第136話 露店①

 ミシャール市場の一番奥へ向かって歩いて行くと、俺達の店、ボナス商会の露店が見えてくる。

 かつてはあまり人通りもなく、目立たない奥まった場所だった。

 妙な中年が妙な小鬼を連れ、よくわからない飲み物を自信なさげに売っているだけの、小さな露店だったはずだが……、もうその面影はほとんどない。

 今では街の人々の楽し気な話し声の絶えない、この市場の中でも最も活気あふれる場所となっている。

 そして俺達がヴァインツ村へ行っている間に、さらにその傾向は強まったようだ。

 まずは客席自体があれからさらに増えたようで、すっかり市場の一角を占拠してしまっている。

 客席上部に設けられた簡易的な日除けも、より大きく、そしてしっかりとしたものに付け替えられている。

 ピンと張った布地も高級な厚手の生地が使われている。

 屋台の色味と合わせてくれたのだろう、緑と白の大きなストライプは清潔感があり涼し気で、淡褐色の街並みに良く映える。


「メアリ、これ――生地だけでも結構かかったんじゃないか?」

「いえいえ大丈夫ですよ、ボナスさん。うちで余らせていた布を譲ってもらったので、かなり安く済んでいるんです。それに実家の方も在庫が処分できて助かっていますから」

「いやぁ、それでもテーブルクロスやナプキンなんかも……すべての席へきっちり用意されているし、色味も綺麗に揃えて……おまけにそのすべてにぴんくの刺繍までしてる。べつに店の収益でやる分にはまったく構わないんだけど、さすがに赤字になってんじゃないの?」

「まさか! ええっと――――これ帳簿です」

「おおっ、そんなのつけてたのか。さすがに実家が商売やってるだけあってしっかりしてるな。……って、ほんとうに儲かってるな。うわっ、ミルのお菓子ってこんな値段ついてたのか……」

「もちろんですよ! コーヒーやチョコレートだって夕方まで残っていることはまずありませんからね。最近の収益はほぼ固定ですよ。コーヒーも一日に提供する予定の量は決まってますから。席料も少し値上げしました。半日くらい座ってる人も割といますからね。正直値段を倍にしても十分成立しますよ?」

「ああ、爺さん連中は延々座ってるからな。しかし値段倍はちょっとな……」

「最近はおば様方もよく来られるんですよ」

「ねぇメアリ、これはあちらの男性の席へ運べばいいのかしら?」

「ああ、姉さん、先にあちらのご婦人へ」


 どうやら俺がいなくても、露店は十分に繁盛していたようだ。

 店を出る際に一緒について来たロミナが、なぜか当たり前のような顔で露店を手伝っている。


「ロミナはコーヒー飲むだけかと思ってたんだけど……えらく手慣れてるな」

「ボナスさん、この服もなかなか可愛いでしょう!?」

「あ、ああ……」


 姉妹揃って同じシャツ地のワンピースを着ており、ぴんくのロゴが可愛らしく刺繍されている。

 この店の制服らしきものを勝手にでっち上げて、楽しんでいるようだ。

 二人ともさすが仕立屋だけあって趣味が良く、日除けやテーブルセットとも合うように、しっかりとコーディネートされている。

 そういった姉妹たちの細かな気遣いのもと、元々それなりに品の良いミシャールの市場の中でも、この一角だけは気後れしてしまいそうなほど洗練された佇まいの店となっている。


「店の雰囲気もずいぶん洗練されたなぁ。ここでコーヒー飲んでるだけでそれなりに洒落て見えそうだ。クロとシロは当然としても、なんだかオスカーでさえそれなりに見えてくる」

「今日はクロさんが来てから、メラニーさん、なんだかとっても嬉しそうですね」

「ああ、そりゃまぁな……」


 俺達が市場へ到着した時には、ミルと二人でザムザを挟み込み、何とも微妙な空気を醸し出していたメラニーだったが、クロから名前を呼ばれるとみるみる表情を崩し、目に涙を浮かべクロに抱き着いていた。

