第53話 フィールドワーク

 それから4日経った。

 相変わらず黒狼達は断続的に村を襲いに来る。

 そのたびに仲間たちが蹴散らしてはいるが、数を減らしきるような展開には持ち込めない。

 それどころか、むしろ日を追うごとにその数は増加している気さえする。

 最初簡単に思えた黒狼の掃討だが、なかなかうまくいかない。

 一時は明るくなりかけた村人たちも、長引くこの状況にいらだち、不安そうにしている。

 良くない流れだ。

 マリーやアジールも、なかなか良い解決策を見いだせないようだ。

 徐々にだが、動きや判断に精彩さを欠いてきている気がする。


 


「よし、ザムザ次の家に行くぞ」

「こんなことに意味はあるのか?」

「さぁ? 無いかもしれないが、他にすることも無いだろ」


 ザムザは渋い顔をしつつも黙って俺についてくる。

 ちなみに何の役割も無い俺は、この4日間に2つのことだけをしていた。

 ひとつは村の配置図作りだ。

 大して広い村でもないので、それなりに正確な配置図が出来た。

 ちなみに用紙にはこの世界に放り出された当初、鞄に入れていた図面の裏を利用した。

 久しぶりにしっかりとした紙へ鉛筆を滑らせると、文化的な成熟に直接手を触れてるような気持ちになり、痺れるような快感を感じた。

 この品質の紙や鉛筆を手に入れることは二度と出来ないと思うと、残念でならない。

 

 作業中は誰にも関心を持たれなかった配置図作りだが、完成すると皆に好評だった。

 柵の破損状況、補修状況などもこれを使うと把握しやすい。

 村の周囲の地形情報も書き込み、マリー達の戦闘の組み立てにも役に立てているようだ。

 もちろん家の戸数や状況も正確にわかる。

 そしてもうひとつが、今まさにザムザとやっている名簿の作成だ。

 ちなみに文字について、ある程度読むことはできるのだが、書くことはまだうまくできない。

 ザムザは意外なことに文字が書ける。

 こいつの最大の個性は、学習意欲が異常に高いことなのかもしれない。

 確かに話に聞く普通の鬼男ならば、弱い人間から何かを吸収しようという発想には至らないだろう。

 そういうわけで、ザムザに文字を書いてもらいつつ、名簿の作成を進めている。

 事前に作成した配置図のおかげで、全世帯漏れなく把握していける。

 あと3軒。

 それで全戸回り終えられる。

 まぁ35軒しかないかったので、大して難しい話ではない。

 朝から晩まで一軒ずつ周り、住民の話を延々話を聞くだけだ。


「――――あれ? 隣のトマスさんは独身じゃなかった?」

「いや~トマスは昔っから女好きでなぁ。あいつあほな癖に直ぐ嘘ついて――――」


 おかげで村民の細かな人間関係、それこそ知りたくも無い不倫関係まで把握するに至った。

 全員と個別に話をしたおかげか、ほとんどの村民の名前と顔、家族関係や職業、性病の有無まで覚えてしまった。

 配置図にこの情報を書き加えれば、この村の情報はおおむね把握できる。

 遥か昔大学時代にやったフィールドワークの体験が初めて役に立ったな。

 20年ぶりに指導してくれた指導教官の疲れ切った様子を思い出す。

 生きていれば70代か……まさかあの教授も俺が異世界でフィールドワークしてるとは思うまい。

 

 

 皆はその間、ザムザに俺の護衛を任せ、黒狼を追いかけまわしている。

 マリーも罠を使うなど、色々な戦術を試してはいるようだが、目だった成果は出ていないようだ。


 

 5日目はこの状況を打破するために、早朝からマリーがひとり、偵察へ出かけた。

 昼頃になり、珍しくぽつぽつと雨が降ってくる。

 みんなで雨を使って頭を洗えないか試みていると、偵察に出ていたマリーが、珍しく焦った様子で俺たちの前に駆け込んでくる。



「――――まずいことになった。黒狼達が本格的な襲撃を仕掛けてくる」

「今までとは何か違うの?」


 ギゼラが水と体を拭く布を手渡しながら聞く。

 マリーは水を一気に飲むと、少し冷静さを取り戻し、落ち着いて話し出す。


「今日は敢えて目につく黒狼達を無視し、狼達が来るタミル山の深いところへ分け入ってみた」

「ひとりでそんなところまで行っていたのか」

「今の状況はあまりにもまずい。こんな時は多少強引に動くことも必要だ」

「まぁ、確かに…………」


 マリーは濡れたオレンジ色の髪を乱雑に拭きながら、厳しい表情を崩さない。


「私は山の中をなるべく狼たちの多い方へと、道なき道を狼たちの攻撃をかいくぐりつつ、強引に進んでいった。しばらくそうやって進んでいると、急に視界が開け、目の前にすり鉢状の地形が現れた」


 マリーは額に指を当て、思い出すように中空を見つめながら続ける。

 

