第133話 試飲①

 サヴォイアの昼下がり。

 斡旋所の裏通りにあるこの酒場には、あまりいい思い出は無い。

 だというのに、俺はまたあの時と同じように、一番奥まった場所の同じ席に座っている。

 以前はあまり観察する余裕もなかったが、目の前の粗雑な円卓には無数の傷がありこの店の歴史を感じさせる。

 使い込まれた表面は、かりんとうのような鈍い光沢感があり、無駄に重厚で荘厳な印象すら受ける。

 だが実際は、ろくにマナーも知らない傭兵たちが、汚らしく飯を食い、喧嘩を繰り返し、汚れやシミが果てしなく重なり、それらが酔っ払いどもの衣服で日々磨かれただけだろう。

 とはいえ、おおよそ物事の説得力というのは、こういう日々のくだらない行為の繰り返しが、意図せず作り上げるものだ。

 そうして、そんな円卓を我が物で囲んでいるのは、これまたなかなか癖の強い連中。

 俺以外に、メナス、ハジムラド、ピリ、そしてミルの五人だ。

 以前この卓を囲んだ際は、ずいぶん居心地の悪い思いをしたものだが、もう俺へ敵意や苛立ちを向けてくるような奴はここにはいない。

 むしろ皆、これから起きることへの期待感に少し浮ついた雰囲気さえ漂っている。

 それに今回の会合は前回とは違い、まったくの一人で参加というわけでは無い。

 俺の後ろにはクロとシロがしっかりとくっついている。

 つい最近、魔人に狙われたこともあり、アジトにいる時以外はどこへ行くのにも二人は一緒に来てくれるようになったのだ。

 最初は心配したシロが、まるでコハクを運ぶかのように俺を抱きかかえて移動しようとしたが、それだけはなんとか勘弁してもらった。

 俺やボナス商会の噂がさらに混乱を極めてしまう。

 一時期のラウラのように猫車に乗せてもらった方がまだましだ。

 とはいえ俺は年齢的にも、一度ふっくらしてしまうとラウラ以上に取り返しがつかないことになる。

 せっかくこの世界に来てから運動量も増え、健康的な締まった体を手に入れたのだ。

 なるべくこの体形は維持したい……。

 ちなみに仲間を連れてきているのは俺だけではない。

 他の連中もハジムラド以外は、それぞれの関係者を何人か引き連れている。

 全員がそれなりにサヴォイアでも名前が売れている連中だ。

 そんなやつらが奥まった一角で、仲間を引き連れ顔を突き合わせているのだ。

 店内にはこの席を中心に何とも言えない緊張感が漂っている。


「なんとも言えない雰囲気だなぁ……。まぁあれだ、ピリのせいだな」

「そんなわけあるか! 俺は普段からここで飯を食ってる! どっちかってぇと、お前らボナス商会の責任だろうが!」

「そんなことはどうでもいい、メナスを待たせるのも悪い。早く始めるぞ」

「あら、ハジムラドさん。私は大丈夫ですから、今日はゆっくりくつろいでお話ししましょう?」

「あ、あぁ……」


 とはいえ、実際はただ酒造りの相談をするための、なんてことのない集まりだ。

 ハジムラドだけは妙に気合が入っている気はするが、俺含め他の皆は趣味の延長としてこの事業に関わっている程度だ。

 全体としては非常にリラックスした雰囲気のある会合だ。

 ちなみにミルは当然ボナス商会の一員ではあるが、今回はヴァインツ村の代表兼お菓子にラム酒を使いたい同盟代表として参加してもらっている。

 彼女は酒も好きだが、それ以上にやはりパンやお菓子作りの方が魅力的なようだ。

 酒の名前になる、主役であるはずのラウラも当然参加したがった。

 だが、ヴァインツ村の復興も無事終わり、サヴォイアで溜まっていた仕事の処理や、先日あった魔人の件で色々と忙しいらしい。

 しばらくはこの手のお遊びには参加できないようだ。

 それでも週一回の休日だけは、何としてでもアジトに来るつもりらしい。

 ちなみに貴重なラウラの一票は、彼女が不在の際は俺でもハジムラドでもなく、ミルに託されることになった。

 もし、ミルとラウラの同盟にマリーが加わった暁には、最強勢力として俺達の意見はきれいに駆逐されてしまうかもしれない。