 今は少し落ち着いて、客席の一番端っこ、メラニーの屋台のベンチへクロと二人横並びに腰掛け、コーヒーを飲みながら幸せそうになにか話しをしている。

 なんだかその場所だけ、俺達がサヴォイアへ来た当初と変わらない、のんびりとした空気を感じ、何とも言えない懐かしさを覚える。

 メラニーは俺の露店の手伝いだけでなく、このミシャール市場の中でボナス商会の居場所を守り続けてくれている。

 こういうことは単に金や力があるだけでは無理なのだ。

 彼女にはいくら感謝してもしきれない。

 俺にとってはメナスの次に頭の上がらない人物だ。


「それはともかく、ロミナまで当たり前のように店を手伝ってくれてるけど……いろいろ大丈夫?」

「ええ、もちろんです! 意外とこれ、ストレス発散に良いんですよ? それにこのお店に来る方々はお洒落な方が多いですし、勉強にもなるのです」

「確かに一人で部屋に閉じこもってると色々ストレスもたまりそうだもんなぁ。あっ、そういえばミル! 服預かってきたぞ~!」


 ちなみにギゼラは自宅で鍛冶作業中だ。

 今日は泊りがけで作業するらしい。

 アジトでも日々の手入れができるような簡易的な作業場は用意するつもりだが、本格的に作業するのであれば、仕入れなども考えてサヴォイアで作業する方が効率が良いらしい。

 商売もそうだが、結局サヴォイアとヴァインツ村を行ったり来たりの生活はしばらく続きそうだ。

 これはこれで飽きもなくてちょうどいいのかもしれない。


「これはいいね! さすがエリザベスの毛だ。ここで着替えるわけにもいかないから、またアジトへ戻ったら着てみるよ。楽しみだねぇ~。この服もロミナが作ってくれたんだろ? あんたが作った服は趣味もいいし、着心地も間違いない。立派な職人だよ」

