第131話 ハジムラドの戦い

「おーい、ハジムラド! 大丈夫かー!?」

「問題ない! クロ達が来るまで出てくるな!」


 どうやらザムザは無事だったようだ。

 先程まで錯乱していたボナスの声に落ち着きが戻っている。

 それにしてもあれほど混乱しつつも、意外と冷静に止血をしていた。

 相変わらずよくわからない男だ。

 何にしろあいつらが無事で良かった。

 サヴォイアにとって、ボナス商会は替えの利かない重要な存在になりつつある。

 それに個人的な付き合いの面でも、あいつらはなかなか面白い。

 特にボナスは変わっている。

 実際はそれほどでも無いはずだが、不思議と付き合いの長い友人のように感じてしまうことがある。

 俺のような傭兵はほとんどの場合、戦いを通して人間関係を作る。

 もちろん戦場で生まれる友情もあるが、どちらかというと多くの生き死にを目の前に、むしろ心は乾いていくことの方が多い。

 感情をすくい上げる器の目がザルのように粗くなっていき、どうにも心が動かなくなっていく。

 人間関係も必然的に割り切ったものとなってくる。

 だがボナスという男と付き合っていると、予想外に物事をひっかきまわされるからだろうか、失くしたはずの感情の機微がくすぐられるのだ。

 酒造りの話などもそうだ。

 正直なところ楽しみで仕方がない。

 まさか俺なんぞが醸造所のオーナーになれるとは……。

 早くあの馬鹿どもと一緒に酒造りに注力したい。


「オォォォォ……」

「うるさいな」


 モンスターは先ほどから感情を感じない低い唸り声を上げつつ、単調な攻撃を延々繰り返してくる。

 確かに一撃は強力だ。

 腕が異様に長いため、攻撃範囲は広く強力な一撃を繰り出してはくる。

 だが、腐肉漁りと同じく本来は物を投げることに特化した個体なのだろう。

 無駄に動きが大きく避けやすい。

 適切な距離さえ保てば、考え事をしながらでも十分対応できる。

 しかし……こちらの攻撃も通じていないようだ。

 白い剛毛に覆われた皮膚はうまく衝撃を吸収しているようで、小型のメイスではびくともしない。

 毛の生えていない頭部は弱点の可能性もあるが、俺では手が届かない。

 何度が毒を塗ったナイフで攻撃を加えつつ様子を見ているが、動きにまったく変化はない。

 かなり強力な毒なはずだが、耐性でもあるのだろうか。


「オオッ、オオオオォォォォ!」

「ふんっ」


 攻撃のパターンが変わる。

 上から下へ振り下ろすような攻撃から、駄々をこねるように両手を振り回すようになった。

 あまりに攻撃が当たらないことに苛立ちを覚えたのだろうか。

 いまいち唸り声からは感情が読み取れない。

 もう少し様子を見つつ弱点を探りたかったが……。


「安易に飛び込めなくなったな」

「オオオオオオオオオオォォォォッ!」


 それにしても変なモンスターだ。

 特に眼球が無いというのはおかしい。

 自然発生するモンスターはそれなりに合理的な形状をしていることが多い。

 生物の造形として、ある程度親しみを感じるような動物的な雰囲気がある。

 それなのに目の前のこのモンスターには眼球が無く、感情を感じない。

 生物に対する冒涜的な不気味さを感じる。

 それにクロ達やラウラ様のいないこの状況で、初手にもっとも攻撃力の高いザムザを狙い撃ちしたというのも少々出来すぎている。

 これは……確実にだれかが背後にいる。

 傭兵か村人、あるいはメナス商会に、裏切り者のいる可能性が高い。

 目の前のモンスターを倒しきるのは現状難しい。

 だが、クロ達が来るか、ザムザが回復すれば大した敵では無い。

 それよりも重要なのは、裏切り者をあぶりだすことだ。

 ほぼ確実に俺達の状況を観察しているはずだ。

 いまいちこの襲撃の狙いはわからんが、もしかするとこのモンスターはおとりで、気を取られたところで俺達の誰かを仕留める予定なのかもしれん。

 いずれにしても、ここで見逃すわけにはいかん。

 この場所は監視塔を建てるだけあって見通しが良い。

 人が身を隠せるような場所は限られている。

 それに……、今その位置もほぼ特定できた。


「オオオッ」

「仕掛けるか……」


 その時、自らの腕の遠心力で体がぶれ、ぬかるみに足を取られたモンスターが転倒する。

 今なら頭部にも有効な一撃を加えられそうだ。


「そこだな――――」

「えぇ!? ハ、ハジムラド、どこ行くんだ~?」


 だが俺は、モンスターに背を向け、全力で走る。

 ボナス達が間の抜けた声を上げているが、今はそれどころではない。

 一気に追い詰めねば逃げられかねない。

 当たりを付けた場所へと全力で走る。

 俺達を安全に観察するならば、あの小さな茂み以外ありえない。

 モンスターとの相対位置を少しづつずらしていき、他にはすべて人が隠れていないことは確認できている。

 人が隠れるには少々小さい気もするが、雨の中身を伏せればそう簡単には見つけられない。

 何よりモンスターが来た方角だ。


「死ねよ、ハジムラド」

「そのパターンは知っている」


 後数歩というところで、茂みから直剣とともに小さな黒い影が勢いよく飛び出してくる。

 すでに何度か見たことのある攻撃パターンだ。