 ちなみにミルにはヴァインツ村傭兵団の団長のサラとその仲間達もくっついてきている。

 普段は生意気そうな若い連中だが、なぜか今はガチガチに緊張している。


「サラ、あんたも輸送についてちゃんと考えないとダメなんだから、そんな隠れるように離れてないで、もっとこっち来な!」

「は、はい! ミル姉さん!」

「なぁメナス、それ重くないのか……?」

「いえピリさん。こう見えて私は力も強いですからね。意外と大丈夫なんですよ。それにしてもコハクちゃん大きくなりましたねぇ~」

「んな~う!」


 最近のコハクはメナスの膝がお気に入りのようだ。

 ちなみにコハク以外もその場所を狙っている奴は数名いそうだ。

 ただコハクもずいぶんと成長した。

 今はもう膝に乗せるのがやっとという大きさだ。

 産まれてから数か月しか経っていないが、既に中型犬くらいはあるだろう。

 手足も太く、もう明らかに猫と呼べるような姿ではなくなりつつある。

 それでもメナスの膝から零れ落ちそうになる体を小さく畳み、体をこすりつけるようにして全力で甘えている。


「あら、コハクちゃんったら、かわいいですね~」

「んにゃっ、んな~」


 メナスはいつもより少し高い声で話しかけながら、両手でコハクの大きな頭を握り込むように撫でている。

 コハクはゴロゴロと地響きのような声で嬉しそうにのどを鳴らし、メナスは幸せそうに目を細める。

 ささくれだった酒場の空気に、そこだけ別世界のようだ。

 甘く穏やかに色付いている。

 ハジムラドが何とも言えないぼんやり緩んだ表情でその様子を眺めている。

 こいつのこんな顔は見たくなかった。

 だが……、俺も気を付けよう。


「え、ええっと……それじゃあ、まずは今の状況とこれからの構想について話していく」

「ああ、頼むボナス」

「まず、作る酒についてだが、名前は既に決まっている。ラウラ酒だ。地獄の鍋で採取できる特別な植物を原料にした酒だ。ここまでは皆にも話しているよな?」

「ああ。地獄の鍋で採取というのが未だに信じられんが、まぁ……お前たちだしな……」


 ピリはそう言いつつ、一瞬俺の背後へと視線を向けると、大きく溜息をつく。

 シロは背もたれの無い椅子を何脚か並べ、俺と背中合わせに座っている。

 アジトから持ってきたオレンジをむしゃむしゃと食べたり、鼻歌を歌いつつわざと体を揺らし、白絹のような髪で俺の首元をくすぐってみたりと、いつも通りのんびりした様子だ。

 クロはメナスにくっついてきたエッダと、謎の手遊びをしている。

 以前闇市で買った仮面を後頭部につけており、ピリが時々嫌そうな顔で見ている。

 確かにあの位置からだとちょうど仮面の顔と目が合いそうだ。


「ちなみに普通のワインやビールと違って、蒸留という工程が必要になる」

「要は火酒と同じだろ? この辺りでは作ってはいないが、普通に流通しているものだぞ」

「ああ、割とどの店でも飲めるよな。ただ、いまいちどうやって作ればいいのか分らんのだよ。原理はわかるんだが……何かあては無いかな?」

「西側の領地では酒造りが盛んだし、そういった設備を作れる職人も多くいるんじゃないか? タミル帝国でも酒造りが盛んな地域はいろいろあるが、そちらはさすがにあてには出来ないだろう」

「じゃあピリ、誰か手配してくれよ」

「まぁ別に構わんが――」

「いやまて、ピリ、ボナス。つい最近あんなことがあったばかりだ。ヴァインツ村絡みは慎重に動く必要がある。できればよく知らん人間は関わらせたくない」

「そうは言ってもなぁ……、ハジムラド、どうするよ?」

「俺が蒸留についての情報を集める。立場上領主館の蔵書を見ることもできるし、他領の斡旋所経由で情報を集めることもできる。場合によっては領主様の協力を頼むことも出来るだろう。遠くの領地にはなるが、酒造りを実際にしている職人に古い知り合いもいる。後は設備の製造や設置はなるべくサヴォイアの顔を知っている職人に任せよう」