「そしてそこで私は……、数えきれないほどの黒狼、それこそ数千の黒狼がうごめいているのを見つけた――――」

「それは…………、この村はどうなる?」

「この村はもうダメだろう。私達でも逃げ切るので精一杯だ。実戦に参加していないボナスにはあまり分からないかもしれないが、黒狼は数が増えるほどに個の力も強くなる」


 ここ最近の良くない流れから、村を切り捨てる可能性もうっすらとは頭にあった。

 だが、既に村の中の個々人の顔と名前を覚えてしまった今、どうしても情がわいてきてしまう。

 何も俺はしょうもない不倫関係だけを知っているわけでは無い。

 つい先ほど、この手にヨシュアとミトの赤子を抱かせてもらったばかりだ。


「何とかならないのか! 俺達ならなんとかできるのではないか!? 鬼が3人もいるのだぞ! マリーとクロも強い!」


 ザムザが悲痛な表情で叫ぶ。

 お前も一緒に回っていたもんな。

 ザムザは力が強く見た目もいい。

 鬼男には珍しく乱暴なそぶりも見せない。

 意外と村人からも人気で、よく話しかけられていた。

 こいつは若い分、より一層強く情がわいているだろう。


「…………なるかもしれない。だが、そうすると最悪全滅する可能性もある。それに住民を見殺しにするわけでは無い。うまくサヴォイアの町まで避難誘導出来れば、命を助けられる可能性も高い」


 マリーは苦々し表情でそう答える。

 今語ったのは楽観的な見通しなのだろうな……。

 

「いずれにしろ俺は仲間の命を優先する。クロとシロ、ギゼラを失うことだけは許容できない。その上でマリー、アジール具体的な戦略はあるのか?」

「今すぐに住民全員で村を捨て、サヴォイア向けて可能な限り素早く移動するか?」

「いやアジール、村人は153人いる。小さな子供や老人もいるし、財産を諦めさせるのにも説得が必要だ。まとまって移動できる状況へもっていくのに半日はかかる。無理してパニックになると収拾がつかなくなるぞ」

「二手に分かれて、一方は避難誘導、もう一方は黒狼の数を減らしつつ時間稼ぎをする。この辺が現実的なラインかしら」

「わかった。ちょうど名簿もできたところだ。効率よく全村民に情報を共有させ説得に回ろう。村民の誘導としてはアジールとザムザと俺の3人であたり、攻撃はマリー、クロ、シロ、ギゼラが受け持ってほしい」


 シロが眉をひそめる。

 ギゼラも悩まし気にこちらを見ている。


「ボナス……」

「シロ、まぁ俺は頼りなくて心配だろうが、最悪ザムザとアジールを生贄にして生き残るから大丈夫だよ。むしろ黒狼に対する火力を最大化することが全体の生存率を上げるうえで重要だ」

「――――わかった」

「え……、俺生贄にされんの?」

「ぎゃうぐぎゃう?」

「クロはまぁ……たぶん大丈夫だと思うけど、気を付けるんだぞ」


 クロはじっとこちらを見上げてくる。

 何となく離れがたい気持ちになり、抱き寄せ髪の毛をわさわさする。


「よーし、よしよしよし」

「ぎゃうーっ!」


 クロがうれしそうな声を出しながら頭をぐりぐりとこすりつけてくる。

 こいつが俺よりはるかに強く、黒狼に後れをとるような奴では無いことは分かってはいる。

 だが、いまでも俺の中にはクロがまだ醜くひ弱な小鬼の時のイメージも残っている。

 それに実際体も小さいのだ。

 どうしても心配になってしまう。


「俺も戦う!」

「だまれ」

「だが俺は――――」


 案の定ザムザがごねる。

 ギザラが直ぐに半ギレで止める。

 少しひるむが、ザムザはさらに粘ろうとし、シロの顔を見て下を向き黙り込む。


「ザムザ、俺以外にお前が一番村民の顔を覚えているだろう。153人だれひとり欠けることなく避難させることこそが、お前の戦いだろう?」

「…………わかった」


 適当にそれっぽいことを言い、ザムザを納得させる。

 こいつは意外と俺の言うことは素直に聞いてくれる。


「それじゃ、攻撃担当、避難担当に分かれてそれぞれ準備にかかりましょう」

「チーム間の連絡はアジールに任せていいか?」

「大丈夫だ」



 さて、まずは住民たちに何と声をかけるべきか考えなくては。

 マリー達は既に門へと向かって歩いている。

 歩きながら戦い方の相談をしているようだ。

 毎度のことながら、マリーは方針が決まると行動が早い。

 門から出ていく彼女たちを祈るような気持ちで見送る。

 そして門が再び閉められた瞬間、黒狼の遠吠えが聞こえた。

 それも今までと違い、恐ろしい数の遠吠えが重なり合い、空気を引き裂くような波となって脳が直接侵されるような不快感を感じる。


「た、たいへんだ! ああ…………黒狼が…………もう、だめだ…………」


 見張りについていた村人の絞り出すような声が聞こえる。

 3人で顔を見合わせ、まずは状況を確認するため、見張り台へと駆け上がる。


「まじかよ……」

「遅かったか……」

「…………」


 山の麓の地面が黒くうねる。

 暗闇に目を凝らすと、それらすべて黒狼であることがおぼろげながらわかる。

 マリーが言った数はまったく大げさでは無かったようだ。

 もはやその数を意識することが馬鹿らしくなるほどの、おびただしい黒狼が一斉に村へと押し寄せてきたのだ。

 そのあまりにも異様な様子に、気持ち悪さと恐怖を感じる。

 

 そして、攻撃組の4人は既に門の外だ。

 まもなく戦いが始まる――――。

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