「面倒だな、ハジムラド。ハハハッ、お前のことは殺す予定じゃなかったんだけどなぁ~」

「ルーカス……」


 両手で直剣を持ち、半身に構えているのは傭兵のルーカスだ。

 雨の中、ずっと地面へ伏せて身を隠していたのだろう、全身泥まみれだ。

 聞きなれた声ではあったが、髪や顔まで泥をかぶっていたのでいまいち目の前の男が本当にルーカスであるという確信は持てなかった。

 しかし雨で徐々に洗い流されると、あまりにも見慣れた顔があらわれる。

 そして不自然なほどいつも通りの声と表情で、明るく笑っている。

 ルーカスは確か四年ほど前に隣領からサヴォイアへ来た、中堅の傭兵だったはずだ。

 剣の腕は立つが小柄なせいでモンスター相手の戦闘力はそこそこ。

 地味ながら人当りも良く、仕事もしっかりとこなす。

 アジールと並んで評判が良く、使いやすい男だった。

 今回の遠征でもピリ傭兵団とは別に俺がわざわざ声をかけた。

 遠征に当たり、ラウラ様も同行されるということで人選にはかなり気を使った。

 タミル帝国との関係も事前に調べたが、それらしい情報はまったく出てこなかった。

 付き合いも長いのですっかり信用していたが……、まかさこいつが裏切り者だったとは。

 それにしてもルーカスの表情にはずいぶんと余裕がある。

 確かにモンスターに加え、こいつを一人で相手取るのは少々厄介だか、それでも負ける気はしない。

 だが……、俺はこいつが裏切り者であるということを見抜けなかった。

 まだ実力を隠しており、それを俺が見抜けていない可能性も十分ある。

 慎重に対応すべきだ。


「お前、いつから裏切っていた?」

「最初からだ。サヴォイアへ来るずっと前からさ」

「なぜだ?」

「詳しく話そうとすれば、長くなるが……もうどうでもいいだろ? さっさとかかって来いよ」

「そうしよう!」


 距離を詰めつつメイスを叩き込む。

 剣での受け流しを予想し、次の攻撃を組み立てていたが、ルーカスは俺の攻撃を避けない。

 メイスの攻撃を肩に受けつつ、剣を突き返してくる。


「お前……」

「おや? 地竜殺しのハジムラドが俺なんかの攻撃で傷を負うとはな。ハハハハッ」


 完全に予想外の動きに、なんとか避けつつも頬を少し切られてしまった。

 しばらく髭の手入れができんな。

 それにしてもおかしい。

 奴にメイスを叩き込んだ際、確かに骨を粉砕したような手ごたえがあった。

 たとえ差し違えるような攻撃だとしても、攻撃を受けつつあれほどの突きは返せないはずだ。

 しかも俺より負傷しているはずのルーカスは相変わらず笑っている。

 少なくとも手ごたえからして鎖骨は砕けているはずだ。

 だというのにルーカスを見ると完全に無傷だ。

 金属鎧を着こんでいるわけでは無い、雨で張り付いた布地越しに健康的な鎖骨がくっきりと見えている。

 血がにじんでいる気配もない。

 こんなことは鬼以外にあり得るわけがない。

 まさかこいつ、いや……。


「魔人か!」

「ハハハッ、まぁそう言うことだ。悪いね、ハジムラド」


 一瞬で血の気が引く。

 あのような不自然なモンスターを見た段階でその可能性も考えるべきだった。

 まったく勝ち筋が見えなくなる。

 魔人には魔法使い以外太刀打ちできない。

 ルーカスがどれほどの力を持つ魔人かはわからないが、どう攻撃したところで即死させられなければすぐに体を修復する上毒も効かん、下手に接触してしまうと、俺自身の身体を変化させられる可能性もある。

 俺ではラウラ様が来るまでの時間稼ぎすらできないだろう。

 何とか逃げつつ持って数分……。

 まさかこんなところで死ぬとはな。

 体をいじられるくらいならば自死できるよう準備しておくか。

 ボナス達は監視塔へ引きこもれば、少しは生き残れる可能性が――――。


「おい、ハジムラド! こりゃあどうなってんだ!?」

「とりあえず助けに行くぞ!」

「モンスターは俺が抑えておく!」


 まだ少し顔色の悪いザムザがモンスターへと飛びかかっていく。

 武器はオスカーの金槌か……あれでは殺しきれるか微妙だな。

 だがそんなことより、ボナスとオスカーがなぜか監視塔の扉を構えてこちらへ来ようとしている。

 ボナスの頭にはぴんくがしがみついており、こいつらを見ていると何とも力が抜ける。

 だがこれはまずい。

 相手は魔人、どうあっても犬死だ。

 だがなぜだろう――、ルーカスは先ほどまでの笑顔を引っ込め、厳しい表情でボナス達から目を離さない。

 今目の前にいる俺から視線を逸らしてまで、ボナス達を睨みつけるように見ている。

 何かまだ勝ち筋が残されているのだろうか。

 とはいえ俺に出来ることは時間稼ぎと、こいつを引き付けることくらいだ。

 せめて自分で作った酒を飲んでから死にたかったが、傭兵の最期などこんなものだ。

 仕方あるまい。


「ボナス、オスカー! こいつは魔人だ、不用意に近づくな! 俺は……時間を稼ぐ!」

「魔人!?」

「お、お前そんなこと言ったって……大丈夫なのか?」

「まかせろ、大丈夫だ! おまえらは他の連中が来るまで監視塔に引きこもって酒造りのことでも考えとけ!」

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