 蒸留器の簡単な原理はある程度わかっているものの、実際どう作ればいいのか見当もつかないので、ピリに丸投げする気満々だった。

 だが、ハジムラドの言うことも一理ある。

 かなりの時間や手間はかかるとは思うが、別に手っ取り早く金儲けしたいわけでは無いのだ。

 あくまで趣味の範疇。

 その過程で悪戦苦闘しつつ、いろいろ工夫してみるのも楽しいかもしれない。


「私もそれがいいとおもいます。サヴォイアは辺境ですが、意外に職人の腕は悪くはありません。それに自分たちで色々と工夫する中で、思いがけず面白い発見や商売の種が生まれるかもしれません」

「サヴォイアの職人か……、変わり者は多いけどな。まぁそう言う方針も悪くないんじゃないか。サヴォイアで手に入らないような資材に関しては、俺が集めてこよう。王国内であれば、大体どの領地にもそういった伝手はある」


 メナスやピリにも異存は無いようだ。

 それに、うまくいかなければまた戦略を練り直せば良いだけだ。


「それじゃあ設備についてはハジムラドが情報を集めつつ、ギゼラやオスカーに主導してもらうか」

「いいだろう。だがボナス、お前にも手伝ってもらうぞ。監視塔の建設の時によくよくわかったが、どうもお前は俺達が聞いたことも無いような面白い知識を色々と持っているようだ。そのことを殊更問い詰める気は無いが、多少酒造りに活かしても罰は当たらんだろう?」

「ん~? まぁわかった、協力するよ。それでもあまり酒造りはよく知らないぞ?」

「まぁ、今はそう言うことにしておこう」


 実際酒の作り方についての専門知識なんてまったく持っていない。

 とはいえ、観光地での酒蔵見学くらいは何度か経験があるし、一般に酒の席で自慢げに披露される様々な酒知識について記憶に残っている有用そうなものもなくはない。

 そう言う意味では、ハジムラドが期待する程度には色々知っていると言えるのかもしれない。

 だが、正直なところラム酒の製造技術に関わることには迷いがある。

 実際今回のラウラ酒も、わざわざサトウキビジュースを発酵させるよりも、砂糖精製の副産物である糖蜜を利用する方が、生産効率は良い。

 砂糖も同時に精製できるのだから当然だ。

 だが、砂糖とアルコールを効率よく作るなんてことをまじめに考えだすと、どうしても元居た世界の暗く凄惨な歴史が想い起こされてしまう。

 もちろん、そんなことに俺ごときがいくら考えを巡らせたところで、それ以上に世界は複雑だ。

 今更考えるのも馬鹿らしい。

 それに、砂糖はサヴォイアのような辺境でもすでにある程度は認知されているし、少量とはいえ流通しているようなので、結局は時間の問題なのかもしれない。

 だがそれでも、なるべくなら俺自身が直接的で明らかな先駆けとなるのは避けたい。

 夜は何も考えずに頭を空っぽにして寝たいのだ。


「まぁ俺はどちらかというと、建物の方で協力するよ。ヴァインツ村で監視塔を作った時に切り出した石、あれ強度が高くて色味も清潔感があって綺麗だったから、醸造所にも使ってみたいんだよね。意外と木材高いし」

「寝泊まりできる場所も併設しなくてはいかん。簡単な調理施設も欲しい」

「ハジムラドさんはずいぶんと熱心ですね。そんなにお酒、お好きなのかしら?」

「い、いや、まぁ酒は人並みには好きだが、昔から酒造りには興味があって……」

「まぁ、そうだったんですね!」

「あぁ……」

「なんだハジムラド。きもちわりぃ顔してやがるなぁ。まぁいい、ボナスそんなことより早く今日の本題に入れよ」

「ピリ、お前に顔のことでとやかく言われるのだけは納得いかんな」

「はぁ……、本当はもう少し細かい話もいろいろと検討したかったが、まぁいいや。とりあえず持ってきたラウラ酒の原型は――――これだ」


 円卓の中央に酒壺を置く。

 丁度一升瓶と同じくらいの重さで、小さなひしゃくが結わえ付けられている。

 ラム酒の入れ物として壺は何となく様にならないような気もするが、サヴォイアではガラスがあまり流通していないのだ。

 いずれは透明な瓶にグラスが欲しいが、今はまだ仕方がない。

 一歩ずつだ。

 どうせ酒自体色を楽しめるような状態でもない。


「ただ言っておくが、これは試作品だ。かなり適当な作り方をしたものだし、寝かせてもいない。味も香りもかなり独特だぞ。あとちゃんとした蒸留器を使ったわけではないから少し焦げ臭い気もする。ということで現段階では過度な期待はするなよ。んじゃコップを回すぞ」

「わかったわかった、いいから早く飲もうぜ」

「そうだな、飲めば大体わかる」

「あら、見た目は……水と変わりませんね」


 皆あまりに期待感のこもった目で見てくるので、あくまで試作品だと釘を刺しておく。

 とはいえ、目の前に現物があるのだ。

 もう誰も俺の言うことなんて聞いてはいない。


「これがラウラ酒か! どれどれ……匂いは独特で……甘いな。まぁでもうまいうまい。何より……強い! へへへっ、こりゃ良い酒だ」

「香りは……甘く、青いな。果物や薬草のような……確かに癖が強い。焦がしたような匂いも混ざってるな。だが悪くないぞ。香りが豊かで面白い……なるほど、これはいい……。ふむ、よしよし……これは色々楽しみだ」

「あら、結構強いお酒ですね。ああ、でもこれは……ふふっ……。ボナスさん、これでも十分に美味しいですよ! 何より私は今までこんなお酒は飲んだことがありません。私はとても気に入りました。おかわりいただけます?」


 思いがけずメナスの食いつきが一番良い。

 敢えて加水せずに持ってきたので、普通に飲むにはいくら何でも度数が高すぎると思うのだが、彼女は大丈夫だろうか。


「少し薄めて出そうか?」

「いえ、もう少し味と香りをしっかりと確かめたいので、そのままで大丈夫ですよ」

「わ、わかった」


 彼女はこういったことを声高に語るタイプではないが、実際は二国を跨ぎハジムラド以上に色々な酒を飲んでいるはずだ。

 酒に限らずこの手の嗜好品については、いつも驚くほど鋭く多角的に分析している。

 その彼女がはっきりと気に入ったと言ったのだ。

 なかなか心強い。

 正直なところ、このラウラ酒はかなりうまい……と思う。

 少なくとも俺は気に入っている。


「だが……この酒はサヴォイアで提供されている酒類とはかなり傾向が違うし癖も強い。果たしてサヴォイアで受け入れられるだろうか?」

「何を心配してるのかと思えば……。ボナス、サヴォイアの酒なんてラウラ酒とは比較にならんぞ。そもそも一般的に火酒として提供されているものは、あまりにも品質が低い」

「そうなのか……。実は俺あんまりこっちの蒸留酒、飲んで無いんだよな~」

「大体の火酒はかなり辛口で、香りはほぼない。そして純粋に体に悪そうな味がする。あれは……樽そのものの品質や保存状態などが悪いのだろうな。そう言った意味ではこれから樽作りも苦労しそうだ……。基本的に酔うために飲むものであって、味や香りを楽しむようなものは本当に極一部の高級品だけだ。というわけで、お前は心配しすぎだ」

 

 ハジムラドはそのようなことを言いつつも、木製のコップに何度も鼻を突っ込んで香りを確認している。

 そうしてラウラ酒を少し口へ含んでは、頭上を見上げるように目をぎょろぎょろと動かしている。

 少し面白い絵面ではあるが、まるでソムリエのようで妙に様になってもいる。


「いいな……言葉はいらん! これは良い酒だ!」


 ピリもなかなか気に入ったようだ。

 ハジムラドとは対照的に煽るようにラウラ酒を飲み干していく。

 空になったコップを円卓へ叩きつけ、下品な顔を大きく歪め、満面の笑みを浮かべている。

 ほぼ海賊だな。


「皆気に入ってもらえたようで何よりだ」

「ボナス、そろそろいつもみたいに色々やってみるかい? あと持ってきたケーキどうする?」

「ああ、頼むよミル。ケーキはクロとシロにも……あぁ、わかったわかった、エッダにもやってくれ」

「さ~すがボナス! 分かってるじゃん~! いつも母さんばっか良い思いしすぎなんだよね~」

「すみません、ボナスさん。でもエッダ、お酒の方はダメですよ」

「じゃあみんな一度コップを返しな! もっと美味しくしてやるよ」

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