第132話 嘔吐

「なんか不思議な戦い方だなぁ」


 ハジムラドは鬼達のように強力な攻撃や力任せに防御できるわけでもなく、クロのように素早く精密な動きができるわけでもない。

 ましてやマリーのように軍隊仕込みの戦闘技術や戦闘に関する天賦の才があるわけでもない。

 それなのに、ザムザに重症を負わせるほど強烈なモンスターの連撃を、小さな丸盾ひとつで受け流し、さらには反撃まで加えている。

 ただ、その様子はどうにも気だるげで、まるで戦闘をさぼっているようにさえ見えてくる。

 もちろんそんな訳があるはずもなく、一撃でも貰えば致命傷になるはずだ。

 ハジムラドの体格は俺と大して変わらない、むしろ身長は低いくらいだ。

 さらに俺より年も食っている。

 だというのにあれほど戦えているのはなぜだろう。


「なぁ、ハジムラドはどうしてあんなに強いんだろうな」

「遠目にはもっさり動いているように見えるが……、よくわからんがうまいな! なぁザムザ、あれどうなってんだ?」

「うん……そうだな、駆け引きが異様にうまい……と思う。間合いも何とも言えず中途半端な距離感を維持していて、いまいち次にどう動くのか読めない。常に攻撃を受けに回っているが、動きとしては先手を取っているんだ。ああいう戦い方はどうすれば身につくのだろうな。場数が違うのだろうが……。ただ、あのモンスターの攻撃はそれでも重い、余裕に見えるハジムラドだが、それなりにダメージは蓄積していると思う」