「あ、ありがとうございます!」

「ん? あれは……ラウラかな?」

「なんだか煤けてるねぇ。おーいラウラ! お土産あるよー!」

「あっ! ボナス様、ミル様! お土産!?」


 ミルへと上着を渡していると、ラウラが雑踏の中からこちらへと歩いてくるのが見えた。

 うつむき気味に眉を寄せ、少しずり落ちた眼鏡に午後の日差しが変な具合に反射しており、何ともやさぐれた雰囲気を醸し出している。

 普段はふんわりした雰囲気の彼女だが、今日は妙な迫力があり少し怖い。

 ついさっき、彼女のいないところでパウンドケーキを楽しんだ罪悪感が、そう感じさせるのかもしれない。

 それでも、そう感じたのもほんの一瞬で、ミルのお土産という言葉を聞いた途端に、ラウラは顔を跳ね上げ目を輝かせる。


「これさっき試食した残りだけど、もしラウラに会うことがあればと思ってとっといたんだよ」

「うぅっ、ミル様! 大好き! あっ! コハクちゃ~ん!」

「んにゃうん~!」

「なんかさっきまで険しい顔をしていたみたいだけど……一気にグニャグニャになったな。仕事忙しいの?」

「ええ、まぁそうですねぇ……。折角ですし、少し座ってお話ししましょうか。よいしょっと――――」


 そう言って顔をとろけさせたラウラは、それなりに重いはずのコハクを軽々と抱き上げる。

 普段から抱き慣れているせいもあるが、アジトでの生活でかなり力もついたようだ。

 さきほど妙に迫力を感じたのも、体幹が強くなり、歩く姿勢が良くなったせいなのかもしれない。

 スタスタと客席へ歩み寄る彼女の背中になんだか頼もしさを感じる。

 ヴァインツ村の復興で一番変わったのは間違いなく彼女だろう。


「あまり長居は出来ないのですが、コーヒー一杯にケーキ位はいいですよね! ……あれ? フンフン……、あれっ、なんだかコハクちゃんから別の女の匂いがしますよ!?」

「ああ……、メナスだろうな」

「ああ! ええっと、お酒の試飲でしたっけ?」

「そうそう、本当はラウラも参加できればよかったんだが……」

「さすがに飲んでしまうと業務に支障をきたしますからね。それに味はもうわかってますから」

「はいどうぞ、コーヒーと――ケーキです。そういえばラウラ様、今クロさん達が着ているニット、ラウラ様にもお作りできるようになりましたから、よろしければ――」

「まぁ! エリザベスさんのですね! わぁ……お二人ともとっても素敵ですねぇ。明日、いえ明後日にはロミナ様のお店にお邪魔しますね!」

「お待ちしております!」


 ラウラはそう言うとロミナが持ってきたケーキを早速パクつきはじめる。

 もちろん膝にはコハクを乗せたまま。

 コハクも彼女の膝には慣れ切っているので、大きな体を無防備にひっくり返して、器用にバランスを取りながら、ケーキを運ぶ腕へしきりにじゃれついている。

 何となく彼女の至福の時間を邪魔するのも悪い気がして、ぼんやりとその様子を眺めていると、客席の後ろの方からオスカーと店の常連連中の話し声が聞こえてくる。

 どうやら魔人と対峙した際の話をしているようだ。

 皆には蜂の毒やぴんくのことについては言うなと伝えた結果、その内容はずいぶん変わったものになっており、俺とハジムラド、オスカーの三人で熱い戦いを繰り広げ、死闘の末魔人を倒したことになっている。

 特にとどめを刺したオスカーは、いつのまにか魔人殺しの大工などと呼ばれているようだ。

 本人は満更でもなさそうな顔をしているが、こいつが身内だと思うとたいへん恥ずかしい。

 話の内容については敢えて詳しく聞かないようにしているのだが、漏れ聞こえてくる内容から察するに、最終的にオスカーが作った扉で魔人に止めを刺したことになっているようだ。

 なるほど、意味が分からない……。

 果たしてだれがそんな話を信じるのかと思うのだが、ボナス商会の連中のことだからとて意外と真に受けている奴もいるようだから恐ろしい。

 そうしてなぜかオスカーは、ただひたすらに自分の作った扉の出来の良さを自慢して歩いている。

 こいつもなんだかんだ相当に頭がおかしい。


「魔人ですか……なかなか頭の痛い話です。もしかすると、タミル帝国とは戦争になるかもしれませんね」

「うっわぁ……、そこまでややこしい話になってんの? せっかくヴァインツ村も復興したところなのに……ってあれ? ああ、魔法ね」


 ラウラはいつのまにかケーキを食べ終えたようだ。

 彼女にもオスカー達の馬鹿でかい戯言が漏れ聞こえたのだろう。

 膝の上にひっくり返っていたコハクを両手で抱きなおし、少しくたびれた表情で意外と深刻な話を始める。

 彼女が話し始めると同時に、周囲の音が唐突に消えたので、思わず周囲を見回すが、特に変わった様子はない。

 どうやら周囲に会話が聞こえないよう、魔法で何かしているようだ。


「ええ、敵から身を隠すのに使えと、アジトの師匠方に教えていただきましたが、色々便利ですよね」

「なるほどね……相変わらず器用だな」

「師匠方からすると、魔法もろくに使えない出来の悪い生徒でしょうけどね……ふふふっ。ああ~あっ、早くアジトで休みたいです……」


 彼女は遠くアジトの方向を眩しそうに眺める。

 師匠とは蜂なのか鳥なのか、それともニーチェなのかはよく分からないが、彼女も今ではすっかりとアジトの一員に染まっていることは間違いない。


「しかし戦争とはあまりに穏やかじゃないな……」

「もちろん最悪の場合は、ということです。実際戦争になるとしても、そこへ至るまでにもなんだかんだと一年以上はかかるでしょう」

「意外とのんびりとしているような……戦争ってそんなもんなの?」

「周辺国家の手前もありますし、余りに乱暴すぎるやり方をしていると、同盟も組んでもらえなくなりますからね。それに王国は既に別の国とも戦争中ですし、停戦協議中の国もあります。何よりタミル帝国としても今すぐ我が国と全面戦争までしたいわけでも無いでしょうから……多分ですが」

「一応魔人と帝国の関係は明確になったの?」

「実際は間違いなく関与しているのですが、はっきりと証明するのは難しく……。父様が急ぎ戻られるようなので、実際に事態が動き出すのはそれからでしょうね。戻られる際に、中央から専門の調査団や交渉人を連れてくる手はずにはなっているそうですから、最終的にはサヴォイアというよりも国が諸々判断することでしょうしね」

「なんにしても、この街やヴァインツ村が戦争に巻き込まれるのは嫌だなぁ……」


 これから酒蔵を建設しようかという時に、戦争だなんて勘弁してほしい。

 別にレナス王国に忠誠を誓っているわけではないが、サヴォイアには思い入れはある。

 もし大規模な戦争になるようなことがあれば、俺達はアジトへ引っ込むことになりそうだが、できる範囲では協力してやりたい。


「そうはなりませんよ……と言いたいところですが、今回はどうも帝国の意図が分からなくって……。領主の娘としてこう言うのもなんですが、サヴォイアは特別有用な資源もありませんし、モンスターが多く、地獄の鍋という危険地帯にも隣接しています。そんな場所をわざわざ戦争までして確保したいとは思えないのですが……。その割にはかなり強引かつ明確に喧嘩を売ってきましたからね」

「なんだか魔人も俺のことも知っているようだったし、色々不安になるな。確か跡目争いで順位が入れ替わったとかで、色々と国の方針が変わってるみたいだよね。それもあってメナス達も帝国領へはしばらく戻っていないようだけど、一体どうなることやら……」

「帝国内での権力構造が急激に変わっているようですね。ボナスさんも十分気を付けてくださいね」

「ああ、最近はクロとシロどっちかが一緒にいるようにしてくれてるよ」

「あのお二人がいれば安心ですね。まぁ来週にはお父様やマリーも戻ってきますから、状況は好転すると思いたいです」

「おおっ、そういえば領主様が帰ってくるということは、マリーも帰ってくるということか。それは色々と楽しみだなぁ」

「お父様と一緒に行動されて、さぞお疲れになったでしょうから……、マリーさんにはゆっくりと休暇を楽しんでいただきたいですね」

「酒造りも彼女にも参加してもらって、ゆっくり楽しみたいところだけど、戦争が起きると全部無駄になりそうで……」

「それは大丈夫じゃないでしょうか。もちろん戦争となるとどうなるかわかりませんが、あくまで最悪の想定ですし、もし戦争になったとしてもまぁ……サヴォイアやヴァインツ村へ攻め入られるようなことにはなりませんよ。私達の圧勝でしょうからね。それに両国緊張状態の今は、むしろヴァインツ村などへ下手にちょっかいは出さないでしょうから、むしろ安全だと思いますよ」

「そんなレナス王国って強いの? そしてそれを分かった上で帝国は……何をしたいんだろ」

「レナス王国の軍は、多くの魔法使いが率いていますし、通常の兵士達も近隣諸国の中では最強と言われていますから。帝国は実際……国益として戦争するつもりはないのでしょう。内部派閥の利害関係、力関係の調整のための戦争でしょうね。あの帝国はひとつの国家としてやっていくには大きくなりすぎたのですよ。……まったく迷惑な話です」


 思った以上にダメな国だった。

 いやまぁラウラの言う通り、落ち目の帝国なんて大体そんなものか。

 しかしレナス王国は血の気が多いとは聞いていたが、やはり軍隊も相当に強いのか。

 まぁラウラを見ていても思うが、魔法使いが相当に反則臭いよな。

 そういえばマリーも元軍人だったな……。


「そういえば来週は、隣領の商人も挨拶に来るようですねぇ……本当に今さらですが、戦争の可能性がある以上、あまり無碍にも出来ないのが腹立たしいですね」

「なんだか色々サヴォイアも慌ただしくなりそうだね。ラウラも結構大変じゃない? しばらくアジトへは――――」

「行きますよ、必ず! 何があっても! 今はコハクちゃんとお菓子で精神の安定を取り戻せていますけれども、もう私は限界なのです!」

「お、お疲れ様……でも領主様が戻ってきてから、まとめてゆっくりとしたほうが――」

「昨日も夢の中にニーチェさん達が出てきて、はやくこっちにおいでって手招きしてたもん!」


 ラウラは俺が思っている以上にお疲れのようだ。

 まるで中毒患者のようにコハクの首元に顔を埋め、深呼吸しつつ心を落ち着けている。

 遊びに来た際は、なにか美味しい物でも用意してあげよう。

 これ以上彼女を刺激してはいけない。

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