにしていないし、なにか熱に関しても特別な性質があるのかもしれないな。

 それに、昔エリザベスと戦闘になった際も、シロの金棒でボコボコに殴られても全く効いている様子が無かったもんな。

 先日の戦いの際にこれを装備していれば、ザムザもあれ程の傷を負わなかったかもしれないし、魔人にもあれほど追い詰められなかったかもしれない。

 これは早急に全員分のローブも作っておいた方が良いな。

 メナスやラウラへも伝えておこう。

 こういった性能があるのであれば、彼女達にもなるべく早く手に入れてもらいたい。

 しかし、こんなぺらっぺらの布なのに、防刃に加え耐衝撃、耐熱とは……色々とやっばいなぁ。

 あまりに性能が良すぎると、色々と心配事も増えはするが、それでもクロやシロがより可愛く、そして皆が少しでも安全になったと考えれば素直に喜ばしい。

 早く露店で待つみんなにも届けてあげよう。

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