「大丈夫かな?」

「俺も……もう少しだけ回復したら戦闘に参加するから、大丈夫だ」

「……あんまり無理するなよ」

「ああ、わかってる」


 その時、モンスターが大きく振り回してた手を盛大に空振り、そのままぬかるんだ地面に足をとられてすっころぶ。

 絶好のチャンスにハジムラドは全力で――――明後日の方向へと走り出した。


「そこだな――――」

「えぇ!? ハ、ハジムラド、どこ行くんだ~?」


 俺達三人はあまりのことに呆気に取られる。

 ただハジムラドはいつも通り落ち着いた様子で迷いなく、全力で走っているようだ。

 雨で分かりにくいが、どうも小さな茂みを目指しているように見える。

 そしてあと数歩というところで、唐突にその茂みから剣を持った男が飛び出してくる。

 なんだか手品みたいだな。

 ハジムラドはその攻撃も落ち着いて避ける。

 モンスターと戦いながらも、初めから男が潜んでいることも、近寄った際どういった反応が返ってくるかも想定していたのだろう。

 泥だらけで顔はよく見えないが、小柄な男だ。

 ハジムラドと何か会話しているようだが、雨音がうるさくよく聞こえない。

 服装は傭兵のようだが……どこかで見たこような気がする。


「うん? あいつルーカスか? 何やってんだ?」

「オスカー見えるのか? ルーカス……ああ、傭兵のルーカスか。あいつが裏切っていたのか……」

「えぇ……裏切りって、あいつまじかよ……」

「そういえば、あの傭兵はよく俺達を見ていた」

「よく見てるな、ザムザ……ってあれ? なんかハジムラドまずくないか?」

「ボナス、あの猿もそろそろまずい。俺はもう大丈夫だ、出よう」

「うぇぇっ、ああっ、も~……仕方ないっ。 よし、いくか! おい、オスカー出るぞ!」

「わかった! おい、この扉はどうする?」

「よし、とりあえず二人で持って行こうぅぅうぉっ、おもてぇ……突然手を離すなよオスカー!」

「俺はあいつを抑える!」


 ザムザはそう言い残すとモンスターの方へと先行して駆けていく。


「おい、ハジムラド! こりゃあどうなってんだ!?」

「とりあえず助けに行くぞ!」

「ハジムラド、モンスターの方は俺が抑えておく!」


 助けに行くとはいったものの、いざという時の攻撃担当はもちろんぴんくだ。

 昼飯で膨らみ切った腹を抱えてポケットの中で延々昼寝をしている。

 楽しみにしていた俺の茸もいつの間にか全部食われていた。

 ぜひ活躍してもらわなければ。


「おい、ぴんく! 出番だぞ! ほらっ」


 ぴんくをポケットから引っ張り出して頭の上に乗せる。

 こいつ……なんだか手触りがムチムチしてきたな。


「ボナス、オスカー! こいつは魔人だ、不用意に近づくな! 俺は……時間を稼ぐ!」

「魔人!?」

「お、お前そんなこと言ったって……大丈夫なのか?」

「まかせろ、大丈夫だ! おまえらは他の連中が来るまで監視塔に引きこもって酒造りのことでも考えとけ!」


 勢いづいて飛び出したは良いものの、ハジムラドの言葉に足を止め、オスカーと顔を見合わせる。

 確かに相手が魔人となると、ラウラの話を思い返すまでもなく、なんだかとてもやばい気がしてくる。

 だが……ハジムラドは大丈夫と言うが、とてもそうは見えない。

 表情こそ冷静だが顔からは出血しているし、息も大分上がっている。

 対してルーカスはかなり余裕がありそうだ。

 大した技術を感じさせない雑な動きにもかかわらず、ハジムラドをジワジワと追い詰めていく。

 モンスターを相手取っていた時点では、あまり大きく動かず、最小の動きでモンスターの攻撃をいないしていたハジムラドだが、ルーカスを相手取るようになってからは、まるで揮発性の毒をまとった相手と戦うかのように、妙に大げさな動きで攻撃を回避している。

 さらにルーカスは何度も致命的な攻撃を受けているはずなのに、その体には何の痕跡も見られない。

 当然ながらルーカスはモンスターとは違い、身を守るような毛皮や分厚い皮膚があるわけでは無い。

 ハジムラドのメイスはその体へとしっかり食い込んでいるように見える。

 だというのに、痛がることも血を流すこともなく、次の瞬間にはまるで時間を巻き戻したかのよう元々の輪郭を取り戻している。

 魔人にはやはり魔法以外の攻撃は通らないのだろうか……。

 そういうわけで、見た目は小柄で技術もない傭兵が、老獪なハジムラドを押しているという奇妙な状況だ。

 あいつが魔人だとわかっていても違和感が凄い。

 ルーカスはもはやハジムラドの方など気を配る必要もないと言わんばかりに、戦闘中にもかかわらず、俺とオスカーの方を睨みつけてくる。

 だが、こちらへ目標を変えて向かってくるようであればむしろ助かる。

 ぴんくで迎撃してやろう。


「来ないな……」

「ずっとこっち見てやがるのに、気持ちわりぃな!」


 だが魔人ルーカスはこちらを見つつも距離を詰めようとせず、むしろ距離を取ろうとするハジムラドの方を追い詰めていく。

 このままではハジムラドはそう長くは持たないだろう。


「オスカー、あまり近寄るとハジムラドの邪魔になりそうだし、少しこの位置で扉支えておいてくれ」

「なんか隠し種でもあるのか!?」

「まぁそんな感じだ」


 頭のぴんくを両手で包み込むように持ち、ルーカスを狙う。

 だが――どうにもうまくいかない。

 右へ左へとぴんくを振り回すがなかなか狙いが定まらない。

 機会は一度切り、それを外すと終わるので狙いは慎重に……。

 だがルーカスは、ぬかるんだ地面をものともせず、泥を跳ね上げながらやたらと動き回る。

 しかもハジムラドと戦う上で、意味があるとは思えないような無軌道な動きを混ぜてくる。

 妙に衝動的で雑然とした動きに、戦闘勘もない俺には全くどう動くか予想がつかない。

 動きが小さくなる場合も、射線にハジムラドを挟むように位置取りをしてくる。

 最初は苛立たしいばかりだったが、次第に恐ろしくなってくる。

 これは……どう考えても俺、いやぴんくのことを警戒しているとしか思えない。

 ぴんくについては俺達の生命線だけあって、これまでよっぽどのことが無ければその力を使わないようにしてきた。

 実際にその火力を見たことのある人間はほぼいないはずだ。

 特に最近は仲間も増え、装備も整い皆強くなってきた。

 ぴんくが戦闘へ駆り出されるような事も、ほぼなくなってきたのだ。

 妙に人間臭く、よくいたずらや盗み食いをするが、普通の人からはぴんくはただのトカゲにしか見えないはずだ。

 とはいえ相手は魔人。

 ラウラからその恐ろしさは聞きかじっていたが……もう少し詳しく聞いておけばよかった。

 もしかするとぴんくの力を何らかの方法で感知している可能性もある。

 もしくはタミル帝国側の人間として、俺達と黒狼の戦いを遠目に見ていた可能性もある。


「このままじゃ埒が明かないな……。ザムザ! そっちは大丈夫か!?」

「ああ、大丈夫だ! まだ本調子では無いし、こいつはなかなか……強い。最後まで倒しきれるかわからんが……まぁそれでも、シロに比べれば随分と可愛いもんだ!」

「とりあえずは大丈夫なようだな……。オスカー、ちょっとこのまま扉を持って、あそこの水たまりまで移動するぞ!」

「よくわからんが、わかった!」


 ぴんくは一度胸ポケットへ避難してもらい、二人でえっちらおっちら扉を抱えたまま移動する。

 わずかに窪地になった場所で、足首まで泥水につかる。


「それじゃ、ちょっと悪いがオスカー……、おまえ一人で盾をそのまま立てておいてくれ」

「おぉ? ……お前なにやってんだ?」


 ルーカスから見えないように扉の盾で姿を隠し、泥の上に身を投げ出す。

 既に雨を吸った衣類は重く、体は冷え込んでいるが、泥水につかることでもう一段階不快さが上がる。

 とはいえ、今はその程度のことを気にしてはいられない。

 その場で泥浴びをする豚のように転がりまわる。

 胸ポケットの中で限界まで迷惑そうな顔をしたぴんくと目が合う。

 心の中で謝りつつも、顔や髪にも泥を塗りたくる。

 そうして全身くまなく泥だらけになった状態で、少しでも水が溜まっている場所を確認する。

 雲は厚く雨脚もさらに強くなってきた。

 今ならなんとか俺の位置を悟らせず、回り込めそうだ。


「オスカー、お前はいつものでかい声で、俺とここで喋ってる演技しろ。俺は回り込んであいつを攻撃する」

「うぇえっ、まじかよ!? つっても何の話を……」

「それこそ酒造りの話でもしとけよ」


 とりあえずはオスカーのことは放っておいて、頭にぴんくを乗せなおし、ゆっくりと匍匐前進で進み始める。

 ちょうど線上に水はけの悪い窪地が伸びており、意外と水位が高い。

 身を隠すのにはもってこいだが、半身が泥水に浸かることでその不快さも凄まじい。

 全身が一気に冷え、こんな状況にも関わらず漏れそうになる。

 ルーカスは相変わらず扉の盾を睨みつけており、泥水を這い進んでいる俺にはまだ気が付いていないようだ。

 あまり近づくと気が付かれそうだが、あいつが警戒している方向からある程度角度を付けられるだけでも十分だ。

 不意を突いて斜線を通すことくらいならできそうだ。


「よし……ぴんく、この位置から狙おう。頼むぞ~、もう少しだけ頑張ってくれよ。俺の昼飯だいぶ盗み食いしたろ?」


 頭上にいるぴんくの様子はわからないが、俺の髪の毛を引っ張りながら左右に体を揺らしているのを感じる。

 狙いをつけてくれているのだろう。

 オスカーも真面目に誰もいない扉の裏へ向かって話しかけ続けている。

 それにしてもいい加減余裕は無いだろうに、ハジムラドの立ち回りはうまい。

 妙に警戒しているルーカスの様子から、俺に何らかの遠距離攻撃の手立てがあることを察してくれたのだろう。

 ルーカスの動きが小さくなった際、なるべく大きく間合いを取るように動いている。

 明らかに苛立った様子のルーカスが、ハジムラドへの攻撃を強めている。

 だがそのおかげで、ルーカスの動きが明らかに小さく、狙いやすくなってくる。

 斜線もしっかりと通っており、誤ってハジムラドを焼く心配もない。


「よし――ハジムラド、離れろ! いっけぇー! ぴんくー!」

「なにっ!?」


 目を焼く光と熱を覚悟し、そう声を上げた次の瞬間、驚愕するルーカスの声とともに、俺の頭上からべとつく液体がトロトロと滴り落ちてくる。

 昼食べ損ねたザムザの得意料理の茸のうまそうな香りがする。


「ぴ、ぴんく~!?」


 慌てて頭上のぴんくを掴んで目の前に持ってくると、ぴんくの目の焦点が合っていない。

 口から粘つくペースト状の何かが垂れており、俺の頭頂部へと橋を渡している。


「ぴんく! 何で目を回してるんだ!? くそっ、これも魔人の力か!?」

「いや……ボナス、お前さっきからぴんく振り回しすぎたんで、目回しただけじゃねーか? いやそれどころじゃない、まずいぞ、ボナス!」

 

 オスカーは盾裏で一人語りをやめると、そう声をかけてくる。

 思い当たる節がありすぎる。

 ずっと吐き気をこらえていたのかもしれない。

 ごめんよぴんく……、でもお前も食べ過ぎだぞ。

 頭がベトベトだ。

 俺が失敗したことを悟ったのか、それまでこちらへは近寄ろうとしなかったルーカスが、真っすぐにこちらを睨みつけつつ歩いてくる。


「ああ~お前ら……、ほんと気に入らないわ。お前らが来てから何もかもうまくいかなくなった。まぁ……、もういい。ボナス、お前のトカゲのことは知っている。絶対に殺してやる――――」

「おい! 無視するなよ、ルーカス! 今日は付き合いが悪いじゃないか!」

「どけっ、ハジムラド!」

「ぐあああぁっ、熱いっ――――」


 ハジムラドはルーカスの足止めを狙ったのだろう。

 あえて大声を上げつつ、背後からメイスを叩きつけようとする。

 ルーカスは異様な反応速度で振り向くと、振り上げたハジムラドの腕を片手で掴み、大きく一周振り回すように地面へと投げ飛ばす。

 ハジムラドは泥水を跳ね上げながら地面を跳ねるように転がる。

 体格から考えるとあり得ないような剛力だ。

 だがそれ以上にハジムラドの苦しみ方が妙だ。

 もちろん落下による衝撃は相当なものだろうが、それよりもルーカスに掴まれた腕を押さえ、のたうち回っている。

 だが苦しむハジムラドへ止めも刺さずに、ルーカスは再び俺に向かってくる。

 まずい、ぴんくはまだ――――。


「っん……はぁ? なんだおまえ?」

「いってぇ!」


 唐突にオスカーが地面からぬるっと現れると、ルーカスに小さなナイフを突き立てた。

 全身泥まみれなところを見ると、俺と同じように泥を這って近づいたのだろうか。

 扉の盾を上手く地面にめり込ませて立てたまま移動したようで、俺もオスカーの移動に気が付けなかった。

 俺への敵意を剥きだしにしたルーカスも、気が付けなかったのだろう。

 一瞬驚いたような顔をしたルーカスだが、すぐにオスカーの顔を殴り飛ばす。

 わき腹にナイフ突き立っているが、当然ダメージを受けた様子もない。

 血の一滴も流すことなく自らの体に差し込まれたナイフを引っこ抜き、不思議そうな顔で見ている。


「こんなもん効くわけ――――うっ……おえええええええええっ」


 唐突にルーカスは目を見開き、体を折るようにして大量の血を吐き出す。

 吹き飛ばされるように殴られたオスカーだが、意外と平然と立ち上がる。

 両鼻から二筋、血を流しているところを見るに、一応それなりにダメージは受けてそうだが、表情は満足そうだ。


「はっはっはっー! どうした? 今日はみんな腹の調子が悪いのかね? 魔人だか何だか知らねぇが、アジトのご近所さん達に比べりゃぁ、どうしたってお前のことは怖く思えねぇんだわ」

「なっ……おっ……っ! なぜっ――――」


 ルーカスは体を折ったまま、なんとか顔だけを上げオスカーを睨みつける。

 目は落ちくぼみ、既に元の顔が分からないほどやつれて見える。

 それでも何か喋ろうとしているようだが、結局ただ体を震わせているだけだ。

 最終的には赤黒い吐しゃ物をまき散らしながら、崩れるように倒れ伏した。

 そのまましばらくは体を震わせていたが、結局とどめを刺すまでもなく、泥と赤黒い吐しゃ物にまみれ動かなくなった。


「オ、オスカー!? そのナイフは……?」

「毒だ! 本来の一割程度の毒性しかないらしいが……いやぁ~よく効くな!」


 状況は整理できないが、ひとまず目を回したぴんくをそっとポケットに寝かせ、ザムザの様子を確認する。

 既にオスカーの金槌は壊れてしまったのか、なぜか笑いながらモンスターと殴りあっている。

 当たり前だが、まるで鬼のような戦いっぷりだ。

 酷かった顔色もずいぶん良くなっている。

 さっきまで死にかけていたくせに、反則的な種族だな。

 戦況はわずかにザムザが押しているようだ。

 ひとまずモンスターはザムザに任せ、脂汗をかきつつも何とか立ち上がろうとしているハジムラドへと駆けより、肩を貸す。

「っ……すまん、ボナス。しかし……魔人に毒は効かんはずだが」

「こないだ蜜蝋と交換で蜂に巣箱を作ってやったんだ。そしたら、ついでにお前は弱くて心配だから護身用に使えって毒をもらったんだわ。魔人は魔法苦手だって言うし、この毒なら効くかと思ったわけだ! どうよ!?」

「蜂? 巣箱? またよくわからんことを……、お前らの隣人は伝説の暗殺者か何かなのか? はぁ……ただまぁ、オスカー、お前もなるべくしてボナス商会の一員になったのはわかった」

「そりゃどういう……って、おいハジムラド! おまえその腕……気持ち悪いことなってるぞ!?」

「魔人に掴まれた」


 魔人に掴まれた部分の布地は破れ、下に見える皮膚は細かく泡立っているように見える。

 見ているだけで鳥肌が立つ気持ちの悪さだ。

 これはかなりまずいのではないだろうか。


「ハジムラド、これはどう対処すればいい?」

「ボナス、多分俺はもうすぐ死ぬ。腕だけならば切り落とせばいいのだが、すでに体の芯からうずくような不快な痛みが広がっている。魔法使いでは無い俺にとって、これは毒みたいなもんらしい。ラウラ様が来たらまずルーカスの死体をしっかりと焼いてもらえ。そして起きたことを領主様へ残さず伝えろ。ザムザはあの様子なら倒されまい。ルーカスはうまくいったが、お前たちが下手に手を出しては邪魔になる可能性もある、このままクロ達を待てばいい。最後に……お前たちと酒造りがしたかったが、まぁそれも仕方がないな……」

「死ぬっておまえ……、そんな簡単に……あ、魔法? いやどうだろ……、ちょっとオスカーおまえの手ぬぐいかしてくれ」

「おいボナス! ハジムラドが死んじまうらしいぞ!? どうすんだよ! って、手ぬぐい?」


 オスカーから手ぬぐいをひったくり、髪にべっちょりとへばりついたぴんくの吐しゃ物を拭きとる。

 ほぼ水で流されてはいるが、それでも多少は残っている。

 そしてそれをハジムラドの泡立つ腕へとこすりつける。


「ボナス? おまえ一体何を……なんだかうまそうな匂いがするが……なんだそれは?」

「ぴんくのゲロだ」

「おい、ボナス……さすがに最後くらい静かに――――な!? くっ」

「おおっ!?」


 手ぬぐいを当てた部分から薄っすらと湯気のようなものが上がる。

 しばらく痛みに耐えるかのように、静かに体を震わせていたハジムラドだが、大きく一つ息をつくと、俺の手ごと手ぬぐいをそっと外す。

 火傷後のような痛々しい状況ではあるものの、あの気持ちの悪い肌が泡立つような様子はまったく見られない。

 ハジムラドは唐突に袖の布地を引きちぎり、腕全体の状況を確認しはじめる。


「まさか……」

「なんか結構酷い火傷みたいになっているけど、大丈夫なのか?」

「ああ……。お前がその布を押し当ててから、体の芯からうずく様な気色の悪い感覚が一瞬暴れるように感じたが、その後波が引くようにスッと消えていった。腕の傷跡は残るだろうし、動きは悪くなったが……大したことではない」


 ぴんくが俺の頭に昼食を吐き出したとき、実はキノコ料理以外の香りも混ざっていた。

 いつもレーザーを吐き出した後に感じる少し甘いようなあの香り。

 ぴんくは多分あの時、目を回し気持ち悪くなりながらも、なんとか攻撃しようとしてくれたのだろう。

 だとすると、あの吐しゃ物にも何らかの魔法の影響が残っていてもおかしくはない。


「それでも、まさかこれほどうまくいくとは……おっ、起きてきたな、ぴんく。やたらめったら振り回してごめんよ、ぴんく。それでやっぱり今回もお前のおかげでハジムラドが助かりそうだ」


 ぴんくは体調が回復したのかポケットから小さな顔をだす。

 なんだか少し恥ずかしそうだ。


「おれは……ぴんくに助けられたのか」

「良かったなハジムラド! 地竜殺しに続いて新しい二つ名はゲ――――」

「うるさいぞ、オスカー……。ぴんくありがとう、感謝は忘れない。だが……、事の詳細はお互い忘れておこう」

「それがいい、頭から被った俺も賛成だ。それよりもザムザは――あっ」


 皆でザムザの方へ振り返ると、ちょうどクロとシロが村の方から猛烈な勢いで駆けてくるのが見える。

 クロは俺達の姿を確認するとさらに加速し、そのままの勢いでモンスターを駆け上がるように飛び越えると、そのままこちらへと走り、飛びついてくる。


「ぐぎゃう! ぼ~な~す~!」

「うおっと! クロ、ありがとう。いろいろやばかったけど、なんとかみんな無事だよ」


 飛びついてきたクロの背後でモンスターの挙動がおかしくなっている。

 よく見ると白い猿顔のいたるところには、クロ愛用のナイフが突き立っている。

 頭部だけハリネズミのようだ。

 あの一瞬でよくあれ程のナイフを扱えたものだ。

 クロは特別筋力があるわけでは無いので、最も身体の柔らかい部分を狙い攻撃する。

 いつも攻撃方法が痛そうだ。

 モンスターはかきむしるようにナイフを引き抜いており、そのたびに悲鳴のような唸り声を上げている。

 先ほどまで闘気をみなぎらせていたザムザも、その様子には顔を引きつらせている。


「みんな大丈夫?」

「シロ! 俺達は大丈夫だ! ザムザが一度頭に酷い怪我をしたんだ。そのモンスターが石を――」

「あっ、お、おおっ、俺はもう大丈夫だよシロ!」

「ザムザ、ボナスを守ったの、えらかったね」

「あ、ああ……」


 シロはモンスターを無視し、ザムザの胸倉をつかみ持ち上げ頭の傷を覗き込むように確認する。

 特に問題の無いことを確認するとポイっと放り投げるように手を離し、ザムザへねぎらいの言葉を投げる。

 ザムザは何処か面食らったような顔をしている。

 そうして次の瞬間にはもう、シロはモンスターへと向き直り、巨大な金棒を振るっていた。

 そこからは酷いものだった。

 戦闘と呼べるようなものではもはやない。

 体格はシロより一回り大きいはずのモンスターだが、止むことの無い打撃の嵐にあっという間にひき肉へと変えられていく。

 普段の穏やかな姿を見ているとつい忘れがちだが、平時からエリザベスとともにキダナケモとも戦っているだけあって、シロの攻撃は苛烈を極める。

 こうしてあらためて目の当たりにすると、確かにザムザがあれほどシロを恐れているのもよくわかる。

 もちろん一撃も強力なのだろうが、その連打力が凄まじい。

 重機関銃でも撃っているかのような機械的かつ暴力的なリズムを奏でつつ、延々と規則正しく金棒を叩き込んでいく。

 彼女が動く度、あまりの加速度に濡れた衣類や体から水滴が取り残されるようにはじけ飛び、まるで雨をはじいているように見える。

 膨大な熱を持った身体は、その輪郭を蜃気楼のごとく歪め、まるでこの雨の中だと闘気でもまとっているかのように見える。


「……ほらな。やっぱ俺は魔人よりシロの方がずっと怖えわ」

「いやオスカー、あれでもキダナケモには中々勝てないらしくて、ほとんどは逃げ回っているらしいぞ」

「キダナケモと戦ってる時点で十分意味が分からんがな」

「あっ、ギゼラも来たな! 背負っているのはラウラかな?」


 モンスターをあっという間にただの肉塊へと変えたシロも、金棒についた血肉を振り払いつつこちらへとやってくる。

 自然と皆が監視塔の前で集合することになる。


「ボナス、大丈夫だった~?」

「ああ、ギゼラもありがとう。シロもお疲れ様、相変わらずかっこいいなぁ」

「おもったより柔らかかったね」

「ぐぎゃうぎゃう~」

「みなさん大丈夫でしたか!? 恐ろしいモンスターが出たとかで……あ、あの塊ですか?」

「ラウラ様、それどころではありません。魔人が出ました」

「まっ、魔人!? 何処に……えっ、皆さん無事で!?」

「オスカーが倒しました」

「え? あ……オスカー様? ふえぇ!?」

「この間ハチに貰ったやつを使った! 一緒にいただろ? ラウラは通訳しながら蜂蜜べろべろ舐めてたじゃないか!」

「あっ、あぁ~。ああああああ! なるほど! あははははっ、魔人相手にあれはさぞ効いたでしょうね!」

「ラウラ様。この連中と一緒にいすぎて、常識を失いかけています。人間が魔人を殺すなど、毒を使ったとしてもこれまで聞いたことがありません」

「まぁハジムラド様、ボナス商会に常識をあてはめるのは諦めましょう。私もずいぶん色々な目に遭いましたから――」


 ラウラは遠い目をしながらハジムラドと魔人と今後の対応について相談を始める。

 ザムザはあらためてシロとギゼラに頭の傷を確認されながらこれまでの経緯について説明させられている。


「――――それでも死んじゃだめだよ、ザムザ」

「わ、分かったよ、シロ」

「そういやザムザな、あのでかい腐肉漁りみたいなモンスターを見て、シロより可愛いって言っていたぞ」

「死になさい、ザムザ?」

「ボ、ボナス―!」

「ザムザはもっと修業しなきゃだめだね。今度私達が相手したげるよ」

「え、あ、いやそれは……」

「ぐぎゃうぎゃう~! じゃむじゃ!」

「いや、クロのは真似できる動きじゃないから、訓練はちょっと……」

「じゃむじゃ……」

「まぁ何にしろみんな無事でよかったよ。はぁ……俺なんか雨が嫌いになりそうだわ